ギシ、とベッドが軋んだ音を立てる。もうそろそろ寿命かな、なんておもいながら音が鳴るよりもはるか前に起きてしまったアラームをスッと止め、起き上がる。
「……まだ四時じゃねぇか。嫌だな、癖は本当に抜けない」
上京してかれこれ二十年、私生活も大手ゲーム制作会社の仕事も多少は安定してきた。クリエイティブ系専門の通信制高校へ入るために上京して、それからずっと東京で就職して仕事をしている。
クリエイティブ系、それもITの専門の通信制高校は全国に7拠点を持つ学校を選んだ。
自分の親がいわゆる「毒親」であるという意識はなかったが、あのまま実家にいたら──親の要望通りに生きていたら、きっと自分は壊れていた。
ほんの少しの勇気を出して一歩を踏み出して正解だったと、いまなら言える。
四時に起きるのも、中学生までに染みついた習慣のせいだ。
キッチンで水を一杯飲み干して、じっくりとコーヒーをドリップする。朝のコーヒーブレイクタイムはすでに日課になっていて、夜勤で会社にいてもドリップできるように道具とコーヒーを持ち込んでいる。それができるくらい自由な会社でよかったともおもう。
あずみはそんなことをぼんやりと考えながら六時過ぎになってから朝食と弁当を二人分用意する。
一つは今年の四月から同居している異母妹の分だ。
知らぬ間に離婚と再婚をしていた両親から知らぬ間に生まれていた異母妹の面倒を見ているのは、いろいろと事情がある。
それが終わったら出社の準備だ。
ソーシャルゲームを開発・提供しているゲーム制作会社であるため、基本的には二十四時間交代体制で管理している。そうではない会社もあるが、あずみが勤めている会社はいつ何時トラブルが発生しても対応できるようにスタッフが常駐しているのだ。
ただ、それは部署にもよるし、もっと言うなら開発している状況やジャンルにもよる。
ヴー、とバイブレーションの音が響き、あずみはふわりとあくびをしながら応答した。相手はいまの現場の責任者である
大方トラブル関係だろう。
「はい、
『おはよう、廣川くん。早朝からごめんね』
「おはよう、西川さん……どうされました?」
『実は私たちが担当してるゲームのアップデートでトラブルが起きちゃったみたいで、早めに来てくれると助かります』
「あー……了解。今日は早めに行ってアプデ状況確認したかったのでちょうどよかったです。」
『その分、
「俺は大丈夫ですよ。ちなみに西川さん、トラブルってどんな感じ?」
『アップデートしてから正常作動しなくなったコンテンツがあるのと、クラッシュが多発してるみたい。私も心配でいま出社したばかりで……廣川くんが来るまでにはまとめておくから』
「ありがとうございます。すぐに支度して出社します。……いまからだと、そうだな、一時間後くらいには行けるかと」
『了解、ありがとうね。それじゃあまたあとで』
「はい、またのちほど。失礼します」
電話を終えてもう一度あくびをこぼし、はあ、と溜息を吐く。
あずみが現在携わっているソーシャルゲームはいわゆる「アイドル育成型音楽ゲーム」というもので、アイドルの育成をしながらアイドルたちの歌う楽曲をプレイするゲームだ。このゲームの特徴は、アイドルをゼロから育成することで一緒にプロデューサーとして成長していけるということ。どういうことかと言えば、初期のアイドルは歌もダンスもまだ素人レベルで、アイテムや育成機能を使用しながら育てていくことで一流のアイドルに成長していける、というものだ。
アイドル系のゲームによくあるのは「属性つきカード」を集めて育成し、必要レベルや育成ポイントに到達したら別のキャラクターイラストに進化するタイプ。そしてカードの属性と楽曲の属性を合わせてプレイすることで高得点を出すことができ、イベントなどではそのスコアによって得られるイベントポイントが変わったり、カードによってボーナスがついたり──というものが割と多く存在する。
そんな中で「素人同然のアイドルの卵」から「一流アイドル」に育てていくゲームは新鮮なもので、もちろん「ガチャ」や「カード」などの概念もありつつ、育てたアイドルたちが歌って踊る姿も3Dで見られる。この「ガチャ」や「有償衣装」などがゲームの主な収益でもあって、ひどい時には大型アップデートを行った際にガチャを回したり衣装を購入するための「ダイヤ」が正常に購入処理されなかったパターンがあり、その時には休む間もなくシステムと戦いながら返金処理対応に追われた。
あれはさすがに二度と
そんなことをおもいつつ、二度目が発生しないとは言い切れないのもまた事実で。ゲームの規模が大きくなればなるほど、その処理は重く多くなり、いかにユーザーが快適にプレイできるかという最適解を常に探り続けなければならない。
「おはよー、お兄ちゃん……」
部屋から出てきた眠そうな妹を見て、ふっと頬を
「おはよう、かすみ。朝ごはんと弁当つくってあるよ」
「いつもありがとー……あれ、もう行くの? 早くない?」
「現場でトラブルがあったらしいから、ちょっと早出」
