客など誰一人いない深夜のホームセンター「生活館」は、この夜もいつと変わらない静けさに包まれていた。
陳列棚の蛍光灯が白々と商品を照らし、遠くで響く冷蔵庫の唸り音だけが、夜勤のアルバイトである
彼はDIY雑誌のページをめくりながら、週末のセール準備リストを頭の中で組み立てていた。
明日の朝にはいつもの開店準備のBGMが流れ、客の話し声が店内に満ちるはずだった。
それはあまりにも当たり前で、永遠に続く日常だと創真は疑いもしなかった。
しかし、その静寂は何の前触れもなく、突如として破られた。
最初に揺れたのはフロアの電動工具コーナーだった。
ガタガタ、ガタガタ、と、まるで巨大な獣が地中を這い回るような不気味な震動が足元から突き上げてきた。
創真は反射的に立ち上がり、何が起きたのかと天井を見上げた。
次の瞬間、頭上の蛍光灯が一つ、また一つと弾けるように消え、店内は急速に闇の中に沈んでいく。
外から聞いたこともない轟音が響き渡る。
それはビルが崩れ落ちるような、地面が裂けるような、金属が引き裂かれるような、ありとあらゆる破壊の音が混じり合った、世界そのものの悲鳴だった。
創真がいたレジカウンターのガラスが音もなくヒビ割れていく。
商品棚から缶詰や工具が雪崩のように落下し、けたたましい金属音が耳を塞いだ。
「な、なんだ……!?」
創真の問いに答える者はない。
彼は本能的にカウンターの下に身をかがめた。
店全体が軋み、崩壊していくのが分かる。天井からは石膏ボードの破片と粉塵が滝のように降り注ぎ、吸い込まないように咄嗟に口元を押さえ、息を止めた。
そして次の瞬間――窓の外が突然、真昼のように白く染まった。
空を焼き尽くすような、目を焼くほどの純粋な白光が水平線の彼方から瞬く間に迫り、「生活館」のガラス戸を透過して、店内を、創真の網膜を、完全に焼き尽くした。
それはあまりにも強烈で、あまりにも絶対的な光だった。彼の目に映る最後の光景は、白光の中に溶けていくホームセンターのロゴマーク。
それを最後に創真の意識は遠のき、体が浮き上がるような感覚に襲われた。
そして、その白光が消え去った時―ー
世界は――
完全に沈黙した。
どれほどの時間が経っただろうか。
全身を襲う鈍い痛みと共に、創真はゆっくりと目を開けた。
焼け尽きたと思っていた網膜は何故か無事で、微かに霞んではいたものの、やがて元と変わらぬ視力を取り戻した。
口の中は砂利を噛んだようにザラつき、喉は焼け付くように乾いている。
肺は埃で満たされ、息をするたびに乾いた咳がこみ上げた。
周囲の音は先ほどの地獄のような轟音とは打って変り、奇妙なほどの静寂に包まれていた。
聞こえるのはどこからか滴る水の音と、自分の荒い呼吸だけだ。
震える手で体を支え、膝と肘を使いながら創真は瓦礫の中から這い上がった。
目の前には砕け散ったレジスターの残骸が散らばっている。
ガラス戸は完全に吹き飛び、外の世界が剥き出しになっていた。
彼はその開け放たれた「生活館」の入り口から恐る恐る外へと足を踏み出した。
夜明けはまだ遠い。鉛色の空が広がる。
しかし、その空は彼が知る空ではなかった。
地平線の向こうにはいくつもの巨大な黒い柱が不気味に立ち上っていた。
あれはかつてビルが建っていた場所だ。
ビルは原型を留めず、まるで巨大な鉛筆が折れたかのように根元からへし折れ、地を這うように倒れ伏している。
道路はアスファルトがめくれ上がり、まるで巨大な獣が暴れたかのように寸断されている。
車はまるで子供のおもちゃのようにひっくり返って黒焦げになっているものもあれば、原型をとどめぬほど無惨に潰れているものもあった。
空気は焦げた匂いと土埃、そして何か腐敗したような甘い臭いが混じり合って鼻腔を刺激した。
遠くからは金属が歪むような、あるいは何かが擦れるような、不規則な音が微かに聞こえてくる。
「……世界、終わったのか?」
思わず口から漏れた言葉は乾いた空気の中に虚しく吸い込まれていった。
彼の知る日常は確かにここに終わっていた。
その冷酷な現実がじわりと全身を支配する。
しかし、その絶望の淵で創真の目は背後に広がるホームセンター「生活館」の、まだ多くの商品が残された棚へと向けられた。
それは絶望の闇の中で、確かに輝く微かな希望の光だった。
遠くで獣のような咆哮が聞こえた。
それは新しい世界の始まりを告げる、不吉な産声のようだった。