「操主! ――ルイス!」
目の前に広がった惨景に堪えられず、
目前、空中に貼り付けられた彼めがけて降り注ぐ、
力を失い脱力した体が地表へと落ちる。絹糸のように柔らかな陽色の髪を赤く染めて、
大きく見開かれた現珀色した目に映るのは、彼へと手を伸ばしている自分。決して届くはずのない両手を伸ばし、求め、号泣している自分の姿だった。
「ルイス! ルイス、ルイス、ルイス!!
いやです!! どうか死なないでください!! ルイス!!」
闇の中にいる何かに引きずり込まれるように遠ざかっていくルイスは、まるで「もういらない」と放り捨てられた人形のようにぴくりとも動かず。ただ、血をあふれさせた唇だけが、泡の砕けるような小さな音をたてて、声にならない言葉を紡ぐ。
ソウガ、クルナ……ソノスガタヲ、ゼッタイニ、トクナ。
キミハ、シヌンジャナイ……。
と。
「ルイス!! いやです!! どうか起きて……起きてください!! お願いですから戻ってきて……ルイス!!」
ひたすら哀願する蒼駕の前で、しかしルイスの体は無常にも闇へと飲まれたのだった。
◆◆◆
はっと目を覚ます。そのあまりにも唐突な目覚めに、蒼駕はしばらくの間じっと天井を凝視していた。
横のバルコニーへと通じた窓を透過して入ってくる白金色の強い斜光に、もう朝なのだと知って身を起こす。そしてじっとりと汗ばんだ額に手をあてた。
まだ夢の衝撃が消え去らないのか、体温も低く、夏の終わりだというのにまるで冬のような肌寒さを感じてしまう。
また見てしまったな……。
苦々しく胸中でつぶやきつつ、カーテンをひと息に引き開ける。途端、すっかり昇りきった太陽が、まるで真夏日と錯覚させるような熱い光を降り注いできた。
昨日の雨とは打って変わって、極上の天気だ。
しかし。
どうやら寝坊をしてしまったようだ。
自分で思うのもなんだが、めずらしい、と首を傾げる。が、だからといってなぜかなどと別段深く考えもせず、そのまま新鮮な空気を入れようと窓に手をかけた。そのときだ。
彼の耳が、何か、声らしきものを拾った。
遠いのか、それとも小さいのか。とにかく聞き覚えのあるその声に興味を引かれてそのままバルコニーへと出る。落下防止のため、腰の高さまである柵に手がけて身を乗り出し、下を覗くと、縦列に並んだ大勢の少年少女の頭に、ああと悟った。
幻聖宮宮母・セインの口上だ。
今日は各地より集められた退魔師候補生たちの歓迎式が開かれる、最初の日だった。そして本来なち彼は、この幻聖宮に籍をおく魔断の化身の代表の1人としてあの場に出席していなければならなかったというのに、わざとではないにせよ、こうして欠席してしまっているというわけだ。
そうか、そうだった。
などと悠長に考えながら、頬杖をついている。
どう言い訳をしようか? これからどうしようか? あせってそんな考えに混乱する様子は全くない。
実際、どうでもいい、というのが彼の本音だった。
寝坊して遅刻した。式に出席できなかった。だからなんだ? それで何か支障をきたすのか?
起こしに来なかったところをみても、そう必要とされていたわけでもないだろうと、さっさと納得してしまう。
とはいえ、そうした多少の物事には動じない性格をしていても根が律義な彼としては、今まではそれでいいとしてもこうして気付いたからには無視し続けるわけにもいかないだろうとして、とりあえず、下へ意識を向ける。
「――のです。そのためにも皆さんはまず、学ばなくてはなりません。たとえ相手が人の生気を喰らう悪鬼・魅魎といえど、その中の真実を見極める力を高めるために。
何ものにも惑わされぬ強い心、見えない傷口より流れる痛みから目をそらさぬ勇気を、皆さんは自身の中に確立せねばならないのです。
命を軽んじる魅魎が相手だからといって、こちらもまた命を軽んじた行動に出れば、それは魅魎と同じ、己の傲慢さからきた行為でしかありません。神の祝福を受け、この世界に生まれた命に意味のないものは1つたりとありはしないのですから。
それを知らず、ただ力でもって強引に命をこの世界よりもぎ取ろうとする魅魎を哀れむ心を、何より学んでくれることを私は望みます。そのために、私や魔断たちは助力を惜しむことはないでしょう」
セインの希望と期待に満ちた、さわやかな弁舌が中庭中に響きわたる。耳触りのいい、そのふくよかな声に耳を傾けつつ、彼は出身地ごとに順序よく並んだ数千の候補生たちへと目を向けた。
ここに候補生としてやってきた者が、晴れて退魔師となるに必要なものは、たった1つ。
それは運でも体力でも知能でもない。