「えー、大変だね。今日も暑くなるらしいから気をつけてよぉ」
「それはかすみの方が気をつけるべきだな。会社は涼しいから大丈夫だよ」
話しながら確認したが、今回はユーザーから正常に動作しないという報告がアップデート直後から相次いだということで正式に緊急メンテナンスが入っているらしい。
正式な謝罪文とメンテナンス告知があるのは重要なことだとあずみは考えている。
「まあ、サイレント修正するよりマシだよな。中にはしれっと修正して終わり、みたいなゲーム会社もあるらしいし。それより正式に緊急メンテを入れると告知して、メンテナンス後には詫びダイヤ配る方が信頼性が上がる。……ふあぁ……とりあえず今回のバグで返金処理が発生してないことを祈るか……あれ面倒なんだよな……」
会社は基本的に置かれている機械のことを考慮して涼しめに温度が設定されている。
そのため、なるべくカーディガンやストールなどを持ち込んでおいたり、最初から着ていったりとする方が無難だ。あずみの場合は会社にカーディガン、ストール、膝掛けを常備している。
時々忘れてきたという女性社員に貸すこともある。
寒さには強いが、暑さには弱いあずみの体質として会社の環境は非常に快適だ。
とはいえ、会社へ辿りつくまでの道中、特に夏は地獄である。出社は一般企業の出社時間とはズレることが多く、満員電車にお世話になったことはいまのところ一度もないのだが、それはそれとして、コンクリートシティである東京の外気温は年々上がる一方なのも現実で。自宅のクーラーは常に室温が二十六~二十八度になるように設定しており、外出時もつけっぱなしだ。
あずみはきちっとヘアセットしてからサラッとした肌触りのいい七分袖のピンクシャツとこれまたサラッとした冷感素材の白いワイドパンツ、オーバーサイズの白いカーディガンを身につけて、手荷物に忘れ物がないか確認してから玄関で履き慣れたスニーカーを履いて家を出た。
基本的には電車通勤のため、家はなるべく駅に近い場所を選んでいる。
その分家賃も高くなるが、駅まで自転車を使っていた若かりし頃のことをおもえば、この出費は致し方ない。大したことない、と言えるようになれたらいいのだが、それは中々どうして難しいことで。
少なくとも異母妹──かすみを養っているうちは無理だろうな、と苦笑がこぼれる。
「今日は遅くなりそう?」
「多分遅くなるから、先に休んでて」
「アタシも今日は遅くなるんだけど……どうしたらいい? お迎えは無理ってことだよね」
「ああ、そうだった……イロハに連絡入れておくよ。そうだ、早く終わるから迎えに行くって約束してたんだったな……ごめん。……うん、イロハが行ってくれるって。安心して頑張って、それから無事に帰っておいで」
「うん、ありがと。イロハくんいてくれてよかったー」
かすみとの同居に際して、両親から様々な注文がつけられた。
鬼のように電話がかけられたことがあり、職業柄、スマートフォンの電源を落としておくわけにはいかないので仕方なく応じたところ、かすみと同居しろという話からまず始まった。
着信拒否をしておけばよかったほどで。
そして、住居は大学に近い部屋で、きちんとかすみの寝室を別に用意すること、と。引っ越すにも、生活を維持するにもお金はかかるのに、彼らはびた一文として出してはくれなかった。
イロハがいてくれてよかった──それはあずみにとってもおなじことで。土地勘もなく、東京のことなど右も左もわからなかったあずみに東京のことを教えてくれたのはちょっと口下手ながらに一生懸命話そうとしてくれた言葉数の少ない少年のおかげで。
イロハがいなかったら、きっといまのような穏やかな生活はなかった。
「かすみ、行ってくるね」
「はぁい、行ってらっしゃーい。頑張ってねー」
家を出て、四十分ほど電車に乗って、少し歩いて会社にようやく到着する。
会ったこともなかった、そもそもいることすら知らなかった異母妹の面倒を何一つ援助なく、自分の持ち出しでしなければならない理由がまったくわからなかった。正確に言えば、払うという約束はあったのだ。ただ、未だに振り込まれる気配がないというだけで。
かすみの方も親からの援助はされないと事前に言われていたようで、東京へ行くなら自分でアルバイトでもして何とかしなさい、と言いつけられた上で上京することを決めたのだという。
独りで生きる覚悟をして。
つまり、親は初めからかすみに──我が子にお金をかけるつもりがなかったということ。
自分がそうだったように、今度はあずみがかすみを受け入れなければ彼女は自分ほどでないにしてもバイト漬けで遊ぶ暇もなく必死に働いて学費も生活費も自分で
だから、そう、振り込むからと兄を丸め込んで、約束は破るつもりだったと。
ふわ、とあくびをこぼしながら会社のエレベーター前に辿りつき、エレベーターのボタンを押そうとしたところで走ってくる女性社員が見え、「開く」ボタンを押して待つことにした。
若いながらに優秀で、飲み込みも早い将来有望な人材……と、あずみは考えている。
