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第27話 上告書


 ……あったかい。

 まどろんでいる時間が至福でまぶたを開けたくない。このまま二度寝してしまいたい。アラームが鳴らないからまだ寝ても大丈夫だろうか……。時間を見て……。

 スマホ……。スマホ……?


「おはよ」

「! おは、えっ? 圭司っ? あっそうか昨日私寝ちゃって……! ごめんっ! もう朝⁉ どうしよう、仕事あるのに……」


 目を開くと鼻が触れる距離に圭司の顔があり、驚いて飛び起きた。

 時計を見るともう六時半を過ぎていて、自宅に帰って着替えていたら会社に間に合わなくなりそうな時間だ。着替えもないからどうしようと青くなっていると、圭司がのそのそと起き上がって理沙をまたベッドに戻す。


「ウチから会社行くなら八時にでれば間に合うだろ。朝飯作るからまだゆっくりしてな。あ、これ萌絵から着替えとか借りてきたから、ひとまず今日はこれでいいだろ」

「えっ? 萌絵の? いつの間に」


 紙袋を渡して圭司は寝室から出て行ってしまった。中身を見ると、クリーニングの袋に入ったままのスーツとシャツ、未開封のストッキングまで入っていた。それにメモが挟まっていて『化粧ポーチは持ってる? なかったら朝早めに連絡して! 出社前に合流しよ』と書いてある。

 萌絵の細やかな気遣いに心がじんとなる。

 朝まで起きないだろうと見越して圭司が着替えを貸してもらうよう頼んでくれたのだ。二人の優しさに涙がにじむ。

 ここ最近は会社で心無い言葉をぶつけられて気持ちが疲弊していたから、この混じりけのない優しさが泣くほど嬉しかった。

 カバンには化粧ポーチを入れていたから最低限の化粧ができそうでよかった。ひとまず顔を洗わせてもらおうと寝室を出ると、台所に立つ圭司と目が合う。


「もう起きた? 二度寝しなくていいのかー?」

「十分寝たよ。ありがとね、何もかも……」

「洗面所使うだろ? 鍵かかるから着替え持っていってそこで着替えな」

「あ、ありがと……」


 別に圭司がのぞく心配なんてしていないのに、と言いかけてやめた。彼の言葉に従って洗面所に入ると、タオルと洗顔料がおいてあった。

 気遣い細かすぎだよとつぶやきながら冷水で顔を洗う。萌絵から貸してもらった服はサイズがぴったりで、そういえば彼女とは体形があんまり変わらなかったから、高校生の時にお泊りして服を貸し借りした思い出がよみがえる。

 軽く化粧をして髪を整えてからリビングに戻ると、圭司がテーブルに朝食を並べている最中だった。


「お、萌絵の服ぴったりじゃん。さすが親友だな」

「そうなんだよ。ジャストサイズでビックリした。あ、朝ごはんすごいね。美味しそう。手伝わなくてごめん」

「ほとんど買ってきたもんだから手伝うことなんかねーよ」


 デニッシュとハム、サラダとフルーツが奇麗にお皿に盛り付けられている。カウンターのコーヒーメーカーがそろそろできあがりそうだ。コーヒーカップを渡されて、席に座るよう促される。


「さ、食おうぜ。コーヒー今入れるから。あ、ミルクこれな」

「ありがと。いい匂い……。これどうしたの? いつ買ってきたの?」

「昨日萌絵に会った帰りにスーパー寄ってきたんだよ。そこ、パン屋もあって割と美味いんだ。夜遅くまでやってるから便利なんだよ」

「うん、デニッシュすっごく美味しい。パン好きだから嬉しい」

「知ってる。高校ん時パンばっか食ってたイメージだもんな。昼飯と部活前とかもパン齧ってるの見かけて、いっつもパン食ってるって思ってた」

「わああ、だって部活の前に食べないと体力持たないんだもん」

「いーじゃん、美味しそうに食べる理沙、ハムスターみたいで可愛いって思ってたし」

「頬がパンパンになるまでパン詰め込んでたイメージ?」

「もぐもぐしてんのがかわいーってイメージだよ。大丈夫褒めてる」

「褒められている気がしない~~!」


 笑いながら食べる朝食は、これまでの人生で一番美味しい朝食だと感じた。ゆっくりコーヒーを飲むのもいつぶりだろうか。

 ここ最近、会社に行くと思うだけで吐き気に襲われるような日が続いていたのに、こうして圭司と向かい合ってコーヒーを飲んでいると、今日は大丈夫だと思えてきた。


「萌絵にも昨日の件伝えておいた。アイツも含めてまた話し合おう」


 萌絵も麗奈の行動に危機感を覚えているらしい。

 やはり先日ぶつかってきた件から含めて、この嫌がらせも彼女が仕組んだことなのだろうと意見が一致したと教えてくれた。

 恐らくというか間違いなく、男性たちはあの事故がある前から何か吹き込まれていて、理沙を悪者にする下地を敷かれていたと萌絵は考察したという。

 事前に麗奈から『理沙に逆恨みされている』とか『陰で嫌がらせをされている』などと相談をされていたら、男性たちにはあの事故が駄目押しになっただろう。


 麗奈の攻撃に対して完全に後手に回ってしまった状態のため、これからどう防御と反撃をしていくか……と話している間に時間になってしまったので、慌てて出社準備をして家を出る。


「ごめんね、昼休みにまた連絡する」

「おっけ。そうだ、理沙の上がる時間に間に合わないかもしれないから、合鍵預けておく」

「合鍵⁉ え、私に預けていいの? ちょっと不用心じゃない?」

「だからちゃんとなくさないようにしてくれよー」


 出掛けのバタバタで合鍵という重要なものを渡されて慌てているいるうちにドアを閉められてしまった。

 合鍵と言ったが実物はカードキーのような形状で、エントランスのオートロックもこれで入るらしいというのは、圭司と入室するときに見ている。

 こんな大事なものを他人に預けていいのかと心配になるが、ひとまずなくさないようにカードケースにいれておいた。


 自宅より圭司の家からのほうが会社に近いため、普段の出勤時間より早めに着いた。

 誰もいないだろうと予想していたが、オフィスのフリースペースに同期の船橋菫がいた。PCに向き合って何か作業をしている。


「菫ちゃん? おはよう、早いね」

「うん、ちょっとこれ……コンプライアンス部に報告する内容なんだけどさ、まとめてみたから確認してみて」


 PCの画面を向けられて中身を見ていると、上長や一部の男性社員による理沙への嫌がらせに関するコンプライアンス部への上告書だった。


「えっ? もしかしてそれ作るために早出してきたの? ごめん、私がやらなきゃいけないのに」

「こういうのは当事者からの訴えだけじゃなくて、第三者からもあったほうが緊急性高いって判断してくれるでしょ。職場の雰囲気も悪いし、主任の嫌がらせは完全にパワハラだし、あれを見ている私が嫌なのよ。男どもはしらばっくれられるかもしれないから、皆も嫌がらせを見聞きしているって報告しときたいの」


 報告書には、他の人たちが見聞きした理沙への暴言や嫌がらせの内容が事細かに記述してある。昨日今日の話ではなく、ずっと以前から他の人たちから情報を集め報告の準備を進めてくれていたらしいと分かる内容だった。





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