世界は終わった。
その事実を脳が受け入れるのにどれほどの時間を要しただろうか。
創真は崩れかけたレジカウンターにもたれかかって呼吸を整えた。
あの白光の後、完全に機能停止した店内は音のない巨大な墓場のようだった。
聞こえるのは自分の鼓動と、どこからか聞こえる水滴が落ちる音だけ。
「生きなきゃ……」
乾いた唇から漏れた声は、まるで他人のもののように響いた。
誰に言っているのかもわからない。
それでも、この場所で立ち尽くしているわけにはいかないことは、本能的に理解できた。
彼は自分の置かれた状況を冷静に、しかし絶望的に見つめ直した。
自分が生きていること自体が奇跡だった。
その奇跡を無駄にするわけにはいかない。
最初の行動は食料と水の確保だった。
彼はまず店内の食品コーナーへ向かった。
通路は傾き、商品棚は崩れ落ち、缶詰やレトルト食品が散乱している。
一つ一つ注意深く潰れていないもの、包装が破れていないものを拾い集めた。
埃と粉塵を払いながら、賞味期限の長いものを優先的にリュックに詰め込む。
しかし、見つかるのはどれも少量だ。
「これだけじゃ、せいぜい数日分か……」
独りごちた声は店の広い空間に吸い込まれて消えた。
次に目をつけたのは飲料水だ。
ウォーターサーバーのタンクは空っぽで、蛇口をひねっても何も出ない。
貯水タンクの場所は知っていたが、あの激震で配管がどうなっているか分からない。だが、防災用品コーナーにあった携帯用浄水器を見つけた時、創真の顔にわずかな希望の光が差した。
彼は天井のひび割れから滴り落ちる雨水(おそらく、崩れた屋根の隙間から浸入したのだろう)を、プラスチック製のバケツで受け止めた。
水の滴る音が、この静寂の中で妙に生々しく響く。
しばらく待って水が溜まると、創真は浄水器を使って透明な水を得た。
滴り落ちる透明な水を見て、彼は震える手でそれを口に運んだ。
泥臭さは残るものの、これならば飲める。
飲料水の確保、これは現状ではこの上ない大きな収穫だった。
喉の渇きが少しだけ癒され、生きるための活力が湧いてくる。
次に創真は防衛の準備に取り掛かった。
世界で生き残っているのが自分一人のはずはない。となれば、物資のありそうなホームセンターに生き残った者たちが来る可能性はかなり高い。というより、ここが発見されれば、間違いなく人々が押し寄せてくるだろう。
店の入り口はシャッターが完全に破壊されており、このままでは簡単に外からの侵入を許してしまう。
全ての人が善良とは限らない。ましてやこのような状況下において、それまでの常識で相手を測ることは自分の命を縮めかねない愚行に思えた。
まず創真は工具コーナーに向かい、バール、ハンマー、のこぎり、釘、結束バンド、そして丈夫な木材や金属板を物色した。そしてそれらを手に取ると、かつて商品の知識としてしか持たなかった重みが、今は命を繋ぐ道具として実感される。
彼は手際よくそれらを運び、砕け散ったガラス戸の代わりに厚手のベニヤ板や金属板を打ち付け、頑丈な木材で固定していく。簡易的なバリケードだが、ないよりはましだ。
店の奥、従業員専用の出入り口も同様に塞いだ。
「ここは……俺の、砦だ」
汗が目に入り、視界が滲む。
全身の痛みは増すばかりだが、彼は手を休めなかった。
日が傾き、店内の奥から闇が深まっていく。
外から聞こえる奇妙な唸り声や、遠吠えのような音が作業を急がせた。
何かがこの「生活館」の外でうごめいている。
それは、かつて人間だったものか、それとも全く別の未知の存在か。
考えるだけで全身に悪寒が走る。
ガラスが砕ける音、金属が軋む音、そして遠くから聞こえる叫び声のようなもの全てが創真の恐怖を煽った。
創真は懐中電灯の光を頼りに店内の隅々まで目を凝らした。
食料品、防災用品、工具、建材、そしてキャンプ用品。これら一つ一つが、今はただの「商品」ではなく、「生きるための備品」として彼の目に映った。
瓦礫に埋もれた棚から使い捨てカイロの箱を見つけた時、彼は反射的に手に取った。夜の冷え込みを凌ぐためのささやかな希望だ。
バッテリー式のランタンや手回し充電ラジオなども見つけ出し、一つずつ使えるかどうか試してみる。
ラジオからはノイズしか聞こえなかったが、ランタンはかろうじて明かりを灯した。その僅かな光が、闇に沈む店内にささやかな安堵をもたらした。
翌朝、夜通しの作業で築いたバリケードを見て、創真はわずかな達成感と、同時に果てしない孤独を感じた。
この巨大なホームセンターの中に自分はたった一人だ。
食料と水は今のペースでは一週間も持たないだろう。
この「瓦礫の檻」の中で、彼はいつまで生き延びられるのか。
そのことを考えると、創真の心は鉛の様に重くなった。
棚に並んだ数えきれない商品たち。
それら全てが「在庫」であり、「備品」だ。
そして、もしかしたらこの世界では自分の命も同じように「商品」として出荷される日がいずれ来るのかもしれない。
この世界には永遠に返品されることのない世界へ……。
それでも創真はバールを握りしめた。
その金属の冷たさが彼を現実へと引き戻す。
「まだだ。まだ、終わらせない」
彼の目は希望を失っていない。
このホームセンターの知識と物資を総動員すれば、もっと生きるためにできることがあるはずだ。
彼は店の奥、園芸コーナーへと足を踏み入れた。
そこにはわずかながらも生命の息吹を感じさせる、土と種の匂いがした。
小さなプランター、肥料、そして様々な野菜の種が入った袋が奇跡的に無傷で残されていた。もし、これらを育てることができれば……。彼は、新たな可能性に微かな光を見た。
しかし、その光は外から聞こえる不穏な音によってすぐに影を落とすことになった。