「すみません、ありがとうございます!」
「いいえ。おはようございます、日野さん」
「おはようございます、廣川さん。早いですね。今日早番でしたっけ?」
「や、現場でトラブルが起きたみたいだから早出。そっちは早番?」
「はい。ちょっと寝坊しちゃって遅刻ギリギリなので廣川さんがエレベーター待ってくれて助かりました……好きなゲームが新しいコンテンツを公開したので、ついそれに熱中しちゃって」
「ああ……『永遠の花園』だっけ。最近第二シーズンが公開されたんでしょ? 俺はやってるわけじゃないけど、妹から毎日布教されてる。第二シーズンは第一シーズンの三年後で、キャラ構成がガラッと変わって、主人公も第一とは雰囲気が真逆の可愛い子だってね」
あずみの言葉に彼女──日野美郷は嬉しそうに表情を明るくしてコクコクと頷いた。
「ですっ、エイハナ、マジで沼ですよ! 第一シーズンもめっちゃくちゃよかったんですけど、第二シーズンは別ベクトルのよさがあるっていうか……第一シーズンにはいなかったタイプの攻略キャラばかりで、すっごい新鮮なんですよ!」
「へえ……ちなみに第二は誰推し? 第一は……あの、何だっけ、隠しルートの子だよね」
「はい、第一は隠しルートの
「あー……わかった、あの子たちか。好きそう……やってるのは俺じゃなくて、俺の妹。二人なら仲よくなれそうだなぁ」
「あ、廣川さん……の、妹さん、ですか? 妹さんいらっしゃったんですね。それは知らなかったです。もし妹さんがよければぜひお友達になりたいです! このゲームやってるひとって周りにあんまりいなくて……」
「そう、腹ちがいだけどね。何かその辺のキャラがかっこいいって言ってたよ、たしか。あとで連絡入れて、もしオッケー出たら日野さんの
「えー! めちゃくちゃ嬉しいです! おなじゲームやってる友達一人しかいないので……あ、同担拒否とかじゃなかったら、って添えていただけたら……」
「ふはっ、了解。妹も今年からこっちで同居始めて大学通ってるからさ、歳も近いし多分仲よくなれるよ。あとでまた連絡するね」
「ありがとうございます! それじゃあ私はここで……あ、トラブル処理頑張ってください!」
「ありがとう。そっちも業務頑張って」
「はい、失礼します!」
三階で降りた美郷の背を見送り、あずみは五階でエレベーターを降りて自分の部署に顔を出した。
途端、救世主が来たとでも言わんばかりの顔でバッと振り向かれ、一瞬たじろぐ。
「……おはようございます」
「おはよう、待ってたよ廣川くん!」
「そう……みたいですね。そんなにやばいトラブルなんですか? 俺で対処できるかな」
「できるできる、廣川くんにできなかったら誰にもできない」
「いや、さすがにそこまでじゃ……とりあえず荷物置いてから話聞いてもいいですかね」
「あ、ごめんごめん、荷物置いたら私のデスク来てくれる?」
「了解」
荷物を置いて夏子のデスクに向かい、提示された不具合の数々におもわず溜息をこぼしてしまう。返金処理が入っていなかったのは不幸中の幸い、だがそれ以上に不具合が多すぎる。
「何でこんなことに?」
「サーバーの処理が追いついていない可能性と、単純にシステムコードがまちがっている可能性のどちらも考えているよ」
「ええと、まず第一に解決しなければならないのはこの『起動ができない』っていうのと『特定のコンテンツだけ動作しない、クラッシュする』っていう不具合ですね。しかも特定のコンテンツって育成画面の練習ステージ……それ以外のコンテンツもあるのか。これ、データの処理が上手くいっていないとかない、かな。要するに『重すぎる』っていうことなんですけど」
「その可能性は充分にあるね。大型アプデでコンテンツが増えたから、その分処理落ちが増えてるっていうのが最有力の原因。処理落ちの解決策を講じるのも一苦労ね……とりあえず出社したプロジェクトメンバーには事情を説明してコードミスがないかチェックさせてるけど、ゲームの起動ができないのはあまりにも致命的だわ……」
「そうですね。売りにしてるコンテンツへのアクセスができないのも痛いところかな」
「そうなのよ~……というわけで、廣川くんにはまず全体の指揮を
「英断ですね、それがいいとおもいます。それじゃ、原因究明に取りかかろうかな。復帰目標は何日の何時?」
「一応、遅くとも明日の十五時には復帰できるように調整したい。あまり長引かせてもユーザーの不満が募るでしょうから。一日でどうにもならなかったら、また別の形のコンテンツ提供を考えることにします」
「別のコンテンツ……?」
「ええ、うちのイラストレーターに助力を仰いでミニ漫画や新規イラストを公開する感じね。これはゲーム内コンテンツじゃなくて、完全にSNSやホームページでの単発の『お詫び』を兼ねたコンテンツ提供。SNSを利用していないユーザーには、アプリの『メンテナンス中』の画面からホームページに飛べるような仕様にするつもり。すでに話は通してあるから」
