アミリアが去った後の部屋は再び静寂に包まれていた――。
しばらく放心したようにアミリアが出て行ったドアを見つめていた和哉とギルランスだったが、やがて顔を見合わせると、どちらからともなく笑みを浮かべて笑い合った。
「……なんだか嵐のような人だったけど、明るくていい人だね」
そう言いながら、笑い掛ける和哉の言葉にギルランスは苦笑いを浮かべる。
「まったくあいつは……相変わらず騒がしくてしょうがねぇ」
などと言いつつ、ガシガシと頭を掻きむしりながらベッドの端に腰を下ろすと、ろすと窓の外へ目を向けた――その表情は言葉とは裏腹な、穏やかでどこか優しいものだった。
つられて和哉も外に目をやり、ギルランスの視線の先を追う。
外はすっかり日も暮れており、あの魔獣襲撃が嘘のように静かな夜の風景だった。
すると、暫く外を眺めながら何やら考えていた様子のギルランスが不意に動いたかと思うと、ベッドの脇に立て掛けてある弓を手に取った。
そして「使え」と言いながらそれを和哉に差し出してきたのだ。
(――えっ?)
突然の事に戸惑う和哉が驚いて顔を上げると真剣な眼差しのギルランスと視線が絡んだ。
「え……でも……」
出会ったあの日、思わず弓に触れようとしていた和哉に対して、あれほど怒りを露わにしていたギルランスがどういう心境の変化があったのか……和哉は信じられない思いで差し出された弓に視線を落とす。
(だって……これは大事なものなんじゃ?――それに……)
和哉は慌てて首を横に振った――この弓はギルランスの師匠の形見だと前に話してくれていたからだ。
そんな大切な物を自分なんかが受け取るわけにはいかない。
「ダメだよ!これはギルの大切な物だろ!?理由もなく受け取るわけにはいかないよ!」
必死に訴える和哉に対して、ギルランスは眉尻を下げながら笑みを見せた。
「理由?んなもんねぇよ。ただ、俺が持ってても宝の持ち腐れだ……それに、これはお前が使うべき物だと俺が思ったからだ――いいから受け取れ!!」
真剣な眼差しでそう言われ、半ば強引に弓を手渡された和哉は、どう答えれば良いのか分からずに思わず黙り込んでしまった。
「お前ならこれを正しく使ってくれるだろ――だから使え」
そう言うギルランスの目は真っ直ぐで一切の迷いが無いように見えた。
(これは僕が受け取っても良いのか……?)
そんな疑問が一瞬和哉の頭を
そもそも武器すらまともに持っていなかった和哉にはありがたい申し出であり、それ以上に、ギルランスが大切にしていた物を譲ってくれるというのは信頼の証とも取れるのだ――嬉しくないわけがない。
「……そこまで言ってくれるなら……うん、大切に使わせてもらうよ――ありがとう」
和哉が嬉しさを噛み締めながら弓を受け取り礼を告げると、ギルランスは満足そうに頷き目を細めながら微笑んだ。
今迄見せた事のないその優しい笑顔に何故かドキリと胸が高鳴るのを感じながらも、和哉は改めて受け取った弓へと視線を落とし、まじまじと見つめた。
(すごい……なんか、不思議な弓だな)
先の戦闘では無我夢中で使っていたため、あまり気にする余裕はなかったが、弓が発する存在感というか、オーラのようなものをひしひしと感じる。
朱色を基調とした
弓の各部位には見たこともない文字のようなものが彫刻されていて(その意味は分からなかったが)……とにかく見た目の華麗さは勿論のことだが、それ以上に弓全体からは神聖なパワーが溢れ出ているような、美しくも神秘的な雰囲気が漂っていた。
(なんだろう……僕がこの子に選ばれたような、そんな気にすらなってくるな)
そんなことを考えながら、弓をいろいろな角度から眺めている和哉に、ギルランスが改まったように話かけた。
「あー、それでだカズヤ……ひとつ相談があるんだが……」
なにやら言い淀むギルランスの様子に、何か良くない事態にでもなっているのかと和哉は不安になる。
(なに? なんか問題でも……?)
「……相談って?」
おずおずと聞き返すと、ギルランスは頭を搔きながら言いにくそうに口を続けた。
「当初の予定じゃ、次の街、”王都アドラ”までお前を送ったらそこで別れようと思っていたんだが――」
「うん……」
何を言われるのかと緊張気味に頷く和哉に、彼は少し逡巡した様子を見せた後、意を決したように顔を上げた。
「――お前、冒険者になんねぇか?」
「え?」
思わぬ提案だった――ギルランスの言葉に一瞬何を言われたのか理解できず、和哉は彼をただ呆然と見つめ返すことしかできなかった。
(え? え?……それって、まさか……?)
徐々に言葉の意味を理解した和哉はゴクリと唾を飲み込む。
次に彼の口から告げられる言葉に否が応でも期待してしまう。
和哉の心臓の鼓動はどんどん早まっていき、息が苦しくなるほどだった。
そんな和哉の気持ちを察しているのかいないのか、少し照れくさそうに鼻の頭を掻きつつギルランスは言った。
「お前さえよかったら……俺と組まねぇか?」
その瞬間、和哉の頭の中が真っ白になった。
確かにそれは和哉が期待していた言葉ではあった。
だが、実際に彼の口から聞いても
(今、何て? ギルと組んで? 僕が冒険者に……?)
