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第3話 すべらないリップクリーム



「う、らら……」


 俺はヘロヘロになりながら、化学準備室Ⅱの部屋のドアを開けた。


 旧校舎の隅にあるこの空き教室は、麗の研究室と化している。

 なんだかヤバそうな機械と分厚い本に囲まれた部屋には、麗がなにやら実験の真っ最中。


「今日は遅かったね。もうお昼休み半分過ぎたよ」


 麗は白衣姿でもう完全にマッドサイエンティストモードだ。

 ちなみに俺は、昼休みに小説を書くことが多いので静かな場所として麗の研究室もとい化学準備室Ⅱに入り浸っている。


「あのあと……。本物のゴ……豪羅山がきて、それで……説教と腕立て伏せやらされたんだよ……」


 そう言い終えるなり、俺はその場にバタリと倒れこんだ。

 どこからどう見てもインドア派・運動不足な俺が腕立て伏せなんて、拷問以外のなにものでもない。


「あー、それは大変だったねー。まあ、でもこれで運動不足解消されるっしょ」


 麗はようやくおれのほうを見て、ウィンク。

 なぜウィンク。


 ちなみに麗の白衣の裏地は、ピンクのヒョウ柄だ。

 なんでも、「発明してる時もオシャレの心は忘れたくないの」だそうで。

 ピンクのヒョウ柄ってオシャレなの? よくわからねえ。


 そんなこんなで、オシャレ心を忘れないマッドサイエンティストのいる部屋に、俺はヘロヘロで来たわけだが。

 今日は小説を書くために来たわけじゃない。

 もう時間もないし、そもそも疲れすぎて無理。

 俺は麗にキラキラした青春とやたらを聞きにきたのだ。


「麗は陽キャだよな」

「んー。まあね」

「陽キャの学校生活ってどういうものか、教えてしいんだけど」

「なんで?」   

「小説書くために必要だから」

「あー。まあ、そうだよね。翔がそんなこというなんて小説のこと以外にありえないかあ」


 ひとりで納得した麗は、手元にある何かに視線を落とす。


「聞くより体験したほうがいいって」

「体験できないから聞くんだよ」

「ちょうど今、陽キャ体験ができる発明があるんだけどな~」

「なんだそれ」


 俺が言うと、麗は手に持っていたものをこちらに見せる。

 ピンクと黒のストライプ柄のパッケージの、口紅?


「もともと先輩が合コンでかわいい女子をゲットしたいって言う要望で作ったんだけど、合コン前に彼女できたらしくてキャンセルされたの。ぴえん」

「その口紅が発明?」

「口紅じゃないよー! リップクリーム!」

「どっちでもいい」

「これを唇に塗るとねぇ。話すことがなんでも面白くなっちゃうの」

「話術が上がるってこと?」

「ううん。そうじゃないの。実践したほうが早いかな」


 麗は言うが早いか、俺のほうに近づいてきて顔をつかんだ。


「刺さってる! 刺さってる!」


 長い爪が頬に突き刺さっている。

 いてぇ。


「じっとしてないと、もっと深く刺さるよー」


 麗はそういうと、俺の唇に何かを塗る。


「はい。OK。効果はすぐに出るからね」

「まさか……。さっき塗ったの……」


 俺がそういった途端。

 麗が笑い出した。


「めっちゃ笑えるっ!」

「なにが?」

「アハハ! 最高!」

「だから、なんの話だよ」

「いやー! もうやめてーお腹いたーい!」


 麗は目にうっすら涙を浮かべて笑い続けている。

 俺はなにがなんだかわからない。

 ひとしきり笑ったあと、麗は自慢気に言う。


「それが、『すべらないリップクリーム』の効果!」

「俺は別に普段通りの会話をしているだけなんだが」

「アハハ! だからー、そのリップクリームを塗ってるとね、何話しても面白く聞こえるの」

「俺には何も面白く聞こえない」

「そりゃあ塗ってる本人には効果ないから……」


 麗はそこまでいうと、ぷはっと吹き出した。

 それから、「翔めっちゃおもしろーい」といって思い切り笑う。

 俺には一体、なんのことやらわからない。

 しかし、麗には面白く聞こえるそうだ。


 これ、試しに麗にも塗ってみてほしいと思ったが、「お腹いたい」とこぶしで机をどんどんと叩いて笑っているマッドサイエンティストには、何を言っても無駄だろう。


 うーん。にわかには信じがたいが、今まで麗が色々なものを発明してきたことも事実。

 だけど、本当にこれですべらない、つまり他人を笑わせられるのか?

 笑い転げている麗を見る。


 演技で笑っているようには見えない。

 そもそも、こいつに俺をだますような演技はできないはずだ。不器用だし。

 だけど、麗の笑いのツボは昔からよくわからないから、やっぱ信用できない……。


 そんなことを考えているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

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