おれがオメガだと分かったときの周囲の反応は、「嘘だろ?」一色だった。
高い背丈に鍛え上げられた体、ずっと続けてきた野球はおれの体を筋肉質なものに変えていた。
幼いころから自分のことはアルファだと信じ込んで、野球に打ち込んできた。
両親はアルファとオメガのカップルで、二人の間に生まれてきた自分は野球選手になるのだと頑張った。
おかげで、ピッチャーでありながらバッティングもこなす、二刀流の使い手として、おれは中学校野球では有名になっていた。
三月生まれのおれは、高校への進学が決まってから、十五歳になって第二の性の検査を受けた。
その結果、オメガだと分かった。
アルファだという前提で、野球推薦で入学する高校。
全てが足元から崩れていくような気がしていたが、それでも、おれは野球を諦めなかった。
オメガだとしても、おれには実力がある。
強い抑制剤を飲んで野球部に入り、オメガであることは隠して、高校三年間野球を続けた。
周囲はアルファの選手ばかりだったが、体格がよかったおかげで、おれはオメガとは思われなかった。
高校三年の甲子園、準決勝の日に、おれはオメガの発情期であるヒートになってしまった。
ヒートを抑えつつ投げた準決勝のマウンド。
どうしても不調が振り払えなくて、おれは六回で倒れて、ピッチャー交代となった。
結果、おれの高校は負けた。
プロからの誘いもあったのだが、おれはそれを機に野球を諦めた。
大学進学の道を選び、一人暮らしをして、大学卒業後はシステムエンジニアとして働き始めた。
甲子園の準決勝まで進んだ、
二十八歳の夏、おれはヒートが来て会社を休んでいた。
猛暑どころではない、酷暑と言われるくらい暑い日、おれの部屋のエアコンが壊れた。
ヒートの熱と、部屋の熱さでおれはどうしようもなくなって、バスルームに駆け込んで冷水を浴びて体を冷やした。冷水といっても、暑さでかなりぬるくなっている。
部屋の温度計のついた時計は、三十八度をさしていた気がする。
これって、人間が発熱してる温度じゃね?
そんなことを考えながら、バスルームにいつまでもいるわけにはいかず、ヒートの熱も治まってきたので、エアコンの修理を頼もうと、バスルームを出ようとした瞬間、おれは滑った。
これはやばい。
転んで頭を打つやつだ!
衝撃に備えておれが目を瞑ると、ふわりと何か柔らかいものに受け止められた。
恐る恐る目を開けると、天井がバスルームのものではなくなっていた。
なんなのだろう、これは。
石造りのドームのような荘厳な天井の部屋に、おれは誰かの腕に抱かれて倒れ込んでいる。
そぅっと相手を伺うと、褐色の肌に黒い髪、青い目の外国のひとのようだった。
「神子様が降臨された、だと? これは男ではないか!」
「でも、確かに神子様なのです」
部屋の中にはきらきらしい服を着た男性が、おれを抱いている褐色肌の男を含めて五人、その他に質素な修道士のような服を着た女性たちがいる。
褐色肌の男性は修道士のような女性を怒鳴りつけている。
パワハラ、よくない!
「よく分からないけど、大声でひとを威嚇するのは最低な行為だと思いますけど」
「神子、あなたを罵倒したわけではありません。ですが、予言とあまりにも違ったもので」
「予言?」
そこまで聞いて、おれは自分の今の格好に気付いた。
バスルームから出るところだったので、全裸でびしょ濡れ、そして、ヒート明け。
「ちょ、ちょっと待った! 服! 服着させて!」
慌てたおれが褐色肌の男性の胸を押すと、彼はやっとおれを床に降ろしてくれる。おれと身長が変わらない、長身の男性だ。彼の方が少しおれより小さいかもしれない。
長身から投げ下ろされる投球が素晴らしかったとおれは言われていた。
オメガなのにオメガらしくなく伸びた身長が恨めしかった時期はないが、並のアルファより大きいので、おれがオメガということは一度もバレたことがない。
プライバシーを重視する社会になっていたので、就職のときも第二の性を聞かれることはなかったし、オメガに優しい社会にするために、第二の性に関わらず、三か月に一度誰でも一週間の休みを取れるように法整備がされていたから、ヒートの期間もバレずに休むことができた。
それにしても、ここにいる男性たちは、みんなアルファに思える。
ヒート明けのおれには、アルファのフェロモンが強く感じられていた。
一度男性たちに部屋を出てもらって、おれは服を着させてもらったのだが、なんだか妙な格好だ。近世ヨーロッパの貴族なんかが着ていそうな煌びやかなフロックコートとトラウザーとクラバットとでもいうのだろうか。そんな格好だ。
着方が分からなくて、修道士っぽい女性たちに手伝ってもらったのだが、セクハラにならなかっただろうか。
さすがに全裸で話をしたくはなかったので、とりあえず服は着させてもらったが、ここはどこなのか。
言葉が通じているから日本だと思うのだが、服も周囲の人間の顔立ちも何かおかしい。
「神子、着替えが終わりましたか。とても美しいお姿で」
「この方が本当に神子とは限らない。ジェラルド殿下、後ろに下がっていてください。わたしが聞いてみます」
「ぼくも神子と話す権利があるはずだ」
「殿下は事情を聞いてから、お話ししましょう」
ジェラルド殿下と呼ばれたのは、赤毛に緑色の髪の美しい男性だった。いや、ここにいる男性全員が美しい。きらきらして眩しくて目が痛い。
「神子は出生率が下がったこの世界に、豊穣の恵みと子宝を授けてくれる存在のはず! 男では産めないではないか!」
んん?
