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獣の本分




 永世中立都市ダフロイトは<北海の和約>の条約により、自衛と治安維持活動目的においてのみ軍を持つことが許され独立を実現する。

 これは毎年開催される世界会議において審議され、条約違反が認められない場合において中立都市としての機能維持を認められた。

 条約の中には、行き過ぎた軍備が行われていないかを確認する条文が存在し、そもそもダフロイトの存在に異議を唱えるアークレイリはこれに毎年異議を唱え却下され続けた。

 ではなぜ、それが却下されるのかと言えば、その要因は眼前で隊列を組み、きびきび行軍するダフロイト警備隊といってもよい。


 自衛にあたるダフロイト軍とは外敵からの防衛にあたることを主とすることから、実質上、戦闘行為を行う機会が少ない。しかし、警備隊とは国内外からやってくる要人の護衛から凶悪犯罪行為の鎮圧、各国への暴動首謀組織の制圧など戦闘経験、ならびに装備の幅が多岐にわたる。そう、外向けの戦力と内包する戦力に大きな差がある。

 そういった側面から実質上の軍機能としては警備隊の方がはるかに上だと云えた。

 そしてそれは条約の網をくぐり審議対象としての枠組みから外される。この方便は過去に侵略戦争を首謀したアークレイリへの牽制として機能することから、各国間では黙認された。





 ——大雪像祭当日 ガライエ砦へ続く坂道。



 エステルの前で軍馬を走らせるランドルフは夜戦用の貫頭衣をすっぽり被り闇夜に溶け込むように見えた。褐返色のそれは無駄な余白を持たず身体の線がでるかでないかの絶妙なバランスで着用する者を覆う。防寒に優れ、斬撃、刺突への耐性も持ち合わせた優れた防具だ。

 もちろん夜戦において迷彩機能を十二分に発揮する。

 前傾姿勢だったランドルフが不意に身体をもたげ、隊に行軍の中止の合図を送る。続いて手を水平に動かし下げると、皆一斉に角灯のフードを閉じた。


 エステルもそれにならい、フードを下げ光源を遮断した。


 そしてやってきた暗闇はエステルが数刻前に感じた、身体に纏わりつくそれよりも更に重々しく感じられる。暗雲が張り出し夜空を覆い始めると、満月は鳴りを潜め、その灯で足元を照らすこともない。


「ひと雨きそうだ」ランドルフがボソっとこぼし「臭いが流れてしまうから厄介だな」となにやら隊員に手信号で指示を飛ばした。数名の隊員が左右二手に別れ本隊から離れていく。青の細い筋がその軌跡をなぞった。離れていった隊員は分厚く黒い眼鏡を装着し、それが青い光を発していた。これは暗がりでも陽の光の下で物をみているような効果をもたらす軍事用装備でリタージ学派のコモンマジックの一つが原理となっている。


「ランドルフ?」


 エステルは深く被ったフードを跳ね除けながら馬をゆっくりと寄せた。


「ええ、砦までの一本道ですが恐らく脇の茂みに。このまま進むと後方へ付かれる可能性があるので、ここで潰してしまいます」


 そして人差し指を口にあて、これ以上の会話を制した。

 指を三本立て左右に動くよう信号を送ると、周囲に展開をしていた隊員は大隊長の指示通り三頭一組となり左右に陣取る。次に人差し指をたて、くるりと回すと背後に控えていた魔術師はふしくれた杖を取り出し、術式に魔力を流し込み始めた。


 ここに至るまで、ただの一言も言葉は口にされない。


 徹底された連携だ。

 エステルは故郷の練兵場での騎士教練を思い出しながら、この光景を眺めていた。アークレイリが執拗にダフロイトの武装解除と中立の無効化を訴えるのがわかる。

 洗練されたこの連携行動。騎士の誇りだなんだという、しがらみなく魔術や魔導も適切に組み込む柔軟さ。どれをとってもアークレイリに無い要素であり、古い国であるからこその風習に囚われこの先も、この要素を取り入れられることはない。

