目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第5話:チュートリアルの隠しシナリオ


 発売前のゲーム【天使と珈琲を】には、まだ攻略本などは出ていない。

 でも公式ガイドブックというのが、先行して販売されている。

 ガイドブックは攻略本ほど詳しくはないけれど、ゲームの進め方のコツが書いてあり、序盤はかなり役に立つ。

 そんなガイドブックに書いてない情報を、関係者である私は持っていた。


 それは、キャラクターの台詞や状況が書いてある、アフレコ用の台本からの情報。

 攻略対象キャラを演じる声優たちには、担当キャラクターに関するエピソードのみ書かれた台本が渡されていた。

 でも、主人公キャラやガイド音声を担当した私の台本には、全てのエピソードが書いてある。

 私は、このゲームの全てのルートを知っているの。

 だから、その情報を頼りに、ルウ攻略を進めようと思う。



『チュートリアルを開始します。まずは村長に会いに行きましょう』


 ログインフィールドからチュートリアルフィールドに出ると、ガイド音声(私の声)は言う。

 同時に、村長がいる方角を示す矢印が空中に表示された。

 正規ルートを進むのなら、ガイドに従って進めばいい。


 でも、私が進むのは裏ルート。

 村長は後回しだ。


 私は台本の内容を思い出しながら、とある場所に向かって走る。

 ガイドの示す方角とは真逆の、森の中へ。

 隠しキャラ、ルウ・シフェルの攻略ルートに入る第1エピソードが、この森の中で発生するの。

 しかも、そのエピソードをクリアしなければ、ルウのエンディングには進めないくらい重要だったりする。

 多分こんなの初回プレイでは見つけられないよ。

 チュートリアルなんてガイド音声に従ってササッと済ませてフィールドを出ちゃうだろうから。

 全てのルートを見ようとするプレイヤーが、いろいろ試してやっと見つけられるくらいの難易度かな。


(確か、こっちだった筈……いた!)


 低木の茂みをかきわけて、私は見つけた。

 傷だらけで血を流して倒れている少年を。

 着ている白いチュニックはあちこち切り裂かれていて、背中には引き裂いたような傷が2つあった。

 夢の中に出てきたルウ(ケイ)よりも幼くて、小柄で華奢な身体の子。

 その少年が、人間に姿を変えているルウ・シフェルだ。


『ケイ、そこにいるの?』


 私は、左手の薬指に装備しているペアプレイ用の指輪に念話を送ってみた。

 通常なら、ペアリングを装着した2人がゲームにログインしていれば、指輪を通して会話ができる。

 でも、ケイが入っている筈のルウは目の前にいるのに、返事は無かった。


『ケイ、言われた通りログインして、助けに来たよ』


 私はうつ伏せに倒れているルウの上半身に腕を回して抱き起すと、顔がこちらを向くように仰向けにした。

 目を閉じているルウは意識が無く、細い身体は弛緩していて、全く動かない。

 睫毛が長くて整った顔は、女の子みたいに可愛かった。

 その容姿は、キッズモデル時代のケイに似せてあると開発のお兄さんが教えてくれたっけ。


 全身切り傷だらけなのに、顔に傷が無いのはファンサービス?

