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第24話 新婚の夜

結婚式の夜、弘一は酔いつぶれた妻を抱え、北海道の山間に佇む小さな木造の山小屋へ帰ってきた。


琉璃のウェディングドレスの裾には草の切れ端が絡みつき、髪に飾っていたリンゴの花は、道中のどこかで落としてしまったらしい。


「……降ろしなさいよ」


彼女はくぐもった声で呟きながら、つま先の尖ったヒールで玄関の縁を蹴飛ばした。


弘一は苦笑しつつ、彼女をそっとベッドに横たえ、タオルを取りに振り返る。


だが、その腕がふいに引き戻された。


「これで終わり、だと思った?」


琉璃の目が、まるで別人のように鋭く冴えている。


酔いなど、演技だったかのようだ。


そして、彼女の手には——かつて地下格闘場で使われた、鋲付きのレザー製の首輪が握られていた。


「今夜はちょっとスリルを味わわせてあげるわ」


紅く塗られた唇が、挑発するように吊り上がる。


「“新婚の夜 バージョン”、新システムよ」


ごくり。


弘一の喉が音を立てて動く。


「な、なんだって……?」


琉璃が取り出したスマートフォンの画面に、見覚えのあるインターフェースが浮かび上がる。


──『新婚の夜 恥辱値システム』


──『羞恥ゲージ:0』


──『交換項目:妻の隠された顔・開放(500ポイント必要)』


「ちょ、ちょっと待てよ! これ……いつ作ったんだよ!?」


「あなたが農業企画で徹夜してたあの夜よ」


指先が、彼の鎖骨をなぞる。


「さあ、跪いて」


──ピロリン。


『恥辱ポイント+50(新婚の夜に命令された)』


躊躇いながらも片膝をついたその瞬間、琉璃は枕の下から、一本のネクタイを取り出した。


それは、弘一が成人式で身につけていた、あの黒のネクタイだった。


「知ってる? 私、あなたが恥ずかしがってた小道具、ぜーんぶ取っておいたのよ」


──ピロリン。ピロリン。


『恥辱ポイント+100(黒歴史の再来)』


『特殊実績:妻の復讐——解放』


だが次の瞬間、弘一の瞳が鋭く光り、彼は一気に体勢を反転させて、琉璃の上に馬乗りになった。


「なあ、琉璃。一つ、言い忘れてた」


彼はその耳たぶを優しく噛みながら囁く。


「今の俺はな……」


——ガタン。


枕元に置かれていた「農業功労賞」のトロフィーが、音を立てて倒れカーペットの上に転がった。


カーテンの隙間から差し込む月明かりが、散らばったネクタイと首輪をそっと照らしていた。


「……もう、システムになんて頼ってないんだ」


──【本当の物語、ここに完結】


番外編         


マルディブの透き通るような海と空に包まれながら、弘一はサングラスをかけたままビーチチェアにだらりと体を預けていた。


手にしているスムージーは、もうほとんどが水っぽくなっていた。


その視線の先、太陽の下でしなやかにポーズを取る琉璃の肢体が、水上ヨガの動きに合わせてきらきらと輝いている。


日差しを浴びたその肌は艶やかだった。


「お客様、こちらココナッツジュースでございます」



声に顔を上げると、ウェイターがドリンクを差し出していた。


ストローは二本。一方はありふれたプラスチック、もう一方はなぜかピンク色のハート型。


突っ込むべきか、見なかったことにすべきか、弘一が迷った瞬間——


スマートフォンがぶるりと震えた。


メッセージの送り主は雪菜だった。


「お兄ちゃん!ちょっと早く帰国しちゃった!サプライズだよ〜(^▽^)」


添付された写真には、別荘の玄関に立つ彼女の姿。


手にはしっかりと、家の鍵が握られている。


「……っ!」


手にしていたスムージーが、砂浜に「ぽとり」と音を立てて落ちた。


(まさか……“あの箱”、置きっぱなしじゃないよな……!?)


——ピロリン!


【最大レベルの羞恥イベントを検出】


【予測される恥辱値:∞】


そのとき、ふとした影が彼の頭上を覆った。


「……どうしたの? 顔、真っ青だけど?」


琉璃の声。


弘一は無言のままスマホを彼女の方へ向けて見せた。


画面を覗き込んだ彼女の目が、まるでレーザーのように細く鋭くなる。


静寂が訪れ——そして。


「帰りの航空券変更して。今すぐ、帰るわよ」


バスタオルを素早く巻きつけ、琉璃は立ち上がる。


「ま、待ってくれ!」


弘一は慌ててその腕を掴む。


「雪菜ももう成人してるし……見たって別に大したことじゃ……」


言いかけた彼に、琉璃はにっこりと微笑みかけた。


その笑みは、南国の太陽よりも冷たかった。


「ねえ、あなた。寝室のチェスト、三段目に何があるか覚えてる?」


言われた瞬間、弘一の脳裏を過ったのは、あの黒い手帳。


『新婚夜特別企画』


そこには、これまでの恥辱値のすべてが細かく記されていた。達成状況、実行記録、証拠写真つきで——。


「あのノート……!」


「豪華装丁、加筆修正版。クラウドにもちゃんとバックアップ済みよ」


言い終えると同時に、琉璃はすでに航空会社への発信を開始していた。


そして十分後、水上飛行機が南の海を飛び立つ頃——


弘一はただ、徐々に遠ざかるコバルトブルーの海原を見つめながら、心の底から思った。


(……この羞恥をめぐる生活、たぶん一生終わらない)


【番外編・完】



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