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第3話 学園の異端者

 北海道魔導学院・中等部の実技訓練ドームは、いつだって熱気に満ちている。

 ここが学び舎であり、戦闘技術が主たる学問ではないとしても、人間は危ない遊びが大好きな生き物だから。


 鼻孔に広がる、高濃度マナ粒子が大気中分子と反応して生じる、金属的なオゾンの匂い。

 コンクリート壁に刻まれた、無数の魔術痕と残滓。

 床下から響く巨大な空調設備の低い唸り。様々なエネルギーが混じり合い、肌をピリピリと刺激する。


 私は、形成される熱気。そこから一歩引いたところで、支給されたタブレット端末に数式を書き留めた。


 隣ではファルグリンが、支給訓練服をオートクチュールのように着こなしている。

 優雅に腕を組みをする、冷ややかな目には、必死に汗を流す人間たちが、ひどく滑稽に映っているのかもしれなかった。


「ああ、そうだ。……んー、ネットワーク構築のロスを考えなきゃ」

「陽介。すこしは真面目に受けたらどうだ?」

「それ、ファルグリンに言われたくないなー。熱意を感じないもん」

「僕はいつでも成績優秀だから、必死になる必要がない」

「ほら、出たよ……いつものやつ」


 誰も、私たちの傍に寄ってこない。

 今日の授業は、対指導教官を想定した実技訓練。

 ドーム内には、戦闘状況を再現するための隔壁や障害物がいくつも設置されており、さながらコンクリートジャングルの様相を呈していた。


「次、高坂!」


 サングラスを掛けた指導教官――ロドキヌス師の号令で、高等部のエリート、高坂が前に出る。


 日本は異世界と比較すれば、未だ魔導技術においては後進だが、それだけに人材確保の熱意は高い。

 遺伝子測定で適正を早くから証明し、早期カリキュラムを受けていた彼はこの教育グループでも、上位に位置した。


 自信満々に、特注の導力杖ワンドを構えた。


「展開っ、登録式7番セレクト……並列起動っ!」


 宣言、盛る炎と鋭い氷の槍を同時に放つ。二つの異なる性質の魔術は、互いの威力を相殺することなく、複雑な螺旋を描いてロドキヌス師に到達。


 ドーム内の観測モニターに、出力と術式安定性が数値となって表示され、生徒たちから感嘆の声が漏れた。


 ロドキヌス師は当然無傷であるが、「及第点だ」と頷く。


(ラグ2.8秒で同時展開、弾道の運動性。確かに器用だ。だが、無理に並列させた結果、エネルギー密度が著しく低下している。これでは運動エネルギーも熱量も、標準的な障壁の許容閾値スレッショルドを超えるには至らないだろう)


 何気なく、目につくと分析してしまう。

 例えば、そう。見栄えの良い同時着弾よりも、初弾の熱で防御の分子構造や対処を揺さぶり、直後に氷結術式を重ね、脆性破壊を誘発させる。

 あるいは、広範囲防御を誘発させる拡散弾を射出したうえで、一点突破の貫通術式を重ねる。


 いくつか、実践的な手法を思いついたが、溜息を吐く。


(……ああ、でも、私にはそもそも関係のない話か)