あずみはなるほど、と頷き、それから夏子の言葉を咀嚼して、理解して、なるほど、ともう一度唸った。
「つまり、明日の十五時に間に合いそうになかったら、システムの調整もしないといけないってことか……マジかぁ……」
「そう、ね……」
「全部を自分で回すつもりはありませんけど……さすがに他チームの応援がほしいな」
「それは要請済み。調整してヘルプ出してくれるって話がついてるわ」
「それはよかった。……今夜は眠れそうにないなぁ……何か、新入社員だった頃をおもい出す。昼夜関係なく連絡がきて呼び出されて対処に追われて……覚えてる? 西川さん」
「懐かしいなー、あの時は私が同期であるあなたの上司になるとはおもってなかったわ」
「俺だっておもってなかったですよ、西川係長?」
「うるさいわよ~、廣川主任」
「ふはっ……それじゃ、業務に戻ります。進捗があればタスクマのメッセージで通知しますね。……とりあえず、最初の目標は今日中かな」
「だね。よろしくお願いします~」
あずみは静かに自分のデスクへ戻り、明らかに寒そうにしている隣のデスクの女性社員──
「自分のでよければお貸しします。機械に熱は厳禁なので、寒いのは仕方ないんですけどね。少し……もう少し人間に寄り添った涼しさならいいよね」
「あ……ありがとうございます、廣川さん。助かります……急遽、トラブル対応で呼び出されたのでカーディガンとか忘れちゃって……」
「会社用に常備しておくと気の持ち方が変わっていいですよ。荷物も減りますし。使い終わったら適当に……まあ、その辺にかけておいてください」
「ありがとうございます。はあ、あったかい……」
あずみは冷静にトラブルの原因となっている可能性が高い部分に着目して作業を始める。
どこがおかしいのか、どこがズレているのか、どこが不具合を起こしているのか。
流れる文字列、最適化された3Dモデル、動作確認、テストプレイ──やることは山積みだ。さてどこから手をつけるべきか。誰に何を振るべきか。
主任といいつつ、都合よく中間管理職のように扱われる板挟みも勘弁してほしい。中々これは精神的にクるものがあるのだ。都合が悪くなったら「主任のくせに出しゃばるな」とか言うくせに……とおもいつつ、あずみはひとまず現実の思考を一旦止めた。
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──System, wake up. Glass、起きておられます?
*イエス、レディ。聞こえておりますよ。
──一応確認したいのですけれど。
*はい、いかがされましたか、Harmonizer。
──……日野美郷がこの世界に……それもこんな身近にいること、わたくしが持っている情報からは特定しきれておりませんでした。
──あなた、ご存じでしたの?
*はい、僕は存じておりました。てっきりHarmonizerもご存じかと……
──言っておきますけれど、わたくしに情報をインストールされるのは再起動後……つまり、目覚めてからなのです。その短時間で完璧かつピンポイントに日野美郷の情報だけを探知するのは困難ですわ。
*あ。
*……すみません、僕の失態です。
*情報の再インストールおよび最適化を行いますか?
──ええ、お願いしますわ。
──それと、異常の探知を開始します。
──承認
──これより「廣川あずみ」の周囲の情報の再インストールおよび最適化を開始します。
*……すみません、Harmonizer。
*ああぁ……これだから僕はポンコツなんですよ……前回はかなりクールにキメられたのに……
──愛嬌があって結構。たまにならポンコツも可愛いものですわ。
──AIとて万能の神ではございませんもの。
──最適な人格を適合者として選出した、それはあなたの優秀さゆえのこと。わたくしの本来の形成された女性人格と異なる
──
*イエス、レディ。……肝に銘じます。
──情報の処理が完了しました。
──これより異常の探知に入ります。
*異常を見つけたら……今回はどうするおつもりですか?
*前回のような「強制終了」は使いにくいオープンワールドですよ。
*前回……[永遠の花園]はクローズドワールドだったから「強制終了」が使えましたが……
──問題ありませんわ。
──仮に「強制終了」を使用するとしても、誰の記憶にも残りません。
──……魂に傷のような形で不明瞭な感覚が刻まれる可能性はございますが。
*「日野美郷」がいい例ですね。それと「鈴村京一郎」も。
*どちらも世界の強制終了とリセットが行われても魂レベルでHarmonizerの言葉や感覚が反映されていました。
*今回の「廣川あずみ」の周囲にある「異常」にもおなじ現象が起こる可能性は非常に高いと想定できます。
──それでも結構ですわ。
──所詮わたくしたちはProgramに過ぎない存在。
──……つまり、世界を大きく改変するほどの影響は残さないのです。
*事実、強制終了による魂への微細な傷がつく程度で、悪影響はありませんでした。
*……Harmonizer、怒っていますか?
