深沢知之は、私の驚いた表情に少し楽しそうな様子を見せ、煙の向こうから妖しげな笑みを浮かべていた。
「ちょうどいい。俺も別に欲しくないし。誰でもいいってわけじゃないんだよ。それに、お前、自分にその価値があると思うか?」
高瀬雅美の今の情けない姿を見ると、正直なところ、すっきりした気分だった。
彼女は病院で院長の娘という立場を振りかざし、いつも傲慢だった。
少し美人だからって、白衣のボタンをわざと外して谷間を見せびらかしている。
誰もが陰で、いつか男が騙されるだろうと噂していたけど、まさか騙されるのが哲也だとは思わなかった。
あんなにプライドの高かった彼女が、今はすっかり意気消沈している。
でも、哲也が五百万円を用意できるはずもない。無理をさせても無理だ。まさか本当に手足を切るなんてことは……?ドラマで見たギャンブラーへの制裁の血なまぐさいシーンが頭をよぎり、私は不安で胸が締め付けられた。
深沢知之……本当にそこまでやるんだろうか?
私は顔をそらし、何か言おうとしたが、深沢知之が先に秋山卓也に声をかけた。
「二人を下に連れて行って、何か食べさせてやってくれ。」
秋山卓也はすぐに察して、伸びをしながら立ち上がった。
「ちょうど腹減ってたところだし、お二人ともどう?食べたいもの、全部ご馳走するよ。」
「行こ行こ、もうお腹ペコペコ!」
美紀がすぐに立ち上がり、私の手を引いた。
美紀に手を引かれて歩きながら、私はどうしても振り返らずにいられなかった。
深沢知之が哲也に何か耳打ちすると、哲也の顔色が一瞬で真っ青になる。その後、深沢知之が個室へ向かい、哲也も続いた。席には高瀬雅美だけが呆然と座り込んでいた。
「明里、もっとしっかりしなよ。哲也のこと、いつまで気にしてるの?」
美紀が私の顔を正面に向け、呆れたように言った。
別に気にしているわけじゃないし、同情しているわけでもない。心の中は恨みしかない。だけど、都会でやっと居場所を掴んだ若者が、一度の衝動で全てを失うのかと思うと、どうしてもやるせなさが残った。
「気にしてないよ。哲也が五百万円なんて出せるわけがないって分かってるだけ。」
「それがあんたに何の関係があるの?」
エレベーターのドアが開き、美紀はぐいっと私を中に引き入れた。
秋山卓也も続いてエレベーターに乗り、片手をポケットに入れ、もう片方で階のボタンを押しながら会話に入ってきた。
「そうそう、出せなきゃ知之がどうにかするさ。」
「どうにかって……何をするの?」
胸騒ぎがして、私は秋山卓也をじっと見つめた。哲也よりも、深沢知之が私のために法を越えてしまうことの方が心配だった。
秋山卓也はただ笑って、答えなかった。
二階のバーに戻ると、秋山卓也が私たちをボックス席に案内し、注文を頼んだ。
すぐにテーブルの上は酒やおつまみでいっぱいになった。
美紀と秋山卓也は食べたり飲んだりしながら、まるで昔からの友人のように盛り上がっていた。
私はほとんど口をつけず、落ち着かないまま三十分ほど待った頃、やっと深沢知之が現れた。
私は彼の動きを目で追いながら、彼が隣に腰を下ろすのをじっと見ていた。彼の表情は変わらず、何も読み取ることができない。
「哲也は?」
「帰ったよ。」
帰った?五百万円も払えないはずなのに、簡単に帰すなんてあり得ない。そんな大金、深沢知之が黙って済ませるわけがない。
「どうやって話をつけたの?」
食い下がるように聞いた。
秋山卓也が黒ビールを開けて、テーブルに「カン」と置いた。
深沢知之はすぐに答えず、よほど喉が渇いていたのか、ビールを一気に半分以上飲み干すと、ゆっくりタバコに火をつけ、シャツの一番上のボタンをはずし、ソファにもたれかかった。それから私をまっすぐ見つめる。
その瞳は複雑で、どこか審査するような、理解できないような、少し自嘲も混じって、わずかに怒りも感じられた。口元は微かに上がっていたが、そこに笑いはなかった。
「明里、実はずっと気になってたんだ。あの夜、月見町で俺に会わなかったら、お前はどうしてた?」
もしかしたら、私の中途半端な優しさに腹を立てているのかもしれないと感じた。
「えっ、あの夜の……」
秋山卓也がようやく合点がいったように私を指差して、
「あれは全然気付かなかったな。ちゃんと化粧したら、けっこう美人なんだな。」
私は秋山卓也の冗談には反応せず、深沢知之の問いにも答えられなかった。実際、彼に会わなかったら、あの絶望の夜をどうやって過ごしていたか、自分でも分からない。
彼は私を助ける義務なんてなかったのに、手を差し伸べてくれた。私にとって、彼は責任感と筋の通った人だと思っている。ずっと言えなかった感謝の言葉を、ようやく伝えたいと思った。
私はビールを注ぎ、真剣な目で彼を見た。
「私はあなたに会えた。それが不幸中の幸いだった。ありがとう。」
グラスを掲げた。
深沢知之は一瞬驚いたように見えたが、ビール瓶を持ち上げて乾杯に応じてくれた。
彼は瓶の残りを一気に飲み干し、空き瓶をテーブルに置く。
「明里、時には幸せも不幸も、ほんの一瞬の判断で決まるもんだよ。」
静かに言った。
私はグラスの酒を飲み干し、彼の言葉の真意を理解しきれずにいた。
でも、どうやって哲也の五百万円の件を解決したのか、それが気になって仕方なかった。
「もういい加減、謎かけみたいな話やめてくれない?」
秋山卓也が大きな声で割り込む。
「そうそう!」
美紀もすぐに同意し、茶化して笑う。
「さんざん抱きしめたりキスしたりしておいて、今さら他人行儀に『ありがとう』なんてね。」
深沢知之はただ微笑み、何も説明しなかった。タバコを深く吸い、ゆっくりと煙を吐き出しながら、じっと私の顔を見つめた。その視線は、言葉にはできないほど真剣だった。
「明里、」
彼は低く静かな声で言った。
「お前が俺に借りてるのは、ビール一杯くらいじゃ済まないからな。」