№000、中央管理棟。
そこは真っ白なダンスホールのような空間だった。円形のホールをぐるりと支える何本もの白い柱。天井はどこまでも高く、吹き抜けになっているようだった。が、見上げた先に見えるのは暗闇ではなく真っ白な光だ。天井が強烈に発光していて、その光が下の方まで降りてきているということなのだろうか。
異質なのは、部屋の中央にある物体。スーパーコンピューターを思わせる巨大な箱が、何本ものコードに繋がれて鎮座している。稼働中なのか、ごうんごうんとひたすら音を立てており、少々熱を発しているのか近づくと少しだけ暑かった。
そしてそのコンピューターの前に鎮座しているのは、真っ白な天使の石像である。龍也とマシロの姿を認めると、ごごご、と音を立ててその首が動くのがわかった。
『ようこそいらっしゃいました、選ばれし者よ』
石像は機械的な女性の声で語り掛けてきた。ボイスロイドか何かで作ったような声である。
『わたくしの目的は、既にお二人はご存知のことと思います。貴方がたが“№090、玩具箱”と呼ばれる場所で、長老と呼んでいる門番から全て聞いているのでしょうから』
「……俺達がやってることは全部、お見通しってわけか」
『当然です。わたくしは、このユートピアを作った神なのですから』
神。
自分で堂々とそう名乗られてしまうと、もう笑うことしかできない。
言葉こそ丁寧だが、思った通りなかなか傲慢で自信過剰な相手であるようだ。そのくせ、目の前にいるのは“本人”ではなく、本人の言葉を伝える機械なのだから呆れるしかないが。
「あんたにとって、現実世界はつまらないだけの場所か。だから、新しい世界を作って、そっちに住人を全部移そうって?資格がない人間はみんな死んでもいいってか」
『やや悪意のある言い方ではありますが、概ねその通りではあります』
無表情の天使像が、まるで笑っているようにカタカタと揺れた。
『貴方だって、この世界の退屈さ、くだらなさに辟易していたはず。そうでなければ、バーチャルリアリティのゲームなんぞにはまりこむはずはない。それは全て、くだらない日常を忘れ、幸福で刺激的な世界に浸りたいという願望であり逃避行動……そうでしょう?』
散々な物言いである。
完全に否定できないのが悔しいが。
『いじめ、貧困、戦争、テロ、ブラック企業、毒親、虐待、DV、虐殺、レイプ、カルト宗教にモラルハラスメント、ブラック校則にセクシャルハラスメント……少し思いついただけで、世界には様々な問題で溢れています。それらに苦しみながら人はリアルに興味を持てず、ただただ惰性で生きている。そして、もっと理想の世界に行きたい、理想の自分になりたいと願うからこそ……都合の良いゲームやライトノベル、アニメ、漫画に逃げ込むのでしょう?』
「否定は、しねえよ」
『そうでしょう?異世界に行ってチート無双したい、何の努力もせずにイケメンや美女に溺愛されたい、誰も自分を否定しないで、ひたすらちやほや持て囃して肯定してくれる場所に行きたい、好きなだけ性欲や自己顕示欲を満たしても誰にも文句が言われないセカイでありたい……。愚かな嫉妬や欲望から逃れて自由になりたい、それは人として当然の感情。そう願うほどこの世界は薄汚れていて、見る価値などどこにもないではないですか』
だから自分が作るのです、と。天使像が両手を広げた。
『わたくしには、それだけの科学力がある!この世界の人間が持っていない理想郷を、この手で作り上げる力が!……ですが、リアルのくだらない世界を作ったのもまた人間。くだらない人間を呼び寄せてしまったら、せっかくの理想郷もまたくだらない世界になり果ててしまう。ですから、わたくしは選ばれた人間のみ、ユートピアに永住する権利を与えることにしました。そう、勇気ある人間です。すなわち』
笑みを含んだ、声。
『過酷で未知数なユートピアのエリアをいくつも冒険し、乗り越えて生き延びる力を持つ者。特に……わたくしの元まで辿り着けた貴方たちは本当に素晴らしい。……もうわかったでしょう?わたくしが、このユートピアを調査し、あわよくば破壊しようというSR社の思惑を、エンジニアたちを放置してきた理由が』
