日も傾き始めた頃、やっとルカが速度をゆっくり落とし始めた。
和哉はギュッと瞑っていた目を開き、ギルランスの肩越しに前を覗くと遠くに小さな村が見えることに気が付いた。
「あ、あれが……言ってた村……ですか……?」
疲労困憊の和哉が息も絶え絶えに聞くと、同じく前を向いたままのギルランスは軽く頷いた。
「そうだ」
「よ、良かったぁ~」
やっと目的地に着けると思った安心感から、緊張の糸が切れた和哉はそのまま脱力してギルランスの背中にグッタリともたれかかってしまったが……。
「おい、重いんだよ」
前から響いてくる不機嫌そうな声に和哉はハッとして顔を上げた。
(ヤバい、また怒られる……!)
「す、すみません!!」
慌てて謝りつつギルランスから離れようとするが、一度抜けてしまった体の緩みからか、うまく力が入らず結局背中に寄りかかったまま
そんな和哉の様子をギルランスは肩越しにジロリと
「ハァ……ったくしょうがねぇな……まぁ、いい、それより急ぐぞ。日が暮れちまうからな」
(――ってあれ? 怒ってない……?)
てっきりまた怒鳴られると思っていた和哉だったが、予想外のギルランスの態度に少し驚いた。
(ま、まぁ……怒られなくてよかったけど)
和哉はホッと胸を撫で下ろしながら、取り敢えず「はい」と返事を返して改めて目の前の大きな背中にしがみ付く――その時、ふと、和哉は自分の鼓動が速くなっていることに気付くが、それはきっとルカの
そのまましばらく走り、ようやく村に辿り着いた頃にはすっかり日が傾いていた。
オレンジ色の陽光があたりを包み、村全体が明るく輝いているように見えた。
ガラク村は周囲を木の柵で囲ってあるだけの小さな集落だった。
木造の平屋建ての建物がポツリポツリと立ち並んでおり、そこに住んでいる人々がのんびりと過ごしている様子が窺える。
「着いたぞ」
そう言って涼しい顔で馬から下りるギルランスとは対照的に、足腰ガクガクの和哉は彼の助けを受けつつなんとか下馬すると、そのままその場にへにゃへにゃとへたり込んでしまった。
そんな和哉を尻目にギルランスはルカへと労いの言葉をかける。
「ルカ、お疲れさん、よく頑張ったな」
そんなギルランスの足元で、和哉がゼェハァ言いながら呼吸を整えていると、ギルランスが呆れた様子で見下ろす。
「お前なぁ、こんくらいでヘバんなよ」
「そ、そんなこと言われても……」
(くっそ~、ルカにはあんなに優し気なのに……!)
内心悔しがる和哉であったが、まだ息が整わず恨めし気にギルランスを見上げることしかできなかった。
すると、和哉の目の前に「ほれ」とギルランスの大きな手が差し出され、思わずその手を掴むと力強く引っ張り上げられ立たされた。
「あ、ありがとう……ございます」
「チッ、世話の焼けるヤツだな」
舌打ちしながら言う言葉とは裏腹に、声色に優しさが感じられることに和哉は気付いていた。
(やっぱ、なんだかんだ言っても優しいんだよなぁ……)
そんなことを考えつつ小さく微笑んでいる和哉の視線に気付く様子もないギルランスは、フンと鼻を鳴らし背を向けると、「行くぞ」と言ってルカを引きつつスタスタと歩き出した。
「あ! ちょ、待って下さい!」
「遅ぇんだよ、日が暮れるぞ」
言いながらさっさと行ってしまうギルランスの後を、和哉は慌てて追った。
ヘロヘロになりながらもなんとかギルランスに追い付いて横に並んで歩いていると、彼は少し歩調を緩めて和哉の歩くペースに合わせてくれたようだった。
そのことに気付いた和哉は、彼のさりげない気遣いに嬉しくなってくる。
チラリと横を見ると、相変わらず不機嫌そうな表情だが、怒っているわけではないらしい事がなんとなく分かった。
(もしかして、この表情はこの人のデフォルトなのかな……?)
そんなふうに考えて、思わず和哉はクスリと笑ってしまう。
「何がおかしい?」
どうやら顔に出てしまっていたようで、怪訝そうな顔で振り向くギルランスに誤魔化しながら首を振る。
「――いえ、なんでもないです」
「……? そうか?」
不思議そうに首を傾げる仕草が妙に可愛らしく思えてきて、和哉はさらに頬が緩んでしまうが……口元を必死に引き締め、なんとか真顔を取り繕いながら村の中を進んでいった。
村のメインストリートを奥へ少し進んだところに、他の家よりも明らかに大きな建物があった。
看板には『宿屋』と書かれている――どうやらここが目的地のようだ。
「あ!……しまった」
(ヤバっ、僕、今一文無しだった……!!)
