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パルプ・フィクション①




 ロングライナーで丁寧に引かれた直線と曲線は深い黄色。

 ソードで太く細く自在にリズムをつけた飾り模様。

 スクロールで描かれた細やかな蔦の模様。

 それらは深い黄色の上へ明るいそれを少しズラし、なぞられている。

 だからなのか立体的にも見えて目を楽しませてくれた。


 シェブロンズダイナーのピンストライプ。

 常連客からはシェブロンズと呼ばれる気の利いた肉料理店に描かれた装飾模様の話だ。

 このあたりでは珍しい大きな一枚硝子が五枚も並んだファサード。

 三枚目の硝子窓に描かれたその模様は、店主曰く「ピンストライプ」と呼ばれるものなのだそうだ。その技法は近所の絵描きといった芸術家先生の界隈でも、噂となっている。

 その模様の中央にぽっかり空いた間には、これも丁寧に描かれたセリフ文字で店名が書かれている。びっちりと整えられたベースラインを基準に上下のアセンダー、ディセンダーの両ラインは几帳面にバランスが取られていた。


 それは店主の並々ならぬ拘りが伺い知れる、もはや芸術といって良い。


 シェブロンズは昼下がりにもなれば食事をとる人々でごった返すのだ。

 しかし店内は人流を考え丁寧に設計されている。だからホールを急ぎ足で歩く店員は気を払わずとも迅速に熱々の料理をテーブルへ運び、首尾よくチップを懐へ投げ込める。

 そうした設計も店主のこだわりだ。尤も店員のチップ回収効率のための拘りではない。それは店主が拘る店の風格。その為の骨格への拘りが副次的にチップ回収効率を高める。

 店主の強い要望でアークレイリ産のしなやかで頑丈な品種の木材が柱や梁といった箇所へ使われた。これらの素材を最も効果的に利用するため設計をすると、自然と店内の空間はゆとりが生まれ品格を纏うのだそうだ。つまり客の目の届かない箇所への拘りが産んだ副次的な効果だと云って良い。


 更には、客の目に触れる壁面や床、天井といった部分は徹底的に無駄が排除され研ぎ澄まされている。鼻につくようなそれではなく、フォルダール連邦エスダール産のナラの品種を多く用いているのから暖かみもあり程よい均衡なのだ。

 その均衡が相乗効果を生み出すのだ。ともすれば、その効果は感度の高い食客達の目を楽しませ他の店とは違った価値を提供できているのかも知れない。食事もさることながら店の佇まいさえも価値とし知らしめる店主の手腕は余程のものであると推察された。


 ただ不思議なもので、そんな凄腕店主を見かけたものはほとんど居ない。

 噂によれば彼は<外環の狩人>であるそうなのだが、彼の素性を知るものは店の中でも極一部の者だけのようで世間的に明るみに出たことがない。しかし、この店を設計し建築・施工も手がけたというブレイナット公国コリゴールの建築士でもある狩人のギネス・エイヴァリーは——彼の助手を勤める容姿端麗なリーンによると——店主とは友人なのだそうだ。だから、その噂は十中八九的を得ている。







 ——クレイトン市街 シェブロンズダイナー。

 リリー達が臨時市場でようやく店を開いた頃。少し早めの昼食をとる人々がちらほらとシェブロンズへ足を運び名物のミートパイを口に運ぶ姿が目に付き始める。

 昼間からエール酒でミートパイを喉に流し込む者も居れば、暖かい果実水でそうする者もいる。よく見れば前者は仕事を弟子に押し付けてきた職人だったり、観光客。後者は交代で昼食をとりにきているどこかの店員なのだと、なんとなくわかる。


 そんなシェブロンズの奥の大きな席に陣取った二人の男女が、名物はもうたいらげた様子で話に興じている姿があった。時折、店員がやってきては「何か飲み物は?」と訊ねられると、男はエール酒を頼み、女は仕方のない様子で果実水を頼んだ。食事が終わったのなら早く出ていってくれという店員の冷ややかな視線を避けるためチップを握らせることも忘れない。








 窓から差し込む強い陽に目を細めた男は居心地悪そうに深々と腰を掛け直した。

 がしかし、やはり居心地が悪いのか再び男は身を乗り出し顎を摩った。

 そして男にしては少々高めの声で何やら早口に女へ話しかける。

 手振り身振りで話すそのさまは何か切羽詰まった様子が感じられた。


「ハーゼ、あのことはもう忘れろ。ヤバすぎる。諦めるんだ」


 男は運ばれてきたエール酒をグっと喉に流しこんだ。

 前に座る女はその目鼻立ちのよさからなのか、険しい顔が深刻さを伺わせる。でもどうだろう、そこはかとなく目は笑っているようにも見える。


「アンタはいつもそう言うの、毎回同じ。キュルビスいい? これは、アタシ達に与えられた最後のチャンスよ? アンタはいつも『ヤバいことはもう二度とゴメンだ』って及び腰になる」