神子っておれのこと?
おれが、産むとか産まないとか、何の話をしている?
「召喚に応じられたということは、この方が神子なのです。神子と我が国の高貴な方が婚姻を結び、子どもを作ることによって、この国に豊穣の恵みと子宝が授けられるはずなのです」
「裸を見たが、間違いなく男だったぞ?」
いや、裸を強調しないでほしい。
おれも、好きで裸だったわけではない。
ていうか、ここはどこ?
おれが子どもを作れば、この国に豊穣の恵みと子宝がもたらされるなんて、これ、なんていうファンタジー?
昔読んだ小説で、主人公が異世界に召喚されるなんてよくあったけど、もしかして、これですか!?
嘘ー!?
心の中で悲鳴を上げるおれに、褐色肌の男性が近寄ってくる。
ぴりりとうなじに電流が走って、アルファの強いフェロモンを感じて、おれは息が荒くなる。
「この通り、神子は男性ではないか。神はこの世界を見捨てられたのだ!」
「おかしいですね。神子とこの世界のものが結ばれて、子どもが生まれないと、豊穣の恵みと子宝は授けられないというのに」
五人の男性の一人、銀髪に菫色の目の男性が首を傾げる。
「いや、おれ、オメガなんだけど……」
「おめが?」
「だから、おれは、オメガ……」
あまり明かしたくはないが、素性を疑われているというのならば言った方がいいのだろう。
オメガだと素直に言えば、男性たちは何を言われているか分からないという様子で首を傾げている。
「あんたたち、みんな、アルファだろう? おれはオメガなんだって! 見えないかもしれないけど」
「あるふぁ? どういうことですか、神子よ」
え?
オメガもアルファも分からないの!?
これだけアルファのフェロモンを駄々漏れにしておいて、アルファの自覚がない?
「ほら、第二の性って言うのがあって、優秀なアルファと、男女問わず子どもを産めるオメガと、その他の九割くらいの普通のひとのベータがいて……」
「オメガとは男女問わずに子どもを産めるのですか?」
「アルファ相手に、ヒートのときだったら、間違いなく」
「アルファとは? ヒートとはなんですか?」
もしかして、この世界はオメガがいない、もしくは、認識されていない世界で、アルファも自分のことをアルファと思っていないのか!?
「待って、おれ、帰りたい」
「残念ですが神子をお返しすることはできません」
「こんな無茶苦茶な世界、無理」
「召喚はできても、帰すことはできないのです」
「なんだとー! 帰せないのに呼んだのか! 酷い! 責任者を出せ!」
混乱して騒いでしまうおれの前に、殿下と呼ばれた赤毛のきらきらした男性が歩み出た。
「ぼくはジェラルド・ガブリエーレ、この国の王太子です。ぼくがこの国が滅びる前にと、あなたを召喚させました。ぼくが責任者です」
「ジェラルド殿下、まだこの神子が本物か分かっていないのです。近寄ってはいけません!」
「いいんだ、ファウスト。ぼくはこの方の話を信じるよ。あなたはオメガという特殊な体質の方で、男性でも子どもを産めるのですね?」
片膝を突くようにして問いかけるジェラルド殿下に、おれは背筋を伸ばす。
「産めると、思います。一応、オメガなので」
「あなたが仰るアルファとは、どのような人物をさすのですか? この中の誰ならば、あなたと子どもを作れますか?」
その問いかけに、おれは答えに詰まってしまった。
だって、全員アルファなのだ、この五人。
五人の中から選べとか言われたら困ってしまう。
「アルファとは、おれの体から出るフェロモンに反応する相手で……」
「そういえば、あなたはとてもいい香りがする」
「わたしにも感じられます」
「わたしもだ」
口々に言う五人に、おれは腹を括った。
「そうです、あなたがた、五人は全員アルファだと思います」
こうして、おれの異世界生活が始まった。