「とうとう行っちゃうんだね……」

　チュートリアルのラストは、主人公のキスで持病が完治したエミルとの別れのシーン。

　小高い丘にある１本の大木の下、２人で寄り添って村を見下ろしながらの会話だ。

　主人公に想いを寄せる美少年エミルは、恋人のようにピッタリと身体を寄せてくる。

　こんな甘々な雰囲気で、この後もう会えなくなるんだよね……許して、エミルくん。

　ストーリー上の時間で村長の家に行ってから２日後。

　プレイタイム的にはログインから４０分ほど経過した程度になっていた。

　私がメインのチュートリアルクエストをほったらかして先に農園へ行った理由は、村長の家へ行くとノンストップでクエストが進み、他の場所へ行けなくなるから。

　村長と話す→薬草採集→薬湯作り→エミルに薬湯を飲ませる→エミル全快・持病が治る→主人公の力を知った村長から神殿へ行くように言われる→出発前の別れのシーン（今ここ）。

「ヒロは可愛いから、きっと村の外でもモテるね」

　と言うエミルの台詞には、私の愛称でもあるプレイヤーネームが入っていた。

　これは、制作スタッフ＆ケイの遊び心。

　このゲームでは、主人公のＣＶを担当した声優名は、ガイドブックやエンディングのスタッフロールに出ない。

　代わりに、ルウやエミルなど、ケイがＣＶを担当したキャラが、特定条件下で私の愛称を呼ぶ設定が作られた。

　名前呼びの条件は４つ。

　①主人公の名前を「ヒロ」にすること

　②主人公の性別を女性にすること

　③容姿は私をモデルに作られたものを選択する

　④チュートリアルフィールドでルウのエピソードをクリアすること

　……こんな条件を満たすプレイヤーなんて、私くらいじゃない？

　で、条件を満たしている今、エミルは私の名前を呼んでいる。

「ヒロはボクのことなんか、すぐに忘れちゃうんだろうなぁ」

　エミルがそう言うと、選択肢が現れた。

　Ａ「忘れないよ」　Ｂ「エミル大好き、ずっと覚えているよ」　Ｃ「私が愛しているのはエミルだけだよ」

　このシーンの選択肢は３つ。

　Ａなら主人公がエミルに微笑みかけた後、チュートリアルフィールドから出るワープゲートが現れる。

　Ｂなら主人公がエミルに別れの挨拶として頬にキスをした後、ワープゲートが現れる。

　Ｃなら恋人かよってくらいの濃厚なキスシーンの後、ワープゲートが現れる。

　これから他のキャラを攻略するのに、Ｃを選んだら恋愛詐欺じゃん。

　私は無難なＡを選ぶよ。

「忘れないよ」

「ヒロ！」

　私が微笑むと、背後にワープゲートが出現した。

　回れ右して魔法陣へ向かおうとすると、エミルが背後から抱きついてくる。

　この行動も、シナリオ通り。

　エミルは人工知能が動かすキャラクターで、生身の人間じゃない。

　だけどその身体の温もりはとてもリアルで、作られた存在とは思えないくらいだ。

　ケイの声を貰ったキャラクター。

　ケイが思考パターンを組み込んだ男の子。

　もしもケイの意識がこの子の中にあれば、私はエミルを愛しただろう。

「元気でね」

　そっと腕をほどいて微笑みながら離れると、私は魔法陣へ足を踏み入れた。

　転移機能が作動して風景が霞んでいく中、泣き崩れるエミルが見える。

　普通にプレイしていれば、エミルがこのあと出てくることはない。

　でも、とある条件を満たすと、再会することができる。

　①主人公が女性で、メインストーリー上の年齢は１８歳。

　②別れ際の台詞でＣ「私が愛しているのはエミルだけだよ」を選ぶ

　③どのキャラとも結ばれずにゲームをクリア

　この場合は、エミルとのエンディングになる。

　そのエンディングで、美しい青年に成長したエミルが見られるよ。

　攻略対象以外のＮＰＣと結ばれるエンディングがあることは、ガイドブックには載っていない。

　重箱の隅をつつくようなプレイをする人が、いずれ発見して攻略サイトにアゲるかな？

　　　◇◆◇◆◇

　魔法陣の転移先は神殿の中庭で、村長から報告を受けた神官たちが待っていた。

「君が天使と似た力をもつという子かい？」

　中庭の魔法陣の上に現れた私に、神官の１人が聞く。

　私は、頷くことで答えた。

「ではこちらへ。天界から君に会いにきた方たちがお待ちだよ」

　そう言われて案内された神殿の広間には、四大天使が勢揃いしている。

　炎を司る大天使ミカ・フラムエル

　風を司る大天使ファー・ラエル

　水を司る大天使サキ・ジブリエル

　地を司る大天使ウリ・ドルフェル

　普通にプレイを進めてきた場合は、広間にいるのはメイン攻略対象であるこの４人だけ。

　だけどチュートリアルフィールドで隠しシナリオをクリアしていれば、もう１人いる。

　細面で整った顔立ち、サラサラで少し長い銀色の髪に、宝石みたいな蒼い瞳。

　背中には、純白の６対の翼。　

　天使長ルウ・シフェルだ。

「やはり、君だったか」

　ルウが微笑む。

　私も微笑みで答えて、ルウに歩み寄っていく。

　この後に起きることを、私は知っている。

　天使長を狙う黒い影を、私は見逃さない。

「あの時のお礼に、君に祝福を授けよう」

　歩み寄った私の額に祝福のキスをしようと、ルウが少し屈んだ直後。

　黒い炎の玉が跳んでくる。

　私は素早く身体を翻し、黒炎の玉をドッジボールみたいに両手でキャッチした。

「ヒロ？！」

　驚きの声を上げるルウ、ギョッとする四大天使たち、うろたえる神官たち。

　柱の陰に隠れている暗殺者に、まだ誰も気付いていなかった。

「……こんな……もの……」

　ジリジリと肌を焼く痛みに耐えながら、私は両手で掴んでいる黒い炎の玉に意識を集中させる。

　正直、死ぬほど痛いよ。

　耐えていられるのは、根性値が高いから。

　チュートリアルフィールドで激苦珈琲を飲んで大アップさせておいた根性値が役に立つときがきた。

「……浄化！」

　私は【力】を発動させて、黒い炎の玉を浄化して白い光の玉に変える。

　主人公は何かを強く願うことで力を発動させられるので、その気になれば誰からも習わなくても浄化などが行えるんだ。

　ルウを含めた一同が驚く中、私は柱の陰に隠れている暗殺者に光の玉を投げつけた。

「なにっ？！　ギャァァァッ！」

「刺客か？！」

　柱の陰から驚く声に続いて悲鳴が響き、ドサッと何かが倒れる音がする。

　ハッとした一同の中、最初に動いたのはミカ・フラムエルだ。

　ミカは柱の陰に倒れている男を明るいところへ引きずり出した。

「こいつ、魔界の者か。黒い炎使いには消えてもらおう」

　炎の大天使はそう言うと【力】を発動させて、倒れている暗殺者を浄化の炎で包む。

　闇のように髪も肌も全身漆黒の男が、深紅の炎に焼かれて灰となり、消えていった。