「あ、萌絵? 悪いんだけど、服貸してくれねえ? ああ、うん、そう。理沙が今ウチに来てて、詳しいことはまた会った時に話すけど、明日の仕事は行くつもりだろうから、着替えが欲しいかなって。うん……うん。じゃ今から行く」
電話を切って上着を羽織る。
車の鍵を取り、玄関に向かう前に寝室のドアを開けて様子を窺うと、理沙の小さな寝息が聞こえるのを確認してからそっと扉を閉めた。
車に乗って萌絵の家の近くにあるコンビニへ向かう。
幹線道路沿いで駐車場が広いコンビニを指定してくれたのは萌絵の気遣いだろう。車を停めるとほどなく紙袋を持った萌絵が現れ、圭司の車を見つけると助手席に乗り込んできた。
「ほら、これ。一応シャツと上着とスカート持ってきたけど、理沙には言ってあんの?」
「いや、相談する余裕もなかったから俺の判断。理沙は会社休まないだろうし、かといって昨日と同じ服じゃ嫌だろうから」
「……一応訊くけど、自宅に服を取りに行くっていう選択肢がない理由は?」
「理沙とカフェにいたら、跡をつけてきたみたいで例の幼馴染が現れたんだよ」
「あちゃあ」
カフェは理沙の会社の最寄りではない。
会社の人に見つかりたくないから、わざわざ会社から離れた駅にまで来たのに、あの幼馴染は現れた。ということは、理沙が会社を出たところかつけてきたのか、誰かに跡をつけさせたに違いない。
「理沙の家はバレているから、理沙を帰すのは危険だ。荷物を取りに俺が行くのも、跡をつけられる危険性があるし、俺の車を覚えられるのも避けたかった。こんな夜中に悪いと思ったけど、頼れる相手が萌絵しか思いつかなかった」
「服を貸すぐらい全然構わないわよ。うちらの間で気遣いとか要らんし。ていうかさ、会社で起きている嫌がらせも関係しているよね? 私も話は聞いているけど、一部の男どもがネチネチ絡んでくるんだって。直属の上司がそっち側ってのが最悪だよ」
「コンプライアンス部に相談しろってアドバイスしたけど、上司が敵だとやりにくいな」
「同僚の男どもはともかく、公平な立場で判断しないといけない上司がそれってもう頭がおかしくなったとしか思えないわ」
「例の幼馴染に関わると、みんな頭が馬鹿になるな。裕太もそうだったし。アイツも元々はあんな馬鹿じゃなかったのに、ホント別人みたいになってたし」
裕太のことを思い出すと今でも苦い気持ちになる。
一度は親友と呼びたいくらい仲が良かった。優しくていい奴だった。
あの幼馴染と出会ってからアイツはおかしくなってしまった。
バレー部の仲間たちが説得しても聞く耳を持たず、裕太は暴走して自滅していった。例の幼馴染と裕太が付き合ったのはせいぜい一カ月ほどらしいのに、たったそれだけの期間で人格を変えてしまった。
あの女は危険だ。
理沙に執着する理由は分からないが、手段を択ばず平気で嘘をつく彼女は完全にモラルが欠如している。だから普通の人が考えもしないような卑怯で残酷な手を使ってくる可能性がある。警戒してもしすぎということはない。
「私もあの女はヤバイと思う。高校ん時はただ理沙にマウント取りたいだけのバカ女だと思ってたけど、今の状況は常軌を逸しているよ。どうにかできないかなーこのままじゃホントに理沙が潰されちゃう」
「……こっちから仕掛けるか。叩けば山ほど埃が出そうな女だもんな。男とのトラブルも水面下でいくつも抱えていそうだ」
「お、圭司クン悪―い顔してるぅ。いいよやっちゃおうぜ。あの女の周辺探ってみよう。私もあの女の高校出身の知り合いもいるし、割と情報集まるはずだよ」
「あと持っている物も高いブランドもんばっかだったな。男たちに貢がせてるんだろーけど、金銭トラブルとかもありそうだな」
「なるほど。だったら元カレとか取り巻きだった男たちの名前も調べてみるか」
「うん、頼むわ。探偵入れる前に、どっから攻めるか考えたいし俺もまずは知り合いを当たってみる。じゃ、悪いけど戻らなきゃ。寝てる理沙置いて来てっから」
家の前まで送ると言い車のエンジンを入れようとした時、萌絵がちょっと待ってと止めた。
「えっとさ、一応確認だけど、アンタのそれって友達の手助け? ふつーただの友達のために探偵とか考えないよね? もしかして、下心アリの親切?」
「……萌絵には見抜かれているかと思ったけど、あえてそれ聞いちゃう?」
「うわ! やっぱりか! ちょっと待ってよ、いつから⁉ 偽装彼氏引き受けた時はまだ下心なかったよね?」
「あったけど?」
「こらー! それじゃ最初っから偽装じゃないじゃん! 早く言いなさいよ!」
はははと笑ってごまかすと、萌絵も呆れたように笑ってそれ以上問い詰めてこなかった。なんだかんだ言いつつ、萌絵は圭司の気持ちを見抜いていたはずだ。だから偽装彼氏の話が出た時、まっさきに圭司に連絡をしたのだろうから。
萌絵を家に送ってから帰宅すると、理沙はぐっすりと寝入ったままだったためホッと息をつく。
冷静になってみると、自分のベッドに理沙が寝ている状況にそわそわして落ち着かない気分になる。
「一緒に寝ていいって、許可もらったしな~……」
信頼されている……とは思う。
だがそれは友達としての親切だと思われている。口説き文句も身体的接触も、遊び人の悪戯と受け流されているから、もし圭司が本気だと知ったらどう反応するだろうか。
嫌悪はされないだろうが、今のように近しい関係ではいられなくなるだろう。圭司の気持ちを利用するような真似はできないとか言って、悩んで離れていく気がする。
利用できるものは利用してくれればいいと言っても潔癖な彼女はそれを許さない。
だから今は、嘘をつく。
動くとしたら、全てが終わってからだ。
理沙の安らかな寝息が聞こえて、胸が締め付けられる。
キングサイズのベッドは二人で寝てもまだ余裕があるが、体温が感じられる距離に寄り添うと、温かさを求めるように理沙のほうからすり寄ってきた。
起こさないように軽く抱きしめるとむにゃむにゃと何かを呟きながら微笑んでいる。
「かわいいな……」
理沙が好きだ。
一度はあきらめた人だったけど、手を伸ばして届くところに彼女のほうから飛び込んできた。抱きしめることを許される立場になった今は、もうどうやっても諦められそうにない。
真面目で不器用で割を食ってばかりの彼女を守ってやりたい。
誠実に生きてきたのにこんな仕打ちを受けるなど理不尽だ。傷つけられて疲れた顔を見た時、いっそあの幼馴染の手が届かないどこか安全な場所に閉じ込めてしまいたいとすら思ってしまった。
楽しそうに仕事の話をする彼女はそれを望まないと分かっているから辞める選択を提言する気はないが、今のままでは近いうち理沙がつぶれてしまう。
細い肩を撫でながら、圭司はこれからどうすべきかを考えていた。
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