 女は短く切り揃えられたブロンドを手で撫で付けた。


「いいや、これに関して云えば間違いなくヤバいぜ」

 男はテーブルの上に置かれた紙袋を手の甲で叩いて見せると、すぐさまドカっと席に深く腰を降ろし両手を背もたれにかけた。そして女におどおどした視線を向け「な、考え直せよ」と小さく呟く。


「それで? 二、三日するとまた、あの時やっておけば良かったってアンタは云い出すのでしょ?」呆れた口調で今度は女が身を乗り出し鋭く言葉を飛ばす。

 それに男は「いいや、もう後悔の毎日は終わりだ。これからは拾った命を感謝する毎日だぜ」と、嘯くようだが男の目はまだおどおどと、女と自分の間の虚な空間を泳いでいる。


「そう? そうやってグダグダ言ってるアンタ、どう聞こえてるかわかる?」

「分別のある大人だろ」

 女はそれに「ハッ!」 と鼻を鳴らし「そんな訳ないでしょ」と漏らした。


 男はバツが悪そうに、最後のエール酒を一気に呑み干した。


「いい? あの銀髪の女はこう云ったわ。これに吸わせればアタシ達は真っ当な人間に戻れるって。アタシもアンタも正気じゃないけれども、あの女も相当よ。見た? あの瞳、あんなイカれた光は見たことないよ」


 女は興奮気味にそう云うと、店員に「アタシにもエール酒をちょうだい!」と大声で叫んだ。

「だったら——」男は女の高揚ぶりにあてられたのか答える声が震えていた。

「だからでしょ? キュルビス」


 女はそんな男の様子を見ると、苛立ちを覚えたのか目を鋭く細めた。そして運ばれてきたエール酒をあおった女は、静かに男の胸ぐらを掴んでグイっと引き寄せる。

「類は友を呼ぶ。イカれたもの同士、信じ合うってのが流儀じゃないの?」


 女はさらにエール酒をあおると——女は男の言葉を唇で塞ぎそしてエール酒を口移しにした。突然の接吻と力ずくで流し込まれたエール酒に驚いた男は咳き込みながら「おい、ハーゼなんのつもりだ」と目を丸くする。


「何って。景気付けよ、わからないの?」

 男は斜め上をいく答えへ目を白黒させ「あ、ああ」と漏らすのだが、唇に残った女の感触を確かめると表情を一転させた。


「ああ、わかったぜ。でもよ、なんでここなんだ。夜に裏路地でやったって一緒だろ」


 男はどういう訳かすっかり気を取り直した様子で、余裕さえ伺える。


「良い質問——」自分達のテーブルの横を魔導師の修練着を着た男が通り過ぎると女は言葉を止め「なんだ、生臭坊主が驚かすんじゃないよ」と小声で毒づいた。







 ——クレイトン市街 臨時市場。


 粗方、店の準備を整えたリリー達はやっと一息つけるかと思いきや、ルエガー大農園はクレイトンだけではなく各地で名を馳せているようで、店先には行列ができていた。客の一人が、店先でもたもたしているアッシュを捕まえて「もう良いのかい?」と訊ねると「あ、ちょっと待ってくださいね」と、アッシュは困った様子でリリーの顔を探した。


 もうすっかり、英雄<宵闇の鴉>としてのアッシュ・グラントはそこにはなかった。今は目にするもの耳にするものの全てが真新しく新鮮といった風なのだ。何の肩書きも持たない男。それが今のアッシュ・グラントだった。

 荷下ろしを手伝ったアッシュは隣の店の親父に「お前さん、アッシュ・グラントに似ていると云われたことないかい?」と訊かれはしたものの「いいえ、そんなことは無いですよ」と答えると、それはすっかり信じてもらえた。そのくらいには当時の雰囲気も覇気も削ぎ落とされているという事だ。


「あ! お母さん、もう開けるからちょっと待ってね!」

 リリーは困り果てた顔をしたアッシュを見つけると、テントの中からそう声をかけアッシュへ救い船を出してやった。ここから先はもう経験者ではないアッシュはまるで役にたつことはない。でも、それを云うならばエステルも同じ条件の筈なのだが、アッシュは彼女の姿を見つけて驚く。


 少し離れたところで商品を並べるエステルは、どうだろう、すっかりと行列の中の客と打ち解け、話をしながら手を動かしているのだ。これにアッシュは驚いた。だから自分には<謄写の目>があるじゃないかとエステルを観察するが得るものはなかった。残念ながら以前のアッシュは誰彼と仲良く話をするような男ではなかったということだ。


(何であんなに人と話せるのだろう——凄いなエステル)