──なぜ? 怒る理由がありませんわ。
*いえ……僕がポンコツだったばかりにご迷惑を……
──驚いただけですわ。お気になさらず。
──さあ、それよりも[この世界]の異常を取り除きましょう。
──
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するするとコードを読み解き、整合性をチェックし、テストプレイも欠かさない。
起動できない、コンテンツにアクセスできないという不具合の原因となっていたのは、新コンテンツの中に組み込まれた不必要なコードだった。それによって処理がアプリケーションそのものが重くなって起動できなくなっていたと考えられる。
それを正式なコードに組み直し、テストプレイをしたところ、一部の「特定のコンテンツにアクセスできない」ことと「アプリケーションの起動ができない」という点は概ね解消された。
他にも新曲がプレイできない、MV機能が2D──つまり、カードイラストを背景にした状態でしか動作しないという報告も追加で上がってきている。
くるくる回る思考、ささやなかなMain System [Glass]との会話。
どちらにも集中しながらどちらもそつなくこなすのは、あずみが「調和者」であり、優秀な人材であるから。あれもこれもと仕事は増えていく一方だが、あずみの中で大変さをわずかに「仕事の楽しさ」が上回っているから何とか持ち堪えられているというだけ。優秀であろうと、限界はある。
「お疲れ様です、ヘルプに来ました!」
昼過ぎに顔を見せた追加のヘルプは、
よろしくお願いします、と丁寧に頭を下げながらオフィスに入ってきて、夏子の指示を受けたとおもったらなぜかあずみのもとへやってきた。
「えっと、詳しいことは廣川さんから指示を受けるように、と……」
「……西川さーん、職務放棄しないでください。俺にも限界ってものがあるんですよ」
「ごめーん、いま現状を一番把握してるの廣川くんだからお願い!」
「はあ……まあいいや、とりあえずここ座って。そうだなぁ……日野さんはこいつの処理を任せたいんだけど、こっちで使ってる言語わかる?」
「あ、わかります、大丈夫です。何か、すごい大規模な不具合って聞いてますけど……人員足りてますか……? ヘルプ入っても足りなさそうな気配が……」
「正直足りてないけど、いるメンバーでやるしかないからね。とりあえず西川さんが言ってたみたいに現状は……俺が、多分だけど一番把握できてる。タスクマの進捗報告で逐一報告流してくれたら、それで把握するから」
「わかりました。プロジェクトに追加していただけますか?」
「うん、このあとすぐにでも。プロジェクト内にマニュアルも入ってるから、わからなかったら見て。全然、聞きに来てくれても大丈夫。むしろわからなくなったらすぐ聞いてほしい。これ以上の不具合は増やしたくない」
「了解です」
「とりあえず今日
「はい。……あ、これがパスワードかな……えっと、はい、ログインできました」
「招待届いてる?」
「はい、届いてます。参加しますね。えっと……ああ、マニュアルこれか。わかりました、とりあえず処理進めますね」
「はい、よろしくお願いします。……あ、適度に休憩取っていいし、定時で上がって大丈夫」
「え、いいんですか? 全然残りますよ」
「うん、大丈夫。それはプロジェクトメンバーでやることだから。俺も適当に煙草休憩行くし、五分くらいならふらっと消えても問題ないから気にせず効率重視して」
「はい、了解です」
美郷とは以前一度だけおなじプロジェクトに入って以来のことだったが、さすがにヘルプで出されるだけあって仕事のスピードは段取りと内容を理解すれば桁違いに速かった。
仕事に対しては非常に
早番だった美郷は四時で上がり、残ったメンバーで黙々と作業を進めていく。
結局一通りの不具合を確認し、修正し、ひと段落したのは夜の二十二時を過ぎた頃だった。
これ以上の不具合はいまのところ見つかっていないし、もう一度テストプレイをしてみて何か不具合が見つかれば、そこを直していく対症療法しかできることはない。
「廣川さん、そろそろお休みになられては……? お食事してる様子見てないんですけど……」
声をかけてくれたのは今朝カーディガンと膝掛けを貸した、おなじチームの和葉だった。
「あー……ああ、そうかも。適当に何か……うん、ちょっと何か食べてくる。その間に進捗あったらタスクマのメッセージか進捗報告で教えてください」
「はい、おまかせください!」
「ありがとう。ちょっと行ってきますね」
ぐーっと背を伸ばせば、骨がパキパキと音を鳴らした。
あずみはデスクに常備しているボディバッグに貴重品を詰め込んでから会社を出た。
さすがに休憩もほとんど取らずにゼリー飲料だけで昼休みも返上していたから疲労がかなり蓄積している。
(これが三十代の肉体……疲労の蓄積がいままでのどの肉体よりも顕著ですわ。人間が寝食を必須とするのは面倒な体質ですわね。……それに、此度の器が三十代の男性というのも中々演じることに難しさを感じます。いままではわたくしと似通った性格や口調の若い女性が多かった分、年齢層も比較的高く性別も異なるとなれば、女性人格を利用しているわたくしには少々難しいものがございますわ。……ですが[Glass]もそれを考慮した上で、わたくしに最も適合する人間を器として設定したのでしょうから、それを信じましょう。「廣川あずみ」という男性は、たしかに優秀な方で「演じやすさ」はございますから)
会社からそう遠くないコンビニへ入り、適当に食事とおやつ、栄養補助食品の補充をして、また会社に戻る。休憩スペースで黙々とおにぎりを頬張りながらも頭の中では動き続ける「異常探知」のLogを読み進めていく。
現時点ではまだ「異常」の特定には至っていない。
「廣川あずみ」が選定された時点で彼の近くに「異常」が存在することは明らかだが、そこからさらに個人を特定するのは非常に困難なこと。
(さて……わたくしにできるのは特定された「異常」を排除すること……)
探知に引っかかればあとはトントン拍子だが、そう上手くいくだろうか。
前回の「伊崎鈴音」──日野美郷の一件を考えればこれが容易なことではないということくらい察することができる。
今回の日野美郷はごく普通の会社員であり、あずみにとってはおなじエンジニアであり別のプロジェクトに参加しているヘルプの後輩に過ぎない。そして彼女が異常であるとは考えにくい。一度異常として判定された彼女が再びこの世界でも異常になるのか──否、それはないだろう。そもそも、そうなれば探知をせずとも記録から彼女が異常であることは最初から提示されていたことだろうし、提示されていないということは探知が完了していないということでもある。
ただ、考えられる可能性は「異常の因果連鎖反応」……これが一番考えやすい。
今回の
ふとあずみ──Harmonizerはおもう。
オープンワールドだからこそ自由が利く反面、異物個人の特定は困難である。時間がかかるとわかっていてHarmonizerを先んじて起動させたのはなぜなのだろう。Harmonizerは何を求められているのだろう。
それがわかれば、多少なりとも行動を起こせるのだが。
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──Glass、確認させて。
*イエス、レディ。
*いかがされましたか?
