しばらく森の中を進んだところで三人は足を止めることとなる。
「向こうから明かりが……! 追手だわ!」
イエルが、木々の間から漏れてチラチラと見えるカンテラの明かりを発見した。もう、敵の手が迫ってきているのだ。しかも、探索の明かりはあちこちに複数ある。クサナギの顔に苦いものが走る。
「組織で追ってきてやがる! くそ、どこかに逃げ隠れできる場所が……!」
焦った声を上げるクサナギ。敵は組織立って彼らを狙っていたのだ。最初から谷へと落として追い込む作戦だったに違いない。
逃げようにも道がない。ここまでに脇道は無かったし、両側はやはり崖に挟まれている。戻っても袋小路に追い詰められるだけで、万事休す、だった。
そんなとき、姉に肩を借りているリセが山肌の方を指さした。
「ねえ、あそこ! 洞穴が開いてる!」
指の方向を見たクサナギとイエルは、確かに山の表面の凹凸を割いたような穴が空いているのを見つけた。
「あそこに逃げましょう! とにかく、隠れられるなら何でもいいわ!」
「ああ、リセ、まだ歩けるか?」
「私なら大丈夫!」
三人はリセの見つけた穴へと、追手に見つからずに潜り込む事ができた。
洞窟の中は暗く湿っており、三人が歩く反響音がどこまでも響いているようだった。
「結構深いぞ、こりゃ」
「とりあえず奥まで行きましょう。ここじゃすぐに見つかるかも」
「待って、明かりを出すから」
そう言ってリセは、イエルに肩を借りているのと反対の手を空中にかざす。すると、ポウ、とその手の中に、こぶし大の淡い光の玉が生じた。
「あんまり明るいと見つかっちゃうし、このくらいにしておくね」
「こういうときに魔法が使えるリセがいると助かるな」
「へへ、私だって足手まといなだけじゃないからね」
足の痛みに表情を歪めながらも、リセが片目をつぶって笑顔を浮かべる。
魔法の明かりを頼りに、三人は洞窟の奥へと入っていく。
大人二人が通れるくらいの幅で、うねうねと何度か緩くカーブしながら、奥へ奥へと誘うように洞窟は続いていった。
「しかし、あいつら一体何なんだ。山賊にしちゃ妙な格好だったが……」
「〈赤い矢の騎士団〉だわ」
「赤い矢? 知ってるのかイエル」
魔法の光に照らされた顔に苦い表情を浮かべ、イエルは頷く。
「一部では有名な集団でね。クサナギ、〈ヴルム教〉は知ってる?」
ヴルム教はドラゴンを聖なるものとして崇拝する宗教だ。その名前はクサナギにもかろうじて聞き覚えがあった。住まわせてもらっている領主の館にも、その関係者が客として訪れていたのを見た気がする。
「そのヴルム教の中でも、厳格な教えや過激な言動で知られる急進的な一派がいるの。その宗派が持つ武装組織、それが彼ら〈赤い矢の騎士団〉よ」
「宗教的な背景を持つ武装組織。つまり、厄介なやつらに目をつけられた、ってことか」
クサナギが苦々しく言い捨てる。
この世界におけるドラゴンは、その絶対的な強さが故に特別視される傾向にある。その身に纏う特殊な燐光の膜のおかげであらゆる魔法を弾き、さらに頑丈な鎧のような鱗はどんな剣も弓も退けるというのだ。
しかし、クサナギは魔装剣と呼ばれる、魔力を籠められる加工が施された剣を使うことで、その燐光の鎧すら無視して直接ドラゴンに刃が届く攻撃を繰り出すことができ、実際にその技で各地の民を困らせるドラゴンを討伐や退治してきた。
ヴルム教の信者からしたら、そんなクサナギは信仰を脅かす敵に映るのだろう。
「おい、このまま逃げるってんなら、この手首のやつ外せ」
クサナギの手元をみやるイエル。短い黙考のあと、視線をクサナギの顔に持ち上げ直す。
「無理よ」
「どうして!」
「いざというときに交渉材料に使うもの。あなたを差し出せば私たちは見逃してくれるかもしれない」
「てめ! 俺をダシにする気か!」
イエルはちらりとクサナギを一瞥して、
「貴方、ドラゴンがいなきゃなんの役にも立たないじゃない」