 所詮は、紙上の空論だった。


「次、廿日」


 私の名が呼ばれる。

 ファルグリンが、誰にも気づかれぬよう、ほんの少しだけ視線を送った。「いつも通りやれ」と、目が語る。


「あの、私、別に嫌ではないんだけどさ」


 訓練フィールドの中心へ歩み出る。

 深呼吸し、意識を集中。脳内で魔術の構築理論を展開する。握るのは、銃型杖ガンドだ。

 最も安定化した術式起動が可能なように調整された、触媒。


「――展開」


 が、現れるのは、真っ赤な幻。

 熱もなければ形も曖昧な、陽炎のような張りぼて。なんの実体を伴わない、空虚な映像。


「はあ、いつも通りか」


 魔術障害。多くの場合、幼少期に訓練を受けられなかった大人・・は、魔術に素養があっても、力の具現化には至らない。


 目を向ける。訓練ドームの計測機器は、ほとんど反応を示さなかった。


 しん、と静まり返った後、堪えきれない嘲笑が各所から響き渡る。


「見ろよ、廿日のアート作品だぜ。今日のテーマは抽象画か? 芸術点の評価なら満点だな」

「あれで特待生だなんて、学院の評価基準はどうなってるんだ」


 特に、先ほどの高坂がこれ見よがしに肩をすくめて、侮蔑の視線を突き刺してくる。


 だが、ファルグリンの美しい眉が、ピクリと動いたのを私は見逃さなかった。

 彼は無関心を装っているが、その内面で律儀に「愚か者め」と、怒りを燃やしていることを知っていた。


「――黙れ。騒がしいぞ、ひよっこども」


 そんな空気を裂いたのは、ロドキヌス師だった。

 ドームの嘲笑が、水を打ったようだ。彼の視線は、嘲笑の主である高坂へと向けられた。サングラスの奥の瞳は、感情を読み取らせない。


「高坂。貴様が今放った複合魔術、モニターの数値上は優秀だったな。だが、ハイスコアを出す事だけに特化されたパフォーマンスに過ぎない」

「なっ、なんてことを言うんですか!」

「まず、着弾までのエネルギー減衰率は32.4%。無駄の塊だ。さらに、障壁を貫通させるメカニズムが組み込まれていない。設計の欠陥を、ただ初期出力の高さでごまかしているだけだ」

「そんなの、汎用破壊術式を使えばいいだけじゃないですか! なぜ、わざわざ自分で組んだ術式披露なんて……」

「そもそもだ。これは技術追求の一環だ。誇るならば、知を誇れ。豪華な花火ならば、術者でなくても放てるだろうが」


 エリートである高坂の顔が、屈辱に赤く染まる。

 実際、ここで学院の卒業生の大半は、戦闘技術を誇示するような職には就かないのも事実だ。

 それでも、個人で大きな出力を出せること自体は、特技の一つではある。


 ロドキヌス師は、今度は私に視線を移した。


「一方、廿日」

「はい、なんでしょう」

「お前のそれは魔術としては落第だ。具現化という、最低限プロセスをクリアできていない。――だが、構築理論自体には見るべきものはある」

「……はあ」

「発動さえしていれば、ドーム内の床材に作用し、相手の“足場”を不安定にしていた可能性がある。非常に姑息で、実践的発想だ。後で理論を、レポートにして俺の端末に送っておけ」


 ざわ、と訓練場が再びどよめく。

 生徒たちは、ロドキヌス師が何を評価しているのか、本質を理解できない。

 いや、正直、私も評価基準については、まだつかめていない所がある。ただ、ロドキヌス師は、白兵戦の授業も担当している癖に、初授業の第一声が「破壊魔術に傾倒する、無粋な奴は俺のところに来るな」だった変わった人物だ。


(根本的に、無為な破壊行為に思うところでもあるのだろうか)


 ロドキヌス師本人は、錬金術における薬学や、魔術理論の担当になることを望んでいるようだけれど。残念ながらその希望が叶う兆しはないようだった。


 授業が終わり、ほとんどの生徒がシャワーや着替えのためにロッカールームへ向かうなか、私はドームの隅に残った。

 称賛も、嘲笑も、私にとっては研究の過程で発生するノイズでしかない。


 今の関心はただ一つ、自身の第二級秘匿魔術『ハーメルン』を完成させること。ただ、それだけ。


「忘れる前に、形にしてみなきゃ……」


 細かい傷のついた訓練場のコンクリートの床に、特殊なチョークで直接、複雑な術式を描き始める。


「また奇妙なことを考えているのか、陽介」

「まあ、ね」

「僕には、君のその熱意がどこから来るのかさっぱり理解できないが」


 「君にもわからないことがあるんだな」と、私は顔を上げずに応える。


「てっきりエルフは全知全能なのかと」

「まさか皮肉のつもりなのかな? 僕にわかるのは、この術式が無駄に複雑で、成功したとても、君個人のマナ容量では起動できないだろうということだけだ」

「そう、かもね。扱えないかもしれない」

「そもそも、これは一人の意識で制御する設計思想じゃない。見ていて頭が痛くなる。陽介、君の頭の中は、一体どうなっているんだ」

「……私もそれが知りたいんだ」


 一見突き放すようでありながら、彼の足が動くことはなかった。

 ドームの巨大な天窓から、夕暮れの橙色の光が斜めに差し込んでいる。埃をキラキラと舞うように映し、私たちをスポットライトのように照らす。


「それが完成したら、どうなる?」

「わからないけれど……もしかしたら」

「もしかしたら?」


 そう、もしかすれば。

 私の頭のなかにあるものが、妄想なのか現実なのかを証明できるかもしれない。


 そうだ、私は。真実を確かめたい。前世のあの世界があったのかどうかを。

 この燻る、失われてしまったのかもしれない約束を想うことに、価値があるのかどうかを。

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