そのことに気づき、顔から血の気が引いて行く。
(ど、どうしよう……)
急に足を止めた和哉を不審に思ったのか、振り返ったギルランスは眉を
「おい、どうした?」
「あの……僕……お金持ってないんですけど」
宿の扉を開けようとするギルランスの背中に和哉が声をひそめて話しかけると、当然のような口調で答えられた。
「あ? 気にすんな。俺が払う」
「えっ、いや! それはダメでしょ!?」
慌てて首を振る和哉だったが、ギルランスは全く気にする様子もない――というよりは、若干呆れている様子だ。
「何がダメなんだよ、お前金無ぇんだろ?」
「そ、そりゃあまぁ、そうなんですけど……」
確かにギルランスの言う通りなのだが、和哉としてはさすがに宿代まで奢ってもらう事にはやはり気の引けるものがある――かと言って自分だけまた野宿となってしまうのも、また違う気がしてしまい、もごもごと言い淀んでしまう。
そんな和哉に業を煮やしたのか、ギルランスは「あーもう面倒くせぇな!!」と心底面倒くさそうに言って和哉の腕を摑むと、そのまま強引に宿屋の中に連れ込んだ。
「あ……ちょっ!ちょっと……!」
和哉は転びそうになりながらも、半ば引き
建物の中に入るとすぐにカウンターがあり、この宿の女将だろうか、
「いらっしゃい!旅の人かい?一晩一部屋銀貨2枚だよ」
「あぁ、部屋は空いてるか?」
ギルランスの問いに女将はニッと口の端を上げて笑うと、カウンター下から鍵を取り出しチャラリと掲げてみせた。
「あるよ!二人部屋で良いよね、三階の奥の部屋を使っておくれ」
「あと、何か食えるところはあるか?」
ギルランスが鍵を受け取りながら尋ねると、すぐに返事が返って来る。
「それなら、ここの隣が酒場になってるからそこで食べればいいさね」
「分かった」
女将の言葉に頷き、さっさと歩き出すギルランスの後を和哉は慌てて追い掛けるが……そんな二人の背中に女将が「――ああ、そうそう……」と思い出したように声を投げかけてきた。
「この宿、壁が薄いからさ、声とか気を付けるんだよ~」
(――?声??)
「――なっ!」
どう対応すればいいかも分からず、和哉が顔を真っ赤にしたまま口をパクパクとさせていると、横からギルランスの低い声が響く。
「なんの事だ?……別に騒がしくするつもりはねぇぞ?」
焦る和哉の様子には全く気付いていないギルランスは、女将の言葉に不思議そうな表情を浮かべていた。
そんなギルランスに女将は一瞬きょとんとした表情をみせるが、すぐさままたニヤニヤした顔に戻る。
「まぁ、気を付けてやっておくれ、って事だよ」
「……?ああ、分かった」
ギルランスはまだ納得いかないような顔をしていたものの、それ以上追及する事もなく軽く頷き返すと、何事も無かったかのようにスタスタと階段を上がって行った。
和哉も慌てて後を追いながらも、ギルランスに気取られないようにそっと溜め息を吐いた。
(はぁ~びっくりした……女将さん変な事言わないで欲しいよなぁ……てか、僕の事、女の子だと思ってるよなたぶん……確かに
和哉はまだ熱の引かない顔でチラッと隣のギルランスを見やる――だが彼は全く気にしている様子はなかった。
ギルランスが鈍感なのか、もしくは何も考えていないのか、はたまた、経験豊富すぎてあんな女将の冷やかしなど全く気にならないのか……和哉には判断ができなかった。
因みに、一応、和哉にも女将の言う”声”の意味を理解できる程度の経験はある。
だからこそ、このギルランスの反応には困惑してしまったのだが……やはりこの場合は”後者”なのかもしれない、などと、そんな事を悶々と考えているうちにいつの間にか部屋の前に着いてしまっていたらしい。
「おい、何してんだ?早く入れよ」
扉を開けたまま振り返るギルランスの声にハッと我に帰った和哉は慌てて中に入った。
部屋の中に入ると、そこは簡素な造りのツインルームだった。