「なにをっ!? あのなあ、俺だって元の世界じゃあそれなりに……」
「あれ、クサナギさん、剣は?」
「え?」
クサナギは腰に剣を差していなかった。どうやら馬車ごと谷を転げ落ちた最中で、どこかに落としてしまったらしい。
「…………」
「まあ、それでもハッタリと交渉材料にはなるから、そのままでいて頂戴」
「こんの……氷の女王め」
「冗談よ。本当は、それを外すには鍵がいるんだけど、一つしか持ってきてないの。ドラゴンと戦うときに外したので鍵の魔力は使ったから、家に帰らないとその手錠を外すことも出来ないわ」
「じゃあ逃げてる間ずっとこのままかよ……」
がっくり肩を落とすクサナギ。
そのとき、イエルが何かに気付いて洞窟の壁へ近づいた。
「おい、道草を食っている時間は無いぞ」
「待って、これは……」
「お姉ちゃん、明かりを」
リセが光を強めて照らした壁面には、何やら複雑な図形と文字が彫られていた。
「魔法陣ね。術式の言語は随分古いけど……うん、使えそう」
イエルがその紋様を調べながらぶつぶつと独り言を呟き、頷く。魔法陣の一部に手を当て、魔力を流し込むと壁の紋様全体が光を帯び始めた。
「起動させるわ」
その言葉とともに、洞窟の奥へと続く壁に彫られた紋様が一瞬強く光り、それから辺りが一気に明るくなった。
「照明ね。リセ、もう
「すごいな……一体この洞窟、何なんだ」
「さあ、一つ言えるのは人工的な建造物だということね。今から大分昔に遡る時代のものみたいだけど」
改めて照らされた両側の壁の天井付近には、イエルが起動させたあたりから奥に向けて、複雑な紋様が彫り続けられている。イエルがやったことは、どうやらこの施設の照明設備の電源を入れるようなことらしかった。
「よし、奥を目指してみよう。どこかに繋がっているかもしれない」
陣魔法による新たな照明は、三人のいる頭上の天井が大きな円形に光り、移動に合わせてその光もついて来る、というものだった。
途中、いくつかの分岐を通過しながら三人はより奥へ繋がっていそうな道を選んで進む。
そのとき、背後の遠くから物音と人の声が聞こえてきた。
「まずい、洞窟が見つかった」
「追ってくるでしょうね。他に逃げる道も無かったのだから」
「うそ、ヤバいじゃん……」
「急ごう」
三人は歩くペースを上げて奥へ進む。ただ、リセが足を怪我しているのがネックであまり速くは移動できない。
「ごめんね、私が足を引っ張ってる……」
「そんなこと言うな。とにかく三人でここから脱出するんだ」
クサナギも、手が使えなくて不自由ながらリセに片方の肩を貸していた。姉とクサナギに挟まれる形で片足を引きずって懸命に歩くリセは、口惜しげに唇を噛む。
「ここ、奥が部屋になってる」
進んできた通路の先を抜けると、少し開けた空間に出た。
天井の照明が部屋全体を照らす。そこは何かの祠か祭壇のような場所だった。
細長い部屋の奥の壁は飾り棚のような意匠が拵えられていて、その手前の床にも何か模様が描かれている。その壁の前に姿見のように大きな石板と何かを供えるような台が置かれ、何やら文字がたくさん刻まれた碑が傍に設置されている。
「行き止まりか。一旦戻るか」
「待って、ちょっと読ませて頂戴」
踵を返し掛けたクサナギにリセを預け、イエルは石碑の前に身をかがめた。
「おい、研究熱心なのはいいが、今は逃げて……」
「やっぱり、転移魔法の陣だわ」
イエルはそう言うと立ち上がり、祭壇の床の模様を見回した。
「うん、ちょっと複雑そうだけど、やってみる価値はある」
「どういうことだ」
「この魔法陣を起動させれば、こことどこか別の空間を繋げる転移の窓を開くことが出来るわ。術師が通れば窓は閉じるから、そこに逃げ込むことが出来れば、私たちは助かる」
イエルの言葉にリセの表情がパッと明るくなる。
「じゃあ、帰れるってこと?」
「少なくとも、この追いかけっこは終わらせることが出来るわ。ただ……」