「調査しようとする人間は、いくつものエリアを巡り、乗り越える。危険に挑むだけの気概を持っている。あんたが欲しい人材がそこにいる可能性が高かったわけか」
『その通り。どうせ、貴方たちには現実の世界にいるわたくしを見つけることも、倒すこともできないのですから』
理解した。
つまり、この創造主にとっては――すべての事件は、“選ばれし者を見出す審査”でしかなかった、というわけだ。
事件を起こし、それを解決しようと動く勇敢な者達こそ真のスカウト対象。もちろん、最初にユートピアに引きずり込まれた者達の中にも運よく適格者がいればよし。
この中央管理棟に辿り着くために面倒な手順を踏む必要があるのも、ようは“複数の危険なエリアを乗り越えた者にしか資格がないから”に尽きるということだろう。
「……あんたにとっては、くだらないことかもしれないけど」
龍也ははあ、とため息をついた。
「俺さ。……最近エイトマートで発売された、チーズ入り唐揚げが大好きなんだよな」
『はい?』
「あと、来月にはずーっと待ってた漫画の新刊が出る。あとあと、大好きなユーチューバーが来週新しい動画アップするって予告出してくれてて、超楽しみにしてんのね」
『…………』
「仕事はつれえよ。めんどくせーよ。でも……ちょっとだけできるようになった時は成長を感じて嬉しいし。何かをして、誰かにありがとうって言われたら、それだけで嬉しい。マジで耐え切れなくなったら転職したっていいんだよな。可能性って、一つじゃないんだし。そしたら、もっと毎日やりがいがある仕事だって見つかるかもしれねえ」
何が言いたいのかといえば、こうだ。
龍也は創造主を見上げて言う。
「現実の世界って。……あんたが思ってるほど、嫌なことしかないわけじゃ、ないよ。小さなことでも、楽しいことはたくさんある。そして現実の世界があったから、俺は……霧人に出会えたし、大好きな家族と上手い飯も食えるんだ」
そんな些細な喜びがあるからこそ、人は生きていける。
妄想だけしか、誰かが作ってくれたかりそめの楽園でしか楽しみがないなんて、そんな悲しいことを言わないでほしいのだ。
「あんたが自分の理想郷を作りたいって思う気持ちはわからなくもねえ。でもな。……それを、他人に押し付けんな。ユートピアは面白いことも多いけど……それでも、俺達が生きるべき世界は別にあるんだよ。霧人だってそうだ。あいつだってきっと、元の世界で生きることを望んでる」
だから、と龍也はまっすぐ天使を見つめて告げた。
「霧人が今いる場所を教えてくれ。でもって、俺達とあいつを、元の世界に返してくれ。……それから。無理やり人を、ユートピアに連れていくのはもうやめてくれねえか」
『…………』
しばし、沈黙が落ちた。
天使像の首ががくん、と音を立てて動く。まるで何かを考えこんでいるかのように。
『では』
沈黙の後、天使像は告げた。
『一つ、条件を出しましょう』
***
龍也から、一通りの話が終わったところで。
病院のベッドの上、上半身を起こして霧人はため息をついた。いやはや、自分が入院している間にそんなことになっていようとは。
いや自分も、ずっと眠っていた、と言われて頭を抱えているところだが。
「……マジ?」
「ああ」
霧人が尋ねれば、龍也は苦笑いをして言った。
「だって、条件呑まないとお前を助けてくれないって言うんだぜあいつ。つか、俺らも中央管理棟から出るためには天使様の力を借りるしかなかったんだよ。あそこ、実は出口ないみたいでさ」
「まあ、他に方法はなかったかもしれないけどさあ。……はー、まーたあそこに行かないといけないのか。しんどー」
「それはその、すまん」
「いや、いいって龍也。助けて貰ったのはオレだ。ありがとな」
「うん……」
自分達は、ユートピアから元の世界に戻ってくることができた。
