全てが妄想かもしれない。
全てが現実だと思うのと同じくらいの確率で。
まぁ、全部が全部じゃないさ。
そんなことを言っていたのはエイディーだったか。
大成廟の記憶が物語る。
それは、祀られた神様の記憶かもしれない。
何の神様かは知らないけれど、
ここには、妄想に取り付かれた連中がよく来る。
いろいろな妄想がこの場所に飲み込まれていった。
妄想もまたこの町の記憶であり、
悲しみも喜びも、祭りも静けさも、
全部含めてこの町だ。
神様は知っている。
何をしようとこの町はこの町だ。
神様も見ない振りで、
この町は妄想がだだ漏れしている。
そのうち、妄想にとりつかれた者が、お祭りを起こすかもしれない。
いや、もう、お祭りを起こしているのかもしれない。
奇怪な連中の、終わりなきお祭り。
心地いい悪夢。
妄想の濁流。
この町を流れる龍脈の円環。
この場所が持っている記憶は、
小さな記録媒体に乗って、
誰かの噂になる。
噂は噂を呼び、虚と実が程よく溶け合う。
あなたの妄想、私の記憶。
この町のどこでも、記憶は沈んでいる。
それを感じたら、
あなたも終わらないお祭りに、足を踏み入れている。
あなたの妄想、クーロンの記憶。
神様は見て見ぬ振り。
あなたがクーロンに居続けようと、去ろうとも。
神様は知らぬ振り。
あなたがクーロンに飲み込まれたら、
神様はちょっと、笑うかもしれない。
その神様も、誰かの妄想かもしれない。
妄想と現実と、程よくとけた町だから。