 ルウはゲーム発売前から人気のキャラクターだから、天使のような(というか天使なんだけど)ショタバージョンを見たら、ファンは泣いて喜ぶかもしれない。


『こんな怪我して、痛いよね? 今治してあげる』


 私はルウに顔を寄せて、ログイン前にケイにしたように唇を重ねた。

 このゲームの天使たちや主人公は、キスをしたり身体に触れたりすることで、相手を回復させる力を持っている。

 相手への愛情が強いほど、その効力は高くなるらしい。

 その説明が聞けるのはチュートリアル後半だけど、力そのものは最初から使えるの。

 私はケイへの愛情をルウに注ぎ、重傷を負っている彼の治療に使った。


 ルウの唇と身体は、ベッドで寝ているケイよりも冷えている。

 私は自分の身体でルウを包むように抱いて温めつつ、唇を重ねたまま治癒を願う。

 痛々しい切り傷が、急速に塞がり消えていく。


「ん……」


 微かな声が聞こえた。

 喉の奥から小さな呻き声を漏らし、ルウが意識を取り戻し始める。

 私はルウの意識が完全に戻るまで、その身体を抱いてキスを捧げた。


「?!」


 やがて目を開けたルウは、驚いたように一瞬ビクッと身体を震わせる。

 でも、私を押し退けようとはせず、キスに抵抗する様子も無く身体の力を抜いた。

 多分、寄り添う私の身体の温もりや口付けを、心地よいと感じているのかもしれない。

 キスが大きな回復効果をもつことは、勿論知っているだろうし。

 ルウは私に身を委ねて大人しくしている。


 それは、台本に書いてあるのと同じ反応だ。


 私はルウの背中をそっと撫でて、一番酷かった傷が消えたのを確認して、重ねていた唇を離した。

 すると、会話の選択肢が出た。


A「大丈夫?」 or B「怖がらないで、敵じゃないよ」


 選択肢は、どちらを選んでもルウの好感度が上がる。


 でも私はどちらも選ばずに、フリートークモードに切り替えた。

 フリートークモードは、プレイヤーが話す言葉に、NPCのAIが受け答えするシステムだよ。

 このゲームのAIは最新型で、声優たちが思考パターンを組み込んでいるから、自然な会話も楽しめる。


「ケイ、迎えに来たよ」

「『ケイ』……?」


 私の言葉に、ルウはキョトンと首を傾げる。

 その反応を見て、私は会話をしている相手がケイではなくAIだと気付いた。

 ケイがログアウトできない理由も、なんとなく分かった。

 多分、NPCのルウは、ケイの意思で動かすことが不可能なんだろう。

 NPCにログアウトは無いから、ケイは自力でゲームから出られないんだ。


「あなたは私の大切な人の心を宿す者、私はあなたと中の人を助ける為にここへ来たの」

「……?」


 私の言葉の意味を、AIは理解できなかったんだろうね。

 困惑した顔で黙って見つめてくる。

 ルウに顔を近付けて、私はもう一度キスをする。

 意識がハッキリしているときに唇を重ねても、ルウは拒まなかった。


「今は分からなくていいの。でも、私はあなたと中の人を愛してる」


 短いキスをした後に、私はルウを抱き締めて囁く。

 離れて見ると、ルウは少しポーッとしたような表情をして、頬が赤かった。

 それは、攻略キャラの好感度が大幅に上昇したことを意味する。

 主人公は攻略対象にキスをすることで、好感度を少し上げられる。

 キスの前後に相手の心に響く言葉をかければ、好感度の上昇値が増えるらしい。


「ありがとう」


 穏やかに言うルウの背中に、6対の白い翼が現れる。

 ルウの身体が、少年の姿から神々しい天使長の姿に変わった。

 さっきのキスで、天使の力が完全回復したんだろう。


 チュートリアルフィールドで逢うルウは、人間界の視察中に魔族の襲撃を受けて怪我をしている。

 プレイヤーが見つけなかった場合は、部下の四大天使たちが探しに来て救出される設定になっていた。

 このシナリオでの上昇値が無ければ、ルウの好感度をMAXにはできない。


「君の名前は?」

「ヒロ」

「その名を覚えておこう。君とはいずれまた会うことになるだろう」


 天使長が問い、主人公が名を告げると、ルウは微笑んで空へと飛び去っていく。

 これで、隠し攻略対象ルウのエピソード1はクリアだ。


 私は好感度を確認するため、指輪に意識を向けて「ステータス」と念じる。

 すると、空中にホログラフのようなパネルが現れた。

 ステータスパネルには、自分のレベルや能力値の他に、出会った攻略対象の名前と好感度を示すハートが表示される。

 現在、私が出会った攻略対象キャラはルウだけど、彼は名乗らずに去っていったので名前のところは「???」になっていた。

 その横には、赤いハートが1つ。

 エピソード1、ちゃんとクリア出来てよかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?