 意気消沈のアッシュは、ぼんやりと心の中で賞賛を送る。

 どうも自分が居る場所は、働く皆の都合に悪いらしく先程からネリスや館の農夫達から「兄ちゃん、ちょっと向こうで待ってくれ」とか「疲れたら馬車で寝転がってろ」などと体よく主戦場から退場を誘導されるのだ。


 「この先に旨い肉料理屋があるから、先にお昼してきたら?」

 云ったのは忙しく働くリリーだった。居心地の悪そうなアッシュが気の毒になったリリーは「ついでに街をぶらぶらしてきたら良いわよ。何か思い出すかも知れないし」と、この場を離れる理由を投げてくれたのだ。


「一人で大丈夫?」と、器用に耳をそば立てていたエステルはアッシュに駆け寄ったのだが「エステルは駄目よ!」とリリーに釘を刺され頬を膨らませた。

「ええ、大丈夫ですよ。そう云えばブリタさんに頼まれたものもあるので、ちょっと探してきます」

 エステルの気も知らないアッシュは満面の笑みで正々堂々と別の女の遣いにこの場を離れると云ったのだ。それにエステルは更に頬を膨らませアッシュの向こう脛を軽く蹴り飛ばした。そこはかとなく、もやもやとさせたのだ。どうだろう。きっとこの気持ちは馬車でリリーが掘り起こした何かで、それが無意識にエステルの足を動かしたのだ。

「痛ッ」

「いってらっしゃい!」

 驚き声を挙げたアッシュを他所にエステルは憮然とそう云うと持ち場へ、随分と足早に戻って云ってしまった。アッシュはエステルの背中に「あ、あの!?」と声をかけたが、ぷりぷりとした赤髪の姫が振り向くことはなかった。


「何を怒っているんだろう?」

 アッシュは随分と困り果てた顔でエステルの背中を見送った。






 すんなりとリリーが云う評判の肉料理店にたどり着いたアッシュは「シェブロンズダイナー」と書かれた看板の鎧戸をくぐっていた。

 ちらほらではあるが——それでも結構な人数が早めの昼食を楽しむのを眺めるとアッシュは(本当に評判の良い店なんだろうな)と、心で呟き店員に一人であることを伝えた。


 通りに面した硝子窓の傍の席を案内されたアッシュは、他の客とは雰囲気が幾分か違う男女の座るテーブルを横目に奥の席に向かった。するとどうだろう、この昼日中からエール酒をあおる女がおもむろに口を閉ざし、ボソっと「生臭坊主が驚かすんじゃないよ」と悪態をついたのがわかった。

(生臭坊主ってそうか……この格好、魔導師の修練着だもんな)などと思いながらアッシュは、なんとなく悪びれ、かぶりを下げ、そそくさと案内された席へついた。







「キュルビス、いい? あたし達はここでコイツに吸わせる。つまりよ、アンタもアタシも追われる身になる。黙って。最後まで聞きいて。逃げるには金が必要。そうでしょ? じゃあアタシ達がやることなんてひとつだけ——」


 男は静かにかぶりを振ると小さく「確かにな」と呟く。


「そうよ、金を巻き上げてから——」


 女は目を細めボソっとそう呟くと、先程、男が叩いた紙袋を乱暴に引き寄せた。

 男はそれを目で追いかけ「ああ、そうだなハーゼ」と深く息を吸い込むと、身体を乗り出していた女の肩を乱暴に引き寄せ、そして今度は男から情熱的に唇を重ねた。

 窓から差し込む陽は、この場違いな濡れ場をあまりにも露骨に曝け出し、最初は気にも止めなかった周りの客も次第にざわつき始める始末だった。

 そんな雰囲気の中でも二人はお構いなしに、お互いの何かを確かめ合うように唇を重ねあった。そして——手元でまごまごと紙袋から小さな青や緑に薄らと光を放つ透明な硝子玉と真紅の抜き身の短剣を乱暴に取り出したのだ。


 店内の客はそれを見ると更にざわつきはじめた。

 二人はゆっくりと重ねた唇を互いに遠ざけ、ゆっくりと店内に顔を向ける。

 そして、女は透明の玉をひょいと手に取ると大きく振りかぶって、それを床に投げつけたのだ。


「いいか、お前ら! おとなしくしろ!」

「ちょっとでも動いてみな! 最後の1人までぶっ殺してやるわよ!」


 シェブロンズダイナーにキュルビスとハーゼの絶叫が響き渡った。

 ハーゼが投げつけた玉は床で風船が割れるように弾けると、対流していた青や緑の煙が勢いよく流れ出した。そしてそれは店内をくまなく満たしていく。

 これに気がついた何人かの帯刀した男が立ち上がったが、充満した煙に晒されるとバタバタとその場に倒れ出し、遂には泡を吹いて動かなくなってしまう。


「いいかい、アタシ達にちょっとでも殺意や害意を向けてごらん、ぶっ飛んでその場に倒れちまうよ! ああなりたくなかったら今から云うことをよく聞きな!」




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