霧人は№044、宝石の洞窟で洞窟の壁を壊して脱出した後、“№045、緑の海”や“№019、歪んだ迷路”や“№076、命懸けゲームコーナー”などの空間をさ迷う羽目になっていたのである。しかも、自分の場合は龍也と違って、マシロのようなガイドがいなかった。なんとか生き延びることができたものの出口が見つからず、どうすればいいか途方にくれていたら突然世界が真っ白になって――気づいたらゲーム世界まで戻っていたのである。
そのままログアウトしたら、現実に帰還でき、入院中の体も目覚めることができたというわけだった。
問題は。
「ユートピアの神は、“勇気ある者”を求めている。つまり、あの空間を探索してくれるような挑戦者を」
頬を掻きながら言う龍也。
「俺、マシロ、霧人はその適格者らしい。俺達がSR社に雇われて、今後もユートピアの調査を行うこと。そうすれば、ひとまず俺たちは元の世界に返してくれるってさ。……他の人の“スカウト”を止めたかったら、お前たちで止めてみろとか豪語された」
「自分は絶対に見つからないって自信があるわけか。ていうか、本人はユートピアじゃなくて現実にいるわけ?中央管理棟に本人がいなかったってことは」
「その可能性が高いけど、言い切れないってマシロは言ってた。創造主=ハッカーはSR社にいろいろ送りつけたらしくて、さっきにはもうSR社から正式に雇いたいって連絡来たよ。お前のとこにもそのうちメール行くと思う。……条件も、コレ一本で食っていけるくらい給料出してくれるらしい」
「でなきゃ駄目だろ、命がけなんだし」
「いや、ほんとそれ。マシロも、実はこっちは副業みたいなかんじだったみたいでさ。この金額なら本業の仕事やめられそうだって言ってた」
「そっかあ」
確かに、危ない仕事ではある。霧人としては、バンドとうまく両立できる方法も考えなければいけないところだろう。
しかしなんだか、龍也の方は――少し嬉しそう、に見えてしまうのも気のせいだろうか。
「君、ちょっとわくわくしてますう?」
霧人が尋ねると、龍也は明後日の方を向いた。なんとも、わかりやすい男である。
どうやら自分達には当面、平穏な日々など訪れないようだ。
むしろ、これが全ての始まりなのかもしれないが。
――ま。しょうがないか、それも。
自分もどこかで、悪くないと思ってしまっている。
ヒーローになりたいと思っていたのは、自分も同じであるのだから。
***
『それで、マシロ。君は了承してくれるのかね?』
「はい。……ここまで給料を上げてくださるのでしたら、こちら一本で食べていくこともできそうですから。私としても、こちらの方が適職だとは思っているので……助かります」
『それはよかった。……タルト、キルの両名へのスカウトは成功しそうか?そういえば、タルトのことは、リアルでも知り合いだと言っていたが』
「ええ、まあ……。なんとかします。彼も、会社は辞めたがっていた様子ですし」
『そうか、ならいい。よろしく頼むよ、マシロ』
「了解しました……社長」
オンライン会議が終了。画面が、元のログイン画面に戻る。
ユートピアでの数々の事件。自分にとっても、怖いことはたくさんあった。正直、怪獣に襲われた時は本当に死ぬかと思ったのだから。
けれど――恐怖を超えるくらい、得るものがあったのも事実なのだ。眼鏡を外してパソコンの横に置くと、マシロ――石狩鮎子は、見慣れた自室の天井を見る。
「……利根川さん」
その名前を呼ぶだけで、胸が高鳴った。彼は知らないだろう。あの会社で、出来損ないの自分がそれでも頑張ることができていた理由。それが、毎日彼に会えるから、であったことなんて。
タルト、の正体が利根川龍也だと知っていたからこそ、何を捨てても助けに行ったなんて。
『あんたには感謝してもしきれない。何度も何度も、どうしてそんなに俺を助けてくれるんだって思う。……なんか後でお礼させてくれ。その、リアルも知らないから、できることには限りがあるけど』
思い出す、彼の言葉。
“マシロ”にしてくれた約束――それを、鮎子が使っても、彼は許してくれるだろうか。
「……貴方なら、受け止めてくれる?本当の、“僕”を」
静かな部屋。祈る言葉は、そっと沈黙に溶けていった。