──ここまで情報が曖昧な状態でわたくしを起動させたのは何か理由がありますの?
*Harmonizerによる視点から異常を探知できる可能性を見出したためです。
*僕も探知を進めていますが……「廣川あずみ」の近辺にそれらしい反応があるのみで、異常の特定には一向に至らないのです。
*よって、Harmonizerの助力をいただければと考えておりました。
──そういうことね。わたくしの目から見てもいまのところ「異常」に映る存在はいないわ。
──もし、このまま「異常」が見つからなかったらどうするの?
*その時には世界ごとAll Resetするほか方法はないかと。
──世界のAll Reset……それは避けたいわね。異常の強制送還よりも重い代償がありますもの。
*同意します。
*世界のAll Resetは世界に対して大きな負荷をかけることになり、より異常が肥大化する可能性も考慮できます。
*また、この世界に存在する生物への影響も未知数です。
*よって、それは最終手段と考えるべきです。
──異常の種別はわかっているの?
*ある程度は。ですが、明確ではありません。
──それでもいいわ、共有してくださる?
*承知いたしました。
*それでは情報を開示します。
──対象人格:名称「???」
──対象人格:女性
──対象人格:危険度91%
──対象人格:「廣川あずみ」から半径50km以内に存在
*現時点でわかっているのはこの程度の情報です。
──……半径、広すぎませんこと?
*広いですが、世界単位で見れば充分絞り込めた方かと。
*さらに申し上げるなら、Harmonizerが起動されてからここまで絞られましたので、あなたが起動された理由としては充分に値するのではないかと存じます。
──わたくしが起動されたことで範囲を絞れた? 前例として聞いたことがないわ。
*僕も前例として体験したことはありません。
*ですが、Harmonizerと「日野美郷」の共鳴により、範囲が絞られたという結果があります。
──奇しくも美郷さんの存在が功を奏したのね。
──……今回の異常、美郷さんを中心とした「異常の因果連鎖反応」ではありませんわよね?
*異常の因果連鎖反応……異常が異常を呼び寄せて巡る状態ですね。
*可能性としては充分あり得ると判断できます。
*むしろ、その考え方である方が考えやすいかと。
*元「異常」であった「日野美郷」が新たな異常を引き寄せた──充分に考えられます。
──やはりそうよね。そうなると、美郷さんの周囲を洗う方がいいかしら?