ベッドが二つと、小さなテーブルと椅子が二脚置かれているだけのシンプルな内装だ。
奥の壁には観音開きの窓が三枚あり、そこから夕陽が射し込んでいる。
部屋の奥にもう一つ扉があるので恐らくトイレや浴室などになっているのだろう。
「まぁ、こんなもんだろ」
そう言うとギルランスは荷物を下ろし、ふぅ、と溜め息を吐きながら窓際の椅子にドカッと腰を下ろした。
やはり、人を後ろに乗せて馬を走らせるのは気疲れするのだろうか、ギルランスは心なしか疲れた顔をしているように見える。
(ああ見えて、きっと僕の事も気遣いながら走ってくれてたんだろうな……それなのに、僕ときたらただ
和哉は申し訳ない気持ちと自分の不甲斐なさに凹みそうになる。
「あの……今日は色々とありがとございました……」
「……いや……」
和哉の礼にギルランスは短く返事をし、窓の外に視線をやった。
素っ気ない態度ではあったが不思議と嫌な感じはしなかった。
和哉も荷物を置き、窓を開けると、サアッと爽やかな風が吹き込んできて髪を揺らした。
心地よい風を感じながら和哉は窓枠に肘をついて外の景色を眺める――さすがに三階だけあって眺めがいい。
窓の下に目をやると宿の二階の軒先が見え、その下には村のメインストリートに数人の村人たちが歩いているのが見える。
道を挟んだ向かい側には通り沿いに色んな店が立ち並んでいて、その奥には家々の屋根が見え、更にその先には高い山があり、その
左手の方向に目をやると、ルカを預けた
(今日、頑張ってくれたルカにもちゃんとお礼を言わなきゃな……)
そんな事を考えながら暫く景色を眺めていた和哉は、ふと、ずっと気になっていた事をギルランスに聞いてみた。
「あの……ギルランスさんは一人で旅を?」
そう、これがずっと引っかかっていて気になって仕方なかったのだ。
和哉が知っている小説の中では、ギルランスにはラグロスという相棒がいた。
しかし、今の所それらしき人物は見当たらないし、何よりラグロスの名前おろか、その存在さえもギルランスの口から聞いた覚えがなかった。
和哉の質問にギルランスはピクリと眉を
「……なんでそんな事聞くんだ」
(え!?なんでそんな不機嫌そうなの?)
質問しただけなのに急に機嫌が悪くなったギルランスに和哉は戸惑う。
「え、ええと……」
言い淀む和哉を見てますます険しい顔つきになるギルランスだったが、「俺は一人旅だ」と、短く答えただけだった。
その言葉に和哉は衝撃を受けた。
(ラグロスさんがいない!?……っていうことは……あれ?……ん??……え?どういう事?)
ギルランスのその言葉で、今まで漠然と感じていた違和感の正体がはっきりと分かった気がした。
確かにここは、和哉が読んでいた『ダブルソード』の世界であるはずなのだが、ギルランスの親友であり相棒でもあるラグロスの存在が全く感じられなかったのだ。
ただ、窓辺に目をやれば、そこにはラグロスが小説内で愛用していた”
機嫌の悪さを露わにしたギルランスに更なる質問するのは少々気の引ける和哉だったが、やはり気になるものは気になる……。
「えっと……どうして?」
「……お前には関係ねぇ」
ボソリとそれだけ言うとプイと横を向き、『もうこれ以上追及するな』とばかりに押し黙ってしまうギルランスに和哉もそれ以上の質問は諦めざるを得なかった。
「……はは、ですよねぇ……」
さすがにこれ以上機嫌を損ねさせるような真似はできない――和哉は乾いた笑いでその場を誤魔化しながら、すごすごとベッドに腰を掛けた。
(うーん……なんでこうも空回りしちゃうんだよ)
次の街までとはいえ、せっかく一緒に旅をしているのだから、和哉としても出来るだけこの”美貌の推しキャラ”と仲良くすごしたいと思っていた。
しかし、いざ喋ろうとすると上手くいかず空回りしてしまう自分が不甲斐なかった。
「…………」
「…………」
(き、気まずい……!)
