「すごい……いつの間に、こんなに」
「まとめたのは私だけど、上に報告したほうがいいって言い出して情報集め始めたのは他の部署の子たちだよ。アンタへの嫌がらせ、あんまりにもひどいから他の部署の人たちもかなり気にしてる。理沙が自分でパワハラ被害を訴えるのはハードルが高いでしょ。だから私たちがやろうって」
「菫ちゃん……ありがとう……好き」
「あらら、じゃあ両想いだわ。私も理沙好きよ。だから辞めるなんて考えないでね」
「あー、ごめん昨日はちょっと辞めようかなって考えてた」
「やっぱり! もーバカ! そこまで思い詰める前に相談してよ。ホント、理沙は抱え込むんだから」
「うう、何も反論できません~」
二人の笑い声が朝の静かなオフィスに響く。
他の社員たちが出勤してきた時、二人はまだ涙を浮かべて笑い合っていた。
コンプライアンス部へ報告書を送ると同時に、菫を中心とした理沙を擁護する女性メンバー全員で本部長へ直談判に動いた。
報告を受けた本部長は、その嫌がらせの内容と目撃者の多さに驚いて、これはすぐ対処すべき事案だとして部長以上の役職の人たちを招集するという話になってしまった。
集まった役職の人々はこの件を重く受け止めて、特に理沙の直属の上司にあたる主任が嫌がらせに加担しているのは完全にコンプライアンス違反だと判断した。
海外の会社との取引も多いため、今はハラスメント防止のために研修や啓発活動が定期的に行われている。
そんな社内で複数人から女子社員に対する執拗な嫌がらせとパワハラが行われていると訴えがあったのだから、他の業務と止めてでもこの件を最優先に解決すべきと決まった。
「このリストにある社員たちを会議室に呼んでください」
訴えにあった上長と男性社員たちが会議室に呼び出され、事実確認が行われることとなった。
会議室に入ってきた上長たちは上役たちが勢ぞろいしている状況に顔を引きつらせている。
「田中主任。君が部下に対してパワーハラスメントにあたる行為が散見されると多数の社員から報告が上がっているのだが、何か思い当たる点はあるかね?」
専務が穏やかな声で問いかけるが、主任はその言葉を聞いてバッと振り返り理沙を睨みつけた。
その様子をみた専務は一気に顔を険しくし、主任を怒鳴りつける。
「止めなさい! 訴えがあったのは百田君からではない! 社会人としてどころか、人間として許されない言動をしているところを多くの人が見聞きしている。あまりにもひどい嫌がらせだったから多くの社員が連名で上告書を出してきたんだ」
平社員に対しても物腰柔らかく接してくれる専務が怒鳴り声をあげたため、その場の空気が一気に凍り付く。
主任は真っ青を通り越して真っ白な顔色になってかすれ声で返事をする。
「そ、その、いえ、その。嫌がらせなどではなく……そこの百田に問題行動があり、それを注意しただけのことで……。そう、彼女が自分の非を認めず反抗的な態度であったため、彼らの反感を買った結果、彼女と対立するかたちになってしまいまして……一方的にこちらが嫌がらせをしたというのはちょっと、語弊があるというか、その彼女にも問題が」
しどろもどろで理沙の上長は言い訳を並べるが、専務たちは菫が作成した上告書を眺めて渋面を作っている。
「……問題行動というのは、コーヒーサービスの女性とぶつかってもめた件のことかね?」
「そ、そうです! 彼女が麗奈ちゃ……いや、営業の女の子を突き飛ばして怪我をさせたんですよ。それに対して謝罪もなく壊した器材の弁償も拒否しているので、私としても彼女を叱らざるを得なかったんです。彼らもそうですよ! 現場を目撃して、百田君の態度の悪さに苦言を呈さずにいられなかった。けっして一方的な嫌がらせなどではないです!」
得意げな表情で言い切った主任に対し、専務は嫌なものでも見るように顔をしかめる。
「その件は庶務課で把握しているが、報告と君たちの認識にかなり乖離があるようだね。認識のすり合わせよりもまず、その営業の女性はカフェテリアまでの入館証しか持っていないはずだ。それなのに百田君とぶつかったのはオフィススペースの給湯室だろう。どうしてその女性がそこにいたのか、説明できる者はいるか?」
専務からの質問に男性たちは一気に顔色を悪くし目を泳がせる。
理沙もうっかり忘れていたが、コーヒーサービスの麗奈は外部の人間であり、会社に入る際はまずビル一階受付でビジター用の入館証が渡される。その入館証はセキュリティ上、会社のカフェテリアやミーティングルームがあるエリアの扉だけ開く仕様になっている。
だが彼女が理沙とぶつかった場所は、社員用のパスがないと入れないオフィススペースだった。
修理業者など外部の者が入る場合それ専用のパスが発行されるが、受付でその旨を書類に書かなくてはならない。だがオフィススペースには麗奈のコーヒーサービスの器材はおいていないため、本来彼女が給湯室でコーヒーを淹れているのは本来ありえないのだ。
誰かの権限でオフィス用のパスを借りたのかと思っていたが、履歴を見るとその日はどこからもビジター用パスを借りた記録は残っていなかった。
ということは、誰かが自分のパスで入る時に無許可で麗奈を招き入れたということになる。
普段誰もがそこまで意識しているルールではないけれど、社会規則に違反した行為である。
「受付の記録では、通常のビジター用の入館証が渡されている。彼女を引き入れたのは田中主任かい? 本来いるはずのない者が、たくさんの器材を抱えて給湯室から出てきた時に百田君とぶつかった。場所と状況を考えると、百田君が一方的に加害者扱いされるのはおかしいと思うのだが、違うかね?」
「でっ、ですが! 実際麗奈ちゃんは突き飛ばされて怪我までして……! それなのにソイツは一言も謝らないんです! おかしいでしょう!」
「れいな、ちゃん? 君はその営業の女性とずいぶん親しいようだね。しかも自分の部下をソイツ呼ばわりとは。本来君は部下を守る立場にあるのに、積極的に貶めようとするその姿勢が間違っているのではないかね? どうも田中主任は私情に走りすぎて冷静に物事を考えられないようだ」
「……っ、ですが」
「もういい。冷静に話せないようだから君の主張は文章にまとめて出すように。この件はコンプライアンス部で調査を進めるから、処分が決まるまでは自宅でリモートワークにしなさい」
主任が愕然とした表情でその場に固まる。
専務の口調は穏やかであるものの、怒気をはらんでおり、ただ聞いているだけの理沙たちもひゅっと息を呑むほど恐ろしかった。
その後ろにいる男たちも、きょどきょどと目を泳がせている。自宅待機とは言え、実質謹慎みたいなものだ。嫌がらせをしてきた自分たちがどのような処分を受けるのか戦々恐々としている。