 最後にランドルフは双眸に人差し指と中指を当てると、すぐさま前に突き出す。前方を見ろとの指示だ。


 一瞬の静寂の後だった。


 ポッ……

 ポツポツ……

 ポッ

 ポツポツポツ——


 被ったフードの中に大粒の雨が音を響かせた。

 なにを急きたてる訳ではないが、雨音は早くなると拍子を掻き消し乱暴になる。最後にはザーとあらゆる音を上書き世界を単調にした。


 しかし——前方に伸びた緩やかな坂の一本道の向こうから、ドドドドという低音の束が何組か向かってくると、パシャパシャ、タタタタと軽やかな音が幾つにもバラけながら低音の前を進んでくる。単調な音の世界に姿を現したのは、騎馬に追われた吸血鬼の群れだった。

 目を細め、無数の白い雨の線の中に吸血鬼の姿を認めると、ランドルフは人差し指をくるっと回し前に振る。すると後方の魔術師は杖を軽く二回ほどふり、小さな青い光を輝かせると、一拍おいて一気に横に薙ぎ払った。前方で群れを追い立てる騎馬の一行が隊列を真っ二つに割ると、蒼白い光の筋が吸血鬼の群れを薙ぎ倒した。

 通り過ぎた魔力の束が宙に霧散するのを確認した隊員達は、速やかに下馬をし、倒された吸血鬼の首を斬り落として回った。

 その一撃を逃れた少数となった群れは前方に新たな騎馬の塊を発見すると、赤黒く目を光らせ唸り声をあげ、血に狂った獣のように四肢で走り襲い掛かろうとする。しかし、それも予測をしていたランドルフは左右に分けた隊へ指示を出し、ど真ん中を駆け抜けてくる群れを挟撃する。





 瞬く間の出来事だった。

 中隊に一人の怪我人も、死亡者も出ていない。


 ランドルフの傍へ馬を進めた隊員は「報告します。被害、損耗共になし、索敵隊とも合流しました」と手早く報告するとそのまま続けた「始祖と思しき個体を目視、<宵闇>は——」


 エステルはその報告を聞き逃すまいと、ランドルフに馬を寄せ、雨音に掻き消されそうな隊員の声に耳をそば立てた。アッシュの元から離れてどれだけの時間が経っていたのだろう。まだ夜は明けていない。でも、随分と時間は経過したはずだ。アッシュとアレクシスの剣戟の激しさ、あれを数時間も続けているとは思えない。決着がついていてもおかしく無いはずなのだ。


「——<宵闇>は沈黙。覆いかぶさった始祖を牽制し、索敵隊がこれを引き剥がそうとしましたが——」

 エステルは「え!」と声を荒げ隊員に詰め寄った。

「宵闇の鴉、アッシュ・グラントですよ!?」

「わかっています」


 隊員は憮然と短く答え、いななく馬を御しながら報告を続けた。


「——引き剥がそうとしましたが、始祖が呼び出した、肉人形ゴーレムに阻まれこちらへ合流をした次第です」

肉人形ゴーレムだと?」

「はい。砦大門の前は解放戦線の躯と吸血鬼の残骸で埋め尽くされていました。始祖は我々を確認すると、どのような奇術か——失礼、魔術かわかりませんがそれらを利用し——」


 隊員が報告したのはこうだった。

 アレクシスは周囲に染み込んだ血を魔力で掻き集めると、何体もの躯で巨人を生み出したのだそうだ。そしてそれに隊員達の相手をさせると、再びアッシュの傍に座り込み、何やら調べるような素振りを見せたのだそうだ。隊員達は、緩慢な動きの躯の巨人を相手に斬り結ぶも歯が立たなく本体への合流を優先したのだった。


「ご苦労だった、クリストファー。隊列を組み直して出発の準備を」

 隊員は馬上で最敬礼をし、「縦隊隊形、戦闘縦隊。側面は暗視鏡を装着——」と声をかけ隊列に戻って行った。激しくなる雨音が気にならなくなるほどに茫然としたエステルは馬上で力なく肩を落とした。


