「あ、ぐうっ……!」
マシロはどうにかもがいて、触手の海から脱出しようとしている。魔法で反撃できないのか、と思って気が付いた。
例えばハンティング・ワールドのモンスターの中には、魔法攻撃を無効とするタイプの敵もいる。モンスター自体に一切魔法が効かないタイプもいれば、特定の攻撃を受けている間一切魔法が使えなくなるタイプもいるのだ。
龍也の場合、普段自分も周りも魔法系ジョブを取っていなかったのでさほど気にしたことはなかった。しかし、マシロがさっきからちっとも魔法を唱えないあたり、これは触手に囚われている間は魔法が使えなくなるタイプである可能性が高い。
魔法が使えなければ、彼女はただの華奢な女の子だ。あの触手の群れから抜け出すことは難しいだろう。
「ぼ、僕に構うな!」
龍也がこちらを見ていると気づいたからか、マシロが言った。
「それより、さっさと怪獣を倒せ!……もう、わかってるだろう?これは……キル一人を助けるための戦いではない、と!」
激しく暴れているせいか、彼女が運ばれるペースはさっきの少女達と比べるとかなり遅い。
それでも着実に、触手は彼女を怪獣の口がある方へ持っていこいうとしている。
「ユートピアの創造主に会って、謎を解き明かさなければ……止めなければ、これからもキルたちのような被害者は増え続ける!これは、世界さえ滅ぼしかねない重大な問題だ。これ以上、人間たちの世界を壊させるわけにはいかない、そうだろう!?」
「ま、マシロ……!」
「僕は……僕には何もなかった。つまらない人間だった。でも、SR社のおかげで人の役に立てることを知った。世界を助けるために死ねるなら……それも本望だ。だから、早く!」
本当は、とてつもなく怖いはずだ。彼女の顔は初めて見るほど青ざめていて、体は明らかに震えている。
死にたくないのだ。当たり前だろう、そんなことは。
ましてやさっき、怪獣に食われた者たちの恐ろしい末路を見てしまったから尚更に。
――確かに、コイツをぶっ倒さないと……ユートピアの管理者のところには行けない。霧人を助けることも、謎を解き明かしてみんなを救うこともできないかもしれない。でも……!
だからって、マシロを見捨てるなんて。そんなこと、できるはずがない。
そうだ、結論なんか最初から出ている。
『ヒーローになりたいって、そう思ってたなって思い出して。此処で頑張れたら、子供の頃に捨てた夢に近づけるような気がして。いい年の大人が何かっこつけてんだーってかんじですけどね』
金華の台詞を思い出していた。
自分も、同じだ。ヒーローになりたかった。大人だけれど、本当はずっと、誰かを守るヒーローみたいになりたいとずっと思っていたのだ。そうすれば、自分自身を誇れるような気がして。胸を張って生きていけるような気がして。
ならば。
――目の前の女の子一人助けられずに……何がヒーローだ!
「……おい、マシロ!」
気づけば、叫んでいた。
「いい方法を思いついた。……お前、杖に魔法を纏わせてぶっ刺す系とか、そういうの使えるか?」
「え?」
「今は、その触手に絡みつかれてるせいで魔法が使えないんだろう?そうじゃなくて、普段の状態なら、だ」
あまりぐだぐだ話している時間はない。どんどんマシロの体は、怪獣の頭へ近づいていっている。
同時に、怪獣はまっすぐ道を全身し、道路上に遭った全てを踏みつぶし続けていた。その終点にあるのは、海だ。――海に飛び込まれてしまったらもう、人間である自分達にはどうしようもなくなってしまう。怪獣は泳げるかもしれないし呼吸もできるかもしれないが、自分達はそうではないのだ。
「……“Meteor-Lance”なら、なんとか。杖を魔力で強化して、槍に見立てて突き刺す技だ」
メテオランス。
その魔法は見たことがある。基本は、それなりに腕力がある人間が魔法と一緒に使うことが多い技だったはずだ。
ハンティング・ワールドには様々な魔法がある。過去一緒に討伐ミッションをした仲間の一人が、そんな技を使っていたはずだ。
「今から俺が言うことをよく聞け。時間がないからな」
「え」
作戦を伝えると、マシロは明らかに困惑した顔をした。
「……そ、それは……本当にできるのか?それよりも君が一人で、頭に剣を突き刺した方がいいんじゃ……」
「いや、何か見たところ、後頭部も結構堅そうなんだよ。俺の剣でも攻撃が通るかわからねえ。だったら。もっと確実にダメージ通る場所を狙った方がいいと思わねえか?それに、どんなモンスターも魔法と物理の両方がノーダメージなんてことはまずないだろ。どっちかは弱点のはずだ。だったら、両方同時に叩きこむにこしたことはない、違うか?」
「わ、わからなくはないが……」
マシロを助けるためだけじゃない。これは、合理的な理由あっての作戦なのだと繰り返し説明する。
「お前が迷うのもわかる。確実じゃないしな。でも……俺はこれが、一番勝率の高いやり方だと思ってるぜ。何より」
龍也はまっすぐ、マシロを見つめた。
「お前を死なせたら、もう俺は……笑って生きていけねえよ。お前、俺から一生笑顔を奪う気か?」
「……っ!」
くしゃり、とマシロの顔が泣きだしそうに歪んだ。嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか――あるいは、それ以外のもっと複雑な感情か。彼女はぎゅっと唇を噛みしめ、そして。
「わかった、やる」
「……そうこなくっちゃ!」
そうと決まれば早い。
龍也は大剣を抜くと、左で怪獣の背びれに捕まりつつ、右手で下手に構えた。マシロは今、自分の右手側で触手に捕まっているからだ。
――リアルの俺なら、こんな大剣片手で持つとか無理だっただろうけど。ゲーム世界の俺なら……できる!