沈黙が続き、気まずい空気の中、和哉はなんとかこの場を和ませるべく話題を変えようと試みる。
「あ、あの……そうだ!ギルランスさんの武器って?」
「――ん?あぁ、これだ」
和哉が話題を変えた事にホッとしたのか、表情を少し緩めたギルランスは壁に立て掛けられている剣を手に取ると、
「凄いですね……」
それは小説で読んだ通りの美しい曲刀だった。
白い鞘に収められた
その見た目はまさに芸術品と呼ぶにふさわしく、和哉は思わず見惚れてしまう。
「コイツは『
そう言ってギルランスは柄を握ると、シュッと音を立てながらスラリと剣を抜き放った。
すると、一振りだった筈の剣がなんと一瞬で二振りの剣に分かれたのだ。
まるで手品のようなその現象に和哉は目を丸くした。
「わっ!すごい!」
小説では何度もその描写を見てきたはずなのだが実際に目にするのは初めてなので、やはり興奮せずにはいられなかった。
目を輝かせながら声をあげる和哉を見て、ギルランスは「フン」と得意気に鼻を鳴らしただけで特に
二刀に分かれた剣にはそれぞれ特徴があった――赤い石ほうの
「こっちが『
ギルランスの説明に和哉は思わず感嘆の声を漏らす。
「うわ……綺麗ですねぇ!」
「……そうだな」
ギルランスは剣を大事そうに見つめて話し続けた。
「これは師匠から受け継いだ物……特別な力を持つ
「魔力……」
「ああ、だからこの剣は俺にしか扱えない」
ギルランスの話を聞きながら和哉は感動に震えていた。
実は、ギルランスが腰に携えているのを見た時からずっと気になっていて、機会があれば是非とも近くで見てみたいと思っていたのだが、まさかの本人の解説付きで見せてもらえるとは夢にも思っていなかったので興奮が収まらない。
その剣は本当に美しく、まるで炎を纏っているかの様に揺らめく輝きを放つ美しい刀身に目を奪われた。
「……かっこいいなぁ……憧れます」
ほぅ、と感嘆の溜息を吐きながら、和哉が素直に感想を述べると、ギルランスはまるで照れているかの様に視線を逸らす。
「……そうか?」
「はい!!」
「……そうか」
剣を鞘に納めつつぶっきらぼうに答えるギルランスだったが、その声色はどこか嬉しそうで、口の端が少しだけ上がっている。
素直に称賛する和哉の言葉に満更でもない様子だ。
そんな様子がなんだか妙に可愛らしく感じ、和哉の頬も自然と緩み、つい「ふふ……」と声が出てしまった。
すると、そんな和哉に気付いたギルランスが訝しげに眉を顰める。
「何だよ?」
「――いえ、あ、じゃあこっちの弓は?」
和哉は慌てて表情を取り繕うと、誤魔化す様に話を逸らして弓を指差しながら聞くが……その問いにギルランスは一瞬表情を険しくさせ、すぐにまたあの不愛想な顔に戻ってしまった。
「……あれは……あれも師匠の形見なんだが……まぁ、そんなとこだ」
和哉はギルランスの歯切れの悪い言い方に、やはりなにか”訳あり”なのだと感じたもののそれ以上追求するのも
「……そうなんですか……大切な弓なんですね……僕なんかが触ったら怒られるのも当たり前か、あはは……」
再び上げる乾いた笑いと共に自嘲気味に呟く。
「……」
ギルランスは何も言わず、何か思うところがあるような顔でその弓を見つめていた。
その様子になんとなく聞いてはいけない雰囲気を感じ取った和哉はそれ以上何も言えず、ただギルランスの横顔を見つめるしかなかった。
思い切って聞いてみたラグロスの事も弓の事も、結局分からずじまいだった。
ただギルランスがあの弓を大切にしている事だけは確かで……そこには何か深い事情があるのだろうということは分かった気がした。
「…………」
「…………」
夕焼けのオレンジ色に染まった部屋の中、再び二人の間に静寂が流れ、気まずい雰囲気が漂ってきたその時だった……グウゥ~~~!と、またまた盛大に和哉の腹の虫が鳴いた。
「――!?」
(うおぉおぉぉ!!僕のお腹よ!頼むから空気を読んでくれぇぇえ!!!)
和哉は心の中で絶叫しながら頭を抱えた。
自分の腹のタイミングの悪さに
ギルランスは一瞬驚いたような顔で目を丸くしていたが、すぐにクッと喉を鳴らして笑いだした。
「くっくっ……相変わらずよく鳴る腹だな」
呆れつつも笑いを
「うう……すみません……」
恥ずかしさと情けなさで蚊の鳴くような声で謝る和哉がまた可笑しかったのか、更にギルランスは肩を揺らした。
「ふっ、くくっ……お前といると調子が狂う」
そう言いながらまだクツクツと笑っているギルランスを見て少しだけムッとする和哉だったが、同時に嬉しくもあった。
(やっと笑ってくれた……良かった……僕のお腹、グッジョブか!?)
先程までのピリピリとした空気がいつの間にか
ギルランスとの距離が少し縮まった気がした。
「……っふ……取り敢えず、飯でも食いに行くか」
ギルランスはまだ微かに肩を震わせていたが、それを誤魔化すように提案すると、椅子から立ち上がる。
「はい!」
(うん!やっぱり笑顔のほうがかっこいいな)
そんな事を思いつつ、和哉はギルランスの言葉に頷き、部屋を出て行く彼の後を追った。