「アムネリス、アムネリス」


 ランドルフに肩を揺すられたエステルは「あ、ごめんなさ」と我にかえり「ランドルフ急がないと」と、どことなく呆けた様子で手綱を握り直した。

「状況はわかりません。でも希望を捨ててはいけません。あまり適当なことを云うのもではないですが、あなたの云う通り彼は、宵闇の鴉、竜殺しの英雄です。おいそれと吸血鬼風情にやられたりはしないでしょう」

「だと良いのだけれど——でもそうね、ごめんなさい」

「いいえ、急ぎましょう」


 そう云ったランドルフは隊列の前に出て、声をあげた。


「蹄鉄の布はもう不要だ。我々の存在は向こうの知るところだろう。ここからは全速力で行くぞ。しんがりはクリストファーとトルデリーゼの隊に任せる。アムネリスはクラリッサ隊で回復をお願いします。これだけ冷えているので馬の消耗が激しくなります。お願いできますか?」


「勿論、任せてください」気を無理矢理にでも取り戻したエステルは、隊のクラリッサに心配をかけないよう凛と声をはり、そう答えた。


 雨脚がさらに強くなってきた。





 ——索敵隊 合流の数刻前。


 ザアァァァァ——

「なんだこの巨人は!」

 ドドドドド——

「肉の塊か!」


 激しく地面を打ち付ける大粒の雨は豪雨となり、アレクシスの革のブーツに泥を跳ねつける。向こうでは、創り出した木偶人形の周りを騎馬が羽虫のようにぐるぐると周り、剣を斬りつけた。雨の音に怒声、布を巻いた蹄鉄が地面を踏み鳴らす低い音がどうにもアレクシスを不快にした。この木偶人形は、ここに寝転がった鴉へあてがおうと思っていたが思いのほか剣戟に熱を上げてしまい、それを忘れてしまっていた。アレクシスはそれを後悔した。


「何、あの羽虫みたいなのは。全くもって美しくないじゃない」


 どういうことへの不満かはさておき、アレクシスはそう後悔したのだ。きっともっと純粋な力と力のぶつかりあいを期待していたのだろう。アッシュの振るう黒鋼が躯の塊をぶつ切りにする様子なのか、それともアッシュが木偶人形の餌食になり腕でも、脚でも潰される様子なのか、何かそんなものを期待していたのだ。尤も、それが美しいのかということも、さておき、だ。



 それにしても——

 なんでこれはピクリとも動かないのかしら。罠? ということもなさそうなのだけれども。あの娘、銀の魔女は<宵闇>を「捕らえてちょうだい」と云っていたわね。捕まえるのは良いのだけれど、それを知らせる手段が私にはないわ。いざこうなってみると、最後の最後で手詰まりになるのだから、お笑いぐさね。


 ああ——もう鬱陶しい。


「何これ、死んでいるの?」


 アレクシスは突っ伏したアッシュの肩を持つと、ごろんと仰向けにした。大粒の雨が<宵闇>の顔を強く打ち付けるが、一向に目を開く様子がない。泥まみれになったアッシュの顔へ耳を近づけたアレクシスは、鼻息も、口で息をしている様子もないことに気が付くと頬を軽く叩いた。雨が急激にあらゆる熱を奪っていったからなのか、叩く手に温もりは伝わらず、アッシュはまるで蝋人形のように冷たくし、死んでいるようにも思えた。