言葉を区切ると、イエルはしゃがみこんで魔法陣の一部に触れる。
「術式が高等なうえに、形式が相当古くて起動まで時間がかかるわ。それまでに追手が迫ってきたら……」
イエルは面を上げて、妹とクサナギの顔を見た。
「とにかく、やってみるわ」
それからイエルは石碑の文と魔法陣の解析に取り掛かっていった。供え台のようなものは操作パネルだったらしく、今はその表面に何か図形や文字が並んで、時々イエルがそれに触れている。
クサナギはリセに肩を貸しつつ、部屋の入口に立っていた。
「なんつーか、本当に役に立ってねえな、俺」
「え?」
クサナギの腕に掴まりながら、手の中で魔力を練っているリセが怪訝そうな声を返す。
「そんなことないよ。こうして掴まらせてもらってるし」
「いやただの手すり替わりじゃねえか、それ。あーくそ、この手錠さえ外れれば。あと武器が何かあれば戦えるんだが……」
「大丈夫だよ。私、こう見えて攻撃魔法も得意だから」
にこ、と屈託なく笑うリセ。そのとき、通路の奥から足音が聞こえた。
『こっちか?』
『おい、向こうから明かりが見えるぞ!』
追手の声が反響しながら小さく聞こえてくる。
「来たな。いいか、途中から通路は一本道だ。すぐにここまでくるぞ」
「分かった。まあ見てて」
駆けてくる何人もの靴音が大きく響き、カンテラの明かりが通路の向こうに現れた。
『いたぞ、あそこだ!!』
「来た」
リセはクサナギの足元にしゃがんでいる。地面に手を触れて、その手に練っていた魔力をそこから一気に放つ。
床を伝って走る魔力は冷淡な青色を帯びている。それが追手たちのいるところまで届くと、
「えいっ!」
一気に強力な氷冷魔法が発動し、魔力が走っていた場所すべてが氷漬けになった。洞窟の床だけでなく、壁や天井の一部まで、厳しい氷と冷気で覆われ、先頭にいた数人は地面ごと靴が氷漬けになって動けなくなっている。
『なんだ!? 魔法か!!』
『くそ! 魔術師を呼べ!』
『寒い……こごえそうだ! 早く助けてくれ……!』
通路の向こうで怒鳴り声が響きあう。どうやら足を固められた兵士と壁や床から生じた氷柱が道を阻んで通れなくなったようだ。これでしばらくは足止めができる。
「すごいな……」
「へへ、知識や術式はお姉ちゃんに敵わないけど、魔力量と魔法適性なら誰にも負けないんだから」
クサナギに掴まって立ち上がりながら、リセが得意な笑顔を浮かべる。
そこに、イエルが声を上げた。
「起動できそう! こっちに来て!」
二人が振り返ると、床の魔法陣は既に光を帯びており、さらに石板の表面には雲のような魔力が集まっている。
「これで……!」
イエルが操作をすると、部屋中を照らさんばかりに石板が眩く光り、その表面で空間が裂け、穴が開いた。
それと同時に、ものすごい魔力の奔流が部屋の出口に向けて放たれ、クサナギとリセは思わず後ずさる。
「うお……っ!!」
「これ、すごい……こんなに、体で感じるほど強い魔力が漏れてる……!」
魔力を感じにくいクサナギですら、圧倒されんばかりの、それは強風だった。
「掴まれ、リセ!」
強烈な圧力をその身に受けつつも、クサナギは体にしがみついたリセとともに、一歩ずつイエルの方へと近づく。
「早く! 追手がくるわ!」
クサナギの背後では、敵の中の魔術師がリセの氷冷魔法の氷を溶かし、道を開けている様子が聞こえてきている。
「クサナギ! 手を掴んで!」
「イエル!! くそぉっ!!」
魔力による風圧の中、何とかクサナギはイエルの手を取る。そして体を引き寄せ、リセと共に〈転移の窓〉の前まで辿り着いた。
「行くわよ。手を繋いで」
「ああ」
「お姉ちゃん……」
クサナギを中心にして、三人が並ぶ。手錠で繋がれたその左右の手をそれぞれ姉妹が握り、
「飛び込んで!!」
イエルの合図で同時に空間の裂け目へと身を投げた。
そして――――――――目が覚めると東京へ転移していた。
〈続く〉