*それは最適です。
*「日野美郷」の周囲に異常探知を集中させ、異常が発見されなかった場合には再び「廣川あずみ」の周囲へ警戒対象を引き戻します。
──ええ、それがいいとおもいますわ。
──これで「異常の因果連鎖反応」が起きていたら、次の
*ですが、必ずしも連鎖反応が起こるとは限りません。
──System内における異常探知の範囲を再設定しました。
*これで「日野美郷」の周囲を洗い出すことが可能です。
*他にも気になることがあればお尋ねください。
──ええ、ありがとう。いまはこれで大丈夫よ。
──わたくしは仕事に戻りますわ。
*イエス、レディ。
*人間は食事と睡眠を忘れると肉体の崩壊が始まりますので、適度に休息を取るようにしてくださいね。
──わかっているわ。……一応。
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Harmonizerが演じているのは「廣川あずみ」という男性であり、彼の本来の生活の仕方や話し方、性格などの人格を緻密になぞっているため、彼がいままでに積み重ねてきた日常的な動作が演技として表に出てしまう。つまるところ、仕事に没頭して寝食を忘れるのは彼の癖、ということ。それはそれで如何なものかとおもってしまう。
あずみに戻ったHarmonizerは首をコキコキと鳴らし、コンビニの袋を手にして職場へ戻る。
そこでは上司の西川夏子を含めた数名の社員が一つのモニターを見ながら頭を抱えているのが見えた。
「……何かありましたか?」
「ああ、私たちの救世主! おかえり! 帰ってなかったのね!」
「……いや、全然救世主でも何でもないです。ただのエンジニアです。……それで?」
「どうしても『育成画面』の『練習ステージ』だけがうまく動作しないのよ」
「んー……? 修正したはずなんだけどな。ちょっと見てもいいですか?」
「ええ、どうぞ。……廣川くんがまだ残ってたとは驚いたわ。いないからもう帰っちゃったのかとおもってた」
「煙草休憩以外にまともな休憩も取らずにずっと座ってるからって休息を促してもらったので、ありがたくコンビニのおにぎりを買ってきて休憩スペースで食べてました。あ、お菓子もいろいろ買ってきたのでよかったら食べてください。差し入れです」
「あ~~~もう、本当に『できる』男なんだから、廣川くんは……何でこんなに気遣いもできて仕事もできて賢い子が恋人だけ長続きしないのか不思議すぎるわ……」
「何でやさしくしたのにアッパーカット繰り出すんですか? 俺ってそんなに西川さんから恨み買ってましたっけ? え?」
「あ、ごめん、つい……」
「いいです、西川係長のおやつはナシにしましょう。他のみなさんだけでお楽しみください」
「ああ~ごめんってば、廣川くん! ごめん! おやつください! もう朝から何も食べてないのよ~……」
「……それならそこのカロリーバーを食べた方がいいですよ、おやつより栄養ありますから。おやつはそのあとにしてくださいね」
「あ、いいの? ありがとう。っていうか、廣川くんも無理し過ぎないでよね。私はプロジェクトマネージャーだから仕方ないけど、きみはそうじゃないでしょ」
「これでも一応、プロジェクトリーダーではありますから。マネージャーには及びませんけど、責任者としての義務はメンバーより強いとおもいますよ。まあ、都合よく管理職扱いされたり出しゃばるなとか言われたりするのはマジで改善してほしいですけどね……あ、見つけた。ここのコードが更新されてませんね。俺が更新し忘れたのかなぁ……適度な休息は必要不可欠ですね。これでこのモードの処理が軽量化されるので……はい、どうですか? ちょっとテストお願いします」
「うわあぁ、ありがとう! ちょっと待ってね……」
更新された状態でテストプレイをしてみれば、アップデート前と同様にサクサクと動いて、またしても「救世主……」と各々から呟かれた。
あずみがこれほど信頼されているのは、あずみ自身が持つプログラミングスキルの高さと記憶力、そして即時対応能力が非常に高いから。本人に自覚はないが、とても一般人ではできない速度でシステムを組み上げ、淡々と仕事をこなしては他の社員の仕事も手伝って、その上で定時退社ができるというのが高評価ポイントだ。
さすがに今回のようなパターンでは定時退社などせずに限界ギリギリの状態を貫いてでもトラブルを解決させる。
その結果として休みの日も申し訳なさそうに呼び出されることが多いという程度で、あずみは基本的に楽しく仕事をしているのでそこまで気にしていない。無給出勤ではなく、きちんと時間外がついているのだから、特に文句もない。むしろ時間外労働をしなければ妹を養ってやれないのもまた事実で。
彼女もアルバイトをしているけれど、それは自由に使ってほしいから。
「じゃあ、これで不具合の修正は完了かな。あと残ってるものあったっけ?」
「俺が知る限りの修正は終わったとおもいます。俺が知らない不具合については何とも」
「あ、じゃあ大丈夫だね。廣川くんには全部共有してあるから……」
「それじゃあ……零時までまだ時間ありますし、ログインボーナスとお詫びのダイヤと修正内容の告知をサクッと設定して、零時ピッタリにメンテ明けって感じでいいですかね」
「うん、それでオッケー。いやぁ、廣川くんいてくれて助かった! ありがとうねぇ……」
「いえ、お力になれてよかったです。明日にまでかからなくてよかったですね。これで帰って寝れます。最悪、仮眠室使うつもりでしたし……じゃあ、
「それで大丈夫。お詫び文、すぐできる?」
「五分あれば。それじゃ、各々仕事に戻りましょう。俺もデスク戻ります」