 しかし捕らえろというのだから少なくとも生きていてくれないと困ったこととなる。


「躯を引き渡したって仕方ないのだろうしね——」


 そう云ったアレクシスはアッシュの外套を剥ぎ取り、中に着込んでいた革の軽鎧の首元を引き千切った。そしてチュニックの首元に露となった肌を優しく撫で付ける。


「本隊に合流するぞ! 一旦ここは捨て置け!」

「しかし! あれが<宵闇>では!?」

「構わない! いずれにしてもこの肉人形がいたら難しい!」

「——了解!」


 そんな会話を遠くで耳にしながらアレクシスは、豪雨の中遠ざかる影を見送った。そして赤黒い瞳に妖艶な輝きを灯すと、口を大きく開き、ゆっくりと、ゆっくりとアッシュの首筋へ犬歯を埋め込んだ。埋め込まれた牙の傍からとめどなく血が流れ、肌をつたう雨と混じると、途端に<宵闇>の周辺は薄い赤色の水溜りに囲われた。



 自分に流れ込んでくる血液には温もりがあるように感じた。

 それが人本来のものなのか、それともこれが特殊で、まさか自分を燃やしているのかは分からない。眷属とするため始祖はゆっくりと血液を啜りながら、自分の体液とそれを口の中で混ぜ合わせ牙を通じてアッシュに戻す。それを暫く繰り返すことで、この英雄アッシュ・グラントは始祖の眷属となるのだ。体液との相性が良ければ良いほど、眷属となったアッシュの力は計り知れないほどの能力を秘めることだろう。そうであるならば、英雄を伴侶とするのも悪くはない。



 流れ込んでくる血液がアッシュの記憶を映し出した。

 雪竜王との戦い——アッシュは最後にヴァノックの首に話しかる場面へ出くわす。

(どうだ、神と呼ばれ守護者を気取ったところでお前を助ける者はいなかっただろ?)


 南の霊峰ジ・アダフでの巨人の王との戦いや伝説として語られる幾多の戦いの記憶。そして——四番目の獣、人の想いが造り上げた偶像の闇。それは英雄と呼ばれた者の闇。


 

 何を期待される訳でもなくただただひたすらに自分の為に生きることが。しかしそこに一人、二人と人が集まり、遂には大勢の人が周りに集まると、そこにいる自分はその大勢が求めるになっていったのだ。羨望と期待の眼差しが英雄という偶像を自分へ被せていった。そして、遂にそれは<宵闇の鴉>という記号を造り出したのだ。









「ジョシュア、考え直してくれ。長期増強を意図的に起こせないんだぞ。脳へのフィードバックはリスクが高すぎる。最悪は脳を焼き切ってしまう」


 次に映し出された記憶は——真っ白い寒々しい部屋での誰かの記憶だった。白壁はどこも、かしこも何かが明滅し、目が痛くなるほどに部屋全体が明るかった。

 しかし——これは誰の記憶なのだろうか。始祖に流れ込んでくるものは<宵闇>のものでしかない筈なのだが、これはあまりにも現実からかけ離れていた。


「——良いんだ大丈夫。お前の天才っぷりに俺は期待しているんだぜ。それにこれが成功したらメリッサだってきっと」

「違うんだジョシュア。この実験の成功だけでは肉体をどうこうすることは出来ないんだよ。どうやったってメリッサの病気を取り除くことは無理なんだ」

「まあ良いさ。そうだ俺に何かあったら、あののユニフォームはお前がもらってくれ。あれ、欲しかったんだろ?」

「いやだから——」


 アレクシスはここで異変を感じた。

 痛みを感じる。胸に強い痛みを感じたのだ。気がつくとどうだろう。傍観をしていたはずの自分が、現実離れした記憶の中に佇んでいるような錯覚を覚えたのだ。手を伸ばせば奇怪な白壁に触れそうだったし、天才と呼ばれた男の顔にも触れられそうだ。そして更に胸の痛みが増した。耐えられなくなり胸に手を当てようと見下ろすと、どうだろう、そこにはぽっかりと穴が空いているのだ。虚な穴——何かそのような無気力な穴が豊満な胸になりかわり、ぼんやりと背景を覗かせたのだ。