見たところ、怪獣の表皮はごつごつと固いが、触手はふにふにとしたイソギンチャクのような素材のようだ。数が多くて蠢いているから脱出できないだけである。
ならば、こいつを剣で断つことならできるはず。そして。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
力をこめて、マシロの体の下を――救い上げるように、剣で薙ぎ払った。一瞬にして、彼女を拘束していた大量の触手が切断される。
同時に。
剣の風圧によって、マシロの体が大きく空へと舞い上げられた。なんとか方向は合っている。マシロがだいぶ頭に近いところまで運ばれていたのが功を奏した。彼女はそのまま、怪獣の顔の上に落下していく。
「グオ?」
突然降ってわいた小さな影に、怪獣もここでやっと気づいたのか真っ赤な目をまんまるにした。だがもう、遅い。空中で、マシロの体は既に赤い光を纏っている。その光が、杖の先端に集約していく。そして。
「“Meteor-Lance”!」
その炎を纏った切っ先が、怪獣の右目に突き刺さり、爆発した。
「お、お、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ぐじゅうううううう、と深々と刺さる杖。大量に噴き上がる血。怪獣の後頭部からも、砕けた骨や血が噴出し始める。眼窩を貫き、頭蓋骨の内側で魔法が爆発したのだ。いくら外皮が固いモンスターでも防ぎようがない。
そう、龍也の作戦は。敵がどうあがいても守りようがない、眼球を狙うというもの。
ただし、龍也が背後から狙ったのでは、どうしても力を出し切れない。それに、振りかぶっている最中で敵に気付かれて振り落とされる可能性もある。また、低い確率とはいえ敵が眼球にまで物理耐性を持っている可能性も否定できない。ならば。
マシロを救出すると同時に、彼女が全体重をかけて杖で敵の目玉をぶっさし、零距離で魔法を爆発させる――それが、一番勝率が高いと踏んだのだ。
「わ、わわわっ」
「がっ」
怪獣があまりの苦しみにのたうち始める。ずるり、と杖が抜けてマシロが振り落とされた。
「マシロ!」
龍也は怪獣の背中を駆け下りて地面に降り立つと、落ちてきたマシロの体を抱きしめる。彼女の体は怪獣の真っ赤な血液にまみれて生臭かったが――それ以上に、美しかった。
そうだ、命をかけて懸命に戦った戦士は、いつだって美しいものなのだ。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
脳を傷つけられては、どんなイキモノも生命活動を維持できない。
怪獣は眼球と頭の痛みにもだえ苦しみ、暫く足元をふらつかせた後――ビルをなぎ倒すようにして、倒れていった。
凄まじい崩壊音。そして地響きが地面を揺らす。龍也は必至でマシロの体を抱きしめ続けた。
「た、タルト……」
マシロが茫然とした様子で、顔を上げる。
「や、やったのか?僕達は」
「ああ!お前すげえよ、マシロ!あんたのおかげだ!!本当にありがとう!!」
思わず叫べば、マシロは頬を染めて、“違う”と俯いた。
「凄いのは……タルト、君だ。本当に、ありがとう。……助けてくれて、ありがとう」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!と割れるような歓声が響き渡った。なんだなんだと見れば、かろうじて無事だった一部の住人たちが、こちらに走り寄ってくるではないか。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
「あいつを、まさか倒してくれる人がいるなんて、ほんと、マジで……!」
「ありがとうございます、勇者様!」
「あんたらは、俺達のヒーローだ!」
「本当の、本当にありがとう、ありがとう……あああああっ!」
彼らが人間なのか、幻なのか、あるいは門番の一部なのかはわからない。しかし少なくとも、泣きながら自分達にお礼を言ってくる人々が、なんらかの演技をしているようには見えなかった。
同時に。
例えそれが、定められた試練なのだとしても――人にありがとうと言われることがどれほど貴いのか、龍也は身に染みて実感したのである。
世界を救う英雄なんて、大それたものでなくても本当はいいのだ。
誰かにありがとう、と言える人生ならば。ありがとう、と言ってもらえる人生ならば。
少なくともその瞬間、その人のヒーローはたった一人なのだから。
「お礼をする!あんた達の望みを叶えよう!言ってくれ!」
高齢男性が、泣きながら握手を求めてくる。龍也は照れながらそっとその手を握った。そして。
「……じゃあ、頼みを聞いてもらおうかな」
考えたのだ。
この世界で、自分が本当にするべきことは何なのかを。