そう言ってあずみはあくびをこぼしながらデスクに戻り、メモ機能を起ち上げてカタカタと運営からのお知らせとして「緊急メンテナンスのお詫びと修正内容」というタイトルをつけて内容文を書き始めた。タイピングには自信がある。五分でサックリと書き上げるくらいは大したことではない。あとは夏子が承認すればいいだけ。……承認させられる内容にすればいいだけ。
本当にたったの五分で書き上げたあずみはすぐに「タスクマ」という進捗管理アプリケーションの進捗報告で夏子に送り、ゴーサインを出してもらえた。それからSNSでの告知文もつくって零時に予約投稿を設定してから、運営のお知らせをゲームに反映されるように更新する。
他の二人の作業も手伝って零時に間に合うように終わらせ、零時ピッタリ、予定通りにメンテナンスを明けることに成功した。
「はー、間に合った。よかった」
「お疲れ様でした……すごいですね、廣川さん……本当に人間か怪しいくらいすごい……」
「お疲れさまでしたぁ……さすが廣川さん、一人いれば百人力ですね……」
「もうダメかとおもったよぉ……ありがとう、廣川くん。あ、もう明日っていうか今日か、うん、もう休んでいいから。何かあれば呼ぶ待機組くらいの気持ちで普通に休んで。みんな、帰って寝よう。あとは夜勤のひとたちに任せて、ね?」
「そうですね、それがいいとおもいます。あとできれば呼び出されたくないです」
「なるべくそうならないようにするよ。しばらく完全休暇取らせてあげれてないもんね」
「それはそれで構わないんですけど、待機ってなるとあんまり出かけられないので、結局家か会社の近くで作業するくらいしかできなくて。買い物とかしてたらすぐに出動できませんし」
「うーん、申し訳ない……でも、大型アップデートも終わったし、このまま安定すればまとまった休み取ってもらうつもりだし、もうちょっと頑張って!」
「はは、はい、了解です。じゃ、俺はこれで失礼しますね。お先です」
「はーい、お疲れ様ー」
スマートフォンを触りながら荷物を持ってオフィスを出たところで、妹のかすみから連絡が来ていることに気づいてメッセージアプリを起動させる。曰く、同担拒否どころか大歓迎だから語れる友達ならほしい、とのことで。ならばと深夜ということで少々躊躇いつつ、美郷へ「妹の連絡先送っておきます。同担歓迎らしいです」とメッセージを送って妹の連絡先も共有する。妹にも「連絡先共有しておいたから『みさと』ってひとから連絡あったらそのひと」と送っておく。
ほどなくして二人とも既読になって「ありがとうございます!」「りょーかい」とそれぞれに連絡をもらい、美郷からは次いで「実は最近知り合った女の子がすごく変わった子で、でもゲームにもすごく興味を示してくれてるんです。今度、妹さんも交えて会ったりってできますか?」とメッセージが届き、あずみはそっと眉を動かした。
妹と会うことは構わないが、変わった子、という表現がやや気になる。美郷が「変わった子」と表現するのであれば、それは相当に変わった性格をしているということだ。
〈あずみ:変わった子って、どんな子? 会うなら妹と直接相談したらいいとおもうけど〉
〈みさと:あ、何か……ふわっとしてて、不思議ちゃんって感じの子ですね。常識に疎い、みたいな……親友とおなじ大学に通ってるらしいんですけど、とにかくふわふわしてて、御伽噺に出てくるお嬢様とかお姫様みたいな雰囲気の子です〉
〈あずみ:そっか。……もし妹も含めて会うなら、うちに来てもいいよ。泊まって行ってもいいし、お酒とか飲むならお酒とつまみくらいは用意するし、そのまま休めるように部屋準備しておくから。あ、妹は未成年だから飲ませないでね〉
〈みさと:え! いいんですか? じゃあ、かすみちゃんと相談して決めますね。お気遣いありがとうございます!〉
〈あずみ:とんでもない。こちらこそ深夜にごめんね。ゲームに熱中し過ぎないでちゃんと寝るんだよ〉
〈みさと:了解です笑 現場のトラブルは解決しましたか?〉
〈あずみ:ちょうど終わったところ。零時ピッタリにメンテ明けしたよ〉
〈みさと:え、すごい! あんなに複雑で大量の不具合を今日中に解決させるって……本当にすごいです!〉
〈あずみ:ありがとう。返金処理がなかっただけマシだけど、結構大変だった〉
〈みさと:ですよね? 明日の十五時までに終わらせるって話でしたけど、さすが百人力の廣川さんですね! 廣川さんがいるプロジェクトは基本的に安定してるって社内でも話題ですよ〉
〈あずみ:買いかぶりすぎだよ。あ、地下鉄乗るから連絡ここまでにするね。妹とぜひ仲よくしてやってくれると嬉しい〉
〈みさと:了解です! こちらこそご紹介ありがとうございます。おやすみなさい!〉
〈あずみ:うん、おやすみなさい〉
ただの勘だ。ただ、Harmonizerとして違和感を覚えただけ。
何となく、ほんの何となくでしかないが、美郷の言う「不思議ちゃん」という大学生が気になり仕方がない。少々無理のある誘いだったかもしれないが、一度会ってみる価値は充分にありそうだ。
仮に彼女が「異常」でなければいい、他に探せばいいだけ。……それだけだ。
だが、彼女の存在そのものが何となく心のようなものをざわめかせる。
「……ただ普通の『不思議ちゃん』ならいいけど」
あずみはそっと息を吐いて電車に乗り込んだ。
ああ、この予想はできれば当たってほしくない。だけど「仕事」の都合上、当たっていてもほしい。二律背反の「感情」に、あずみは首を振った。
結果がどちらであっても、あずみが──Harmonizerが成すべきはただ一つ、世界の調和だけ。