「なんなのよこれは!」


 ザアァァァァ——


 豪雨の激しい音の中へアレクシスの切羽詰まった叫び声が響き渡った。

 あの虚な穴を目にし野生の勘とでもいうのだろうか危機を察知したアレクシスは急いでアッシュの首から牙を抜いた。その時だ。鉄のいななきが迫るのを感じた。軍馬が自分の首を狙い迫って来ていたのだ。一歩飛び退きそれを回避すると、必死な形相で胸元を確かめ、何度も、何度も胸の形を確認するように両手を這わせた。

 そして、そこに見慣れた胸の谷間があるのを確かめると、力なくその場に座り込んでしまった。気がつくと躯の巨人が再び人間と戦闘を繰り広げているのもわかったが、アレクシスにとってはそんなことはどうでもよく、あの虚な穴の恐怖に心を奪われていた。


「なんなのよあれは——ひっくり返ってあの穴に引っ張りこまれそうだった」










 ——同日 ガライエ砦へ続く坂道。



 緑に輝く大蛇のように隊列はうねる坂道を駆け登った。

 アウルクス神派の魔導師は開祖アウルクスが残した豊穣幻装の<言の音>もある程度習得をする。騎馬と騎手の体温を維持するため、エステルは手綱をしっかりと握り<言の音>を紡ぎ続けていた。これで降りしきる大粒の雨が体温を奪っていくのを防ぎ体力を温存し騎馬での高速移動を補助をしている。

 そして遂に坂道は終わりを告げ、大きく開けた荒れた草原と交わった。

 赤黒く染まった草原のあちらこちらに躯が転がり、未だ数体の屍喰らいが、死肉を貪っていた。数名の隊員はそれに駆け寄り首を斬り落とす。

 死屍累々の光景はまるで地獄絵図のようだ。

 頭をあげ砦の大門に目を向けると、そこには豪雨に打たれる黒い小山が蹲っていた。


「あれが肉人形——躯の巨人か。総員抜刀!」


 ランドルフは低速移動を指示、片手剣を抜き放ち指示を続ける。

「エミール、ヨナス、ルカ、奔流の準備。ブヨブヨの頭を吹き飛ばしてやれ。クリストファーは二個小隊を連れて右翼から足元を狙え、残りは俺に続け始祖を牽制する」


 瞬時に周囲の状況を確認し指示を飛ばしたランドルフは、くるりとその場で騎馬を御し隊員の士気を確かめる。皆、エステルのおかげで疲弊もしていないようで上々の状態だ。最悪はアッシュを抱え街まで撤退しダフロイトで外環の狩人の出撃を要請すればいい。粗方吸血鬼の眷属は掃討してあるから問題ないはずだ。


「勝とうと思うな。牽制してアッシュの身柄を奪取。街で狩人の出撃要請をする。あれは俺たちの領分じゃない。いいな!」


 ランドルフは騎馬のかぶりを、巨人の傍の小さな黒い影へ向けた。

 それは、アッシュの首筋に喰らいついたアレクシスの姿であった。


「不味いな——総員突撃! 奔流撃て!」


 ザアァァァァ——

 豪雨の乱暴な音の中に再び蹄鉄の低音が鳴り響き、今度は「オオオオオ!」と隊員の鬨の声がそれに厚みを与えた。抜刀された刃に纏わり付く雫がぐんぐんと切っ先から零れ落ち、振り上げられるとその軌跡を追いかけた。刀身が青みを帯びる。すると騎馬の頭上後方から押し寄せた青く輝く魔力の奔流が、ヒュゥゥゥゥと音を立て雨を押し退けながら肉塊へ三本伸びていく。ヒュンと最後に空気を勢いよく吸ったような音をあげそれは着弾すると、水蒸気のような煙を撒き散らしながらドーンと爆ぜた。


 騎馬の戦士達は煙の中へうっすらと見えた小山に目掛け突進をすると忽然と煙から飛び出し緩慢に身体をもたげつつある巨人の脚を一斉に斬り付けた。隊は二つに割れ左右の脚に白刃を滑らし、肉塊を削る。


 ランドルフとエステルは馬を並べ始祖に向かい突進していた。

 艶かしくアッシュの身体の上で蠢くアレクシスは首筋を貪っている。


「アアアアアッシュ!」


 エステルの絶叫が響き渡る。


 ドオオオン!