持って生まれた才能である。
どうやらそのことに触れることを、彼女は故意に避けているらしい。入宮したばかりの今の時点では無理ないかもしれないが、彼らも早晩知ることになる。
人には天性のものがある。神がこの世界において存在する意義を、その命に与えてくださっているのだ。
運も、努力も、才能の前にはほとんど意味をなさない。与えられた役割が違うのだから。
だがその大いなる御心を初めから見通せる者などいない。神より与えられた祝福――別の才能を開花させる邪魔をし、さらにはその大切な命をむやみに危険にさらしてはならないと、幻聖宮は幾度となく彼らをふるいにかける。
そうして最終的に残った者がこの世界に退魔師として神より生み出された者だとして、感応式への参加が許されるのだ。
まだ10に満ちるかどうかの年ごろで、彼らは今日から6年間、ここで魅魎を狩る退魔師としての訓練を、とりあえず受けることになる。その間に12のさまざまな適性試験が抜き打ちで行われ、その後、唯一魅魎を断てる剣であり、退魔時においては強力な助言者となる生きた剣・魔断と感応しなければいけないのだが――。
10分の1。
蒼駕は魔断としての400年近い退魔経験により、そう見当をつけた。
10分の1脱落する、ではない。10分の1残るだろう、という予想だ。
心細さからか、きょろきょろとせわしなく周囲を見回して知った顔を捜す者。宮母の言葉に全く耳を貸さぬ者。剣技よりもまず心を学べという教えに唇を尖らせて不満を表す者。退魔師の役割を今さらのように知らされて、涙ぐんでいる者までいる。
まだ感情を隠すことすら十分にできない子どもたちが、多種多様な表情を露わにしてその場にいた。
上からこうして見ていると、それらが全部手に取るように分かる。可愛らしいと思う反面、不甲斐なさが重いため息となって出た。
ざっと見渡しただけだが、今年は昨年よりさらに逸材が滅っている。候補選出はその国にいる退魔師がしているはずだが、この分ではどうやら上の者と意見に折り合いがつかなかったらしい。
宝石と石ころの区別はだれでもつきやすいが、
それとも、これだけいれば大丈夫、ということだろうか?
これだけ入れたんだ、数人くらいは当たりだろう、と?
へたな弓でも数射てばどれかは当たるらしいが、それは獲物のいる場でのことだ。
地に向けて射たところで刺さるのは土くればかりだということを、いまだ各国上位者は知らないと見える。
そんなことを皮肉げに考えながら、本来であれば自分がいなければいけない席に、代わりとして座している
パシン、と高くて細い音がする。
その、晴れの式典には不似合いな音がどこでしたのかは、すぐ分かった。
セインの言葉が終わり、魔断代表者からの祝辞へ振られようとしていた進行が止まり、まるで波のようにざわめきが広がっていった、その中心地。
そこには、右頬に手をあてて目を見開いている少年と、肩をいからせた明るい紅茶色の髪をした少女の姿があった。
はたして何が理由でかは分からないが、何が起きたのかは見るからに明白である。
少女が少年の頬を張ったわけだ。
「いいかげんにしなさいよっ!」
ヘタに関わるまいと、さっと後ろに退いた子どもたちの取り巻く円の中で、少女はヒステリックにそう叫んだ。
「あたしの上着の裾握って、帰ろう帰ろうってそればっかり! そんなに帰りたいんだったらさっさと帰ったらどう? あたしたちを連れて来た人たちはまだ宿屋にいるわ! 行って、泣きついて、町へ連れ帰ってもらいなさいよ! どうせあんたみたいな泣き虫は、魅魎から人々を守る退魔師になんてなれやしないわ! いるだけ無駄よ!
どうしたの? 帰りなさいよ! ぐずぐずしてないで、行動に出たらどうなの! それとも自分1人じゃできないとでも言うの!?」
怒り狂った少女はじだんだを踏んで一気にまくし立てるが、ほおを張られた少年の方はまだ驚きで声も出ない有り様だ。
どうやら気がそれほど長いほうでもないらしい少女が、その姿に焦れて再び高く手を振り上げる。
「帰るか、残るか、はっきり自分で決めなさいっ!」
怒りの2発目。
しかしそれは人波を掻き分けてようやく近寄ることのできた者の手によって止められ、からくも少年に落ちることはなかったのだが。
次の瞬間、開かれた少年の口から発せられた巨大な泣き声が、その場に注目する皆の耳を揺るがした。
「もうっ!! あんたなんか嫌いよ! レーン! 大っ嫌い!!」
なんとかしてこの場をおさめようとする者に後ろからはがいじめにされながら、顔を真っ赤にして少女は叫んでいた。