聞き間違いでなければ、信じられない言葉がギルランスの口から発せられたような……そんな混乱した頭で和哉は呆然と彼を見つめ返した。
(まさかそんな……ギルと一緒に……?)
夢なら覚めないで欲しい――和哉は心の中でそう願った。
それほどまで、和哉にとって嬉しい言葉だった。
次の瞬間、照れ臭そうにこちらを見ているギルランスの姿が滲んだかと思うと、ツゥ―と涙が頬を伝う感覚がした。
和哉はゴシゴシと慌てて拭うが、次から次へとこぼれ出る涙を止めることはできなかった。
突然泣き出した和哉に、ギルランスはギョッとした様子で慌てている。
「お、おい! なんで泣くんだよ? そんなに俺と組むのがイヤかよ!?」
焦って顔を覗き込むギルランスを見て、和哉はまた涙が溢れてくるのを感じながら首を横に振る。
(違う……嫌なわけないじゃん!)
「ちが……違うよ……」
なんとか言葉にしようと口を開くが、
「ご、ごめ……嬉しすぎて……涙が……」
しゃくり上げながらも必死にそう伝えると、ギルランスは驚いたような顔をした後、照れたように頬を掻いた。
「そうかよ……ま、まぁあれだ。そんなに泣くほどのことじゃねぇだろ」
「うん……そうだね。ごめん……」
ようやく落ち着いてきた和哉は小さく深呼吸をして涙をぬぐい、気持ちを切り替えて顔をあげると、心配そうな眼差しを向けるギルランスと目が合った。
どうやら泣きやむのを待っていてくれたようだ。
「大丈夫か?」
優しい声色で尋ねられ、和哉はコクリと小さく頷く。
「ありがとう……もう大丈夫だよ」
その言葉に安心したのか、ギルランスもホッとしたような表情を見せた。
そして、真剣な表情に戻り、もう一度問う。
「んじゃあ改めて聞くぞ、どうする? 俺と一緒に来るか?」
和哉はその問いにすぐに答えられなかった。
なぜなら自分のせいで彼の『勇者』としてのステータスに傷を付けてしまうかもしれないと思ったからだ。
自分なんかよりもっとふさわしい人がいるはずだ――そう思ってしまうのだ。
和哉は正直な気持ちを言葉にして伝えた。
「ギルにそう言ってもらえてすごく、すごく嬉しいよ……でも、僕なんかでいいのかな? ……足手まといになるかもしれない、迷惑かけてしまうかもしれない――」
そこで一旦言葉を区切ると、和哉はギルランスから目を逸らした。
「――君には君にふさわしい人が……僕じゃなくても他にもいるんじゃないか?って考えちゃうんだ」
(それこそ、ラグロスさんのような……)
そんな事を思いながら、俯き加減で言う和哉の言葉に、ギルランスは少し困ったような表情を見せた後、頭をガシガシと掻きながら溜め息をついた。
「はぁ〜……ったく、お前はまたそんなくだらねぇこと考えてんのか」
呆れたようにギルランスに言われ、和哉は思わずムッとして顔を上げる。
「くだらないことって……僕は真剣に悩んでるんだよ!」
ムキになって反論するもギルランスは全く動じていない様子だ。
それどころか肩を
それがなんだか悔しくて
「あのなぁ……俺はお前だから誘ってるんだ、他の誰でもないお前をな」
それを聞いて和哉の心臓がドクンと跳ねる。
胸の奥が熱くなるのを感じながらゆっくりとギルランスのほうに顔を向けると真剣な眼差しに射抜かれてしまう――その琥珀の瞳からは逃れられなかった。
そして、次に彼の口から発せられた言葉もまた、和哉を驚かせるものだった。
「いいか、カズヤ、お前は強くなる」
ギルランスが自信に満ちた表情で言う。
「だから俺は、お前と組みたいと思ったんだ」
(僕が……強くなる?)
和哉はその言葉の意味がよく理解できずにいた。
自分が弱いことは自覚しているし、だからこそ強くなりたいとも感じてはいるが、自分がそれほどまでに強くなるとは思えないのだ。
思いもよらない言葉に困惑している和哉に構わずギルランスは続ける。
「今はまだ弱いかもしれねぇ、だが必ず強くなれる。俺が保証してやる! 俺と一緒に来い」
力強くハッキリと言い切るギルランスの訴えに、和哉は胸が熱くなった。
(なんだろう、この気持ち……ギルの言葉が心に響く……)
抱えていた不安がスッと消え、逆に熱い思いが湧き上がってくるようだった。
なんの根拠もなく突拍子もない言葉なのだが、彼が言うと不思議と信じられるのだ。
和哉はいつの間にか頷いていた。
「分かった……ギルと一緒に行くよ。僕も強くなってみせる。絶対に君に
和哉の決意を聞いたギルランスは、満足気に頷くと嬉しそうにニッと笑った。
「よし! 改めて
「うん、こちらこそ
和哉は差し出されたギルランスの手をしっかりと握り返しながら、手から伝わる温かさを感じていた。
そして、なによりこれからも彼の隣にいられることに心から安堵し、喜びを感じている自分に気が付いた。
(そうか……やっぱり僕はこの人と一緒にいたいんだ!)
胸の奥が熱くなるのを感じながら、和哉は力強く頷いた。