◇◇◇
沈黙で耳が痛む、この室内。
妙に肌にまとわりつく湿気に、沈んだ重い空気。
カチ……、カチ……、カチ………、
時がゆっくりと刻む中。
(目の前の若い男は、無表情だし。それに切れ長の目がなぁ……冷たい感じだしよォ)
これは、本間が海里に対して抱いた、第一印象だった。
(それに腰まで長い、青竹色の黒髪。もしかして、インテリなのかァ……?赤紐で髪を一つに纏めている男って……時代遅れだっつーの!今時にいねえぞ、そんな奴。顔は、俺好みの美人なのに)
相手が女だったら確実に口説いていたなと、ひっそりと苦く思う。「……勿体ねぇ」と静かに独り言を零してしまった。
(それに……この部屋、空気は妙に纏わりついて気持ちが悪いし)
━━まるで、お通夜みたいな空気だな……。
本間という男性は、ひっそりと心の中で毒を吐きだす。それくらい、居心地がマックスを越えた最悪だったからだ。
目の前の青年は、ジィッ……、と深めに射抜くような視線で、真っ直ぐと客人を見据えたまま。
「……遠くから此方まで、足を運んで頂きありがとうございます。お初にお目にかかります。私めは厄徐師、神龍時家当主【
突然、感情の読めないテノール調の声。空気に溶け込むように響く。
海里の鈍い琥珀色の瞳は人形のような美しさがあった。月の光で透き通った色白の肌は、思わず手を伸ばしたくなるほど触れたくなる。
(初対面から十分くらい経ったが……。改めて男だということ自体がもったいねぇな……。コイツ)
射抜くように見てくる海里に対して品定めされているのか、と妄想が生まれ、本間の身体が強張ってしまった。
用件を話そうと口を開く。が、閉じる。そして、やはり今回の用件を話そうと小さく口を開く。が、また閉じてしまうという動作が続く。
客人は、迷っていたのだ。
こんな若造に、
目はモノを言う、という言葉がある。その様子に嫌でも察した、当主見習いの海里。
「……もしよろしければ、後日でもよろしいですよ?」
一呼吸を置いた後、ゆっくりと言葉にする彼。
相手からしてみたら、感情を読み取れない無機質に似た声色に気難しそうな表情の青年。
せっかく足を運んで来たのに、目の前の相手が苦手だからという理由で帰るのは、苦労の水の泡である。
そんな無駄足は、嫌だというのが本音だ。
(だが……、こんな若者に相談して解決できるのか……?)
客人は更に困惑の森に迷い込み、口を更に固く閉ざす。
だが、このままだと
そして、歯並びの良い口をゆっくりと開いた。
「……あの、先生。こ、今回は、
「ええ。こちらも社長から〈依頼〉を聞いておりますのでご安心ください」
海里のその一言にて、一筋の光が差したと言わんばかりに、客人の目はこれでもかって言うくらい、カッと瞳孔が開く。
すぐに感情のまま、目の前のテーブルから勢いよく身を乗り出すと用意されていた緑茶の入った湯呑が、ガタン、と音を立て中身が溢れてしまう。
溢れた熱い緑茶が本間の太腿にかかったが
「━━━せ、先生ッッ!お……、お、お願いします!!た、助けてください!このままだと俺、……おれ……は」
余程切羽詰まった状況なのか。表情がガラリと恐怖一色に染まる本間に海里は、無表情のまま僅かながら瞳孔が開く。
額から滝のように流れる油汗。頬を伝い重力に沿って落ち、太腿辺りのスーツを汚す。
そして、眼球の焦点が定まらず泳ぎっぱなしの相手。くるみ割り人形のようにガタガタと震え出し、言葉が言葉で無くなっていた。
先程まで一人称が《私》になっていたものが、【俺】と言ってしまう始末。素が出てしまったのだろうと海里は察した。
最後は現実を拒絶するように顔を俯く依頼人。呼吸が浅くなり、背中を丸めてしまう。まるで、ナニカに怯えるように。両手で自身の頭を抱えて頑なに沈黙に入ってしまった。
「……本間様、落ち着いて下さい。今、新しいお茶を入れ直しますので、少々お待ち下さい」
このままだと、埒が明かないと判断した海里。相手の精神面が落ち着くまで、席を外そうと切り替える。
そして、新しいお茶を持ってこようと思い、立ち上がろうとした、その時。
「……私には、妻がおりました」
顔を俯かせたままの相手から漏れた、か細い声。一時沈黙をしていた唇が薄っすらと開く。【ナニカ】に押しつぶされているような、弱者が必死に地を這う声色だった。
空間内に、じんわりと響き消える中。海里は自身が今からすることを中断し、静かに正座をし直す。
その様子に察した客人は、一呼吸をする。そして言葉を……ポツリポツリ、と小さく語るように続け始めた。
「……七年前のことです、妻と結婚したのは。私たちの経済面は裕福ではありませんでした。けど、お互いに助け合って笑顔の絶えない生活を送れて。私は幸せでした。だけど……数年後、妻は他界しました」
━━…自殺をしてしまったのです。
その言葉を言い切った本間。肺の底から吐き出すように長い溜息を漏らす。掌に汗が滲み、震えが生まれる。
次に亡き妻を思い出だしたのか、一筋涙を零した。
「すみません……、涙が。妻と過ごした日々を思いだしたら、つい……」
苦笑しつつ恥ずかしげに、右手の人差し指で瞳から溢れた熱い涙を拭う相手。それでも、涙が止まらずボロボロと頬を伝い零れ落ちていく。唇は震え、「どうして……こんなことに……」と涙で掠れた声で吐き出す。
そんな様子に、見るにみかねた海里。懐からハンカチを出し、「……どうぞ」と渡した。
「あ、ありがとうございます……。すみません、すみ……ません」
と、嗚咽する本間。海里からの心遣いを手に取り、自身の涙を拭き取った。
すぐに、高ぶっている気持ちを落ち着かせようと再度、深呼吸をする依頼人。続きを話そうと思い、薄い唇が動かし始めた。
━━カタンッ……