 始祖に向かった隊の後ろで地響きが聞こえた。躯の巨人が腱を飛ばされ思わず後ろに転げる。それを目視したランドルフは「ハッ!」と小さく気合を入れると、軍馬の脇腹を軽く脚で小突くと速度を上げた。そのまま始祖の首を狙いにいくつもりだった。右に構えた剣の切っ先を下げ、身体を少しだけ右に落とす。


 ズドドドドドン!


 今度は新たに放たれた魔力の小さな弾が、右に動いたエミール、ヨナス、ルカの杖から掃射され巨人の右脇腹を襲った。思わず、くの字に身体を捩った巨人は、そのまま地面に沈んだ。騎馬十頭分ほどの距離まで来たランドルフは下げた切っ先を水平に構え、更に身体を右に落とした。


「沈めよ怪物!」


 ランドルフは叫んだ。

 その時だった——始祖は跳ね返るように身体を起こした。

 狙いがずれてしまいランドルフは「クソ!」と吐き捨て、そして切っ先を持ち上げると今度は始祖の脳天を割ろうとする。しかし、その刹那、始祖は一足飛びで後方にひらりとランドルフの白刃を回避したのだ。

 ランドルフはそのまま騎馬で駆け抜け、次の斬撃を撃ち込む準備をした。

 騎馬を大きく半円を描くよう御しながら回頭し、再び切っ先を下げる。


 向こうからはエステルが疾駆してくる様子が見えた。このまま始祖を引き付けエステルにアッシュを回収させるつもりだ。あわよくば首を斬り落としたいところだが、それは自分の仕事ではない。しかし、どうも様子がおかしい。後ろに飛び退いた始祖は、独り言を漏らすとその場に座り込んでしまったのだ。


 エステルは手綱を引いて騎馬を止めた。

 急な指示に驚いた騎馬は大きく前脚を振り上げ、いななき、少しの間、興奮状態でその場をぐるぐると回った。それでもエステルは始祖から目を離さず「どういうこと?」と小さく漏らすも、様子を伺った。

 始祖の向こうではランドルフがやはり騎馬を止めて様子を伺った。

 何やら独り言を云う始祖の言葉がよく聞き取れない。

 エステルはフードの中に響く雨音が煩わしくなり取り払った。





「——あれは、あれは、いいえ。じゃあ、どこだって云うのよ。まさかあれが<憤怒>が垣間見たっていう<外環>? まさか。ちょっとそこの戦士、この男の知り合い? それとも、そっちの娘がそう?」


 アレクシスは、今まさに自分の目の前で起きた自分の首を狙った必死の猛攻のことなどは気に止める様子もなく、ふらりと立ち上がり二人に強く訊ねた。気がつけば数頭の騎馬がアレクシスを取り囲み、一挙手一投足に注意を払い切っ先をこちらに向けている。


「これがなんなのか、あなた達は知っているの?」


 ランドルフも、エステルも答はしなかった。

 戦士達は下馬をするとジリジリと距離を詰めようとしている。


「そう。答える気はないってことね」


 アレクシスは向こうで寝転がった躯の巨人に目をやり、最後の斉射が頭を吹き飛ばすのを確認した。「そう」と、もう一度小さく呟くと、乱れた衣服を整え雨でべったりと貼り付いた赤髪を払った。


「血を啜ったというのに、力を持って行かれたんじゃ洒落にならないわ。ここは一旦ひかせてもらうけど、良いかしら?」

 アレクシスは、いつの間にか手にしていたエストックをランドルフに向けていた。

「ああ、アッシュを返して貰えるのであれば、なんでも良い」

「そう。あなたお名前は?」

「ランドルフ・ラトベリエ」

「いい名前ね。ランドルフ、それではまたの機会に——」


 そう云うとアレクシスはその場から忽然と姿を消した。

 それは言葉の通り忽然とだ。瞬く間にだ。




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