「ウィリアム王子殿下のご入場です!」
王都の貴族が集う社交パーティーの広間に近衛兵の声が鳴り響く。ざわめいていた会場内が静まり返り、誰もが広間中央の階段に目を向けた。
黒いレースのベールをかぶったアイリスは、扇子で口許を多い、ニヤリとほくそ笑む。
ウィリアムはウェーブがかったブロンドの髪をかきあげ、隣に並ぶ白いドレスに身を包んだリリーと腕を組みながら階段を降りてくる。それを目にした貴族達は一斉にざわめきだした。
「何故、アイリス嬢ではなく、妹のリリー嬢と入場されるんだ?」
「やっぱり、あの噂は本当だったみたいね」
「アイリス嬢が気の毒だわ」
アイリスは近くでひそひそと話す人々をチラッと横目で見る。何を勘違いしているのか、得意気に笑顔で手を振っているウィリアムとリリーに目を向け、ふっと鼻で笑った。
「やあやあ、お集まりの紳士淑女の皆さん」
ウィリアムは笑顔で声を張って話し始めた。
「今宵は僕の婚約披露パーティーへお越し頂き、ありがとうございます。始めに皆さんに説明しないといけないことがあります。アイリス公爵令嬢、来ているんだろう。こっちに来てくれ」
アイリスは扇子を閉じ、ベールを被ったままヒールの音をコツコツと響かせながら、歩を進めた。
長身に似合う濃紺のマーメードラインのドレスに、ブロンドの髪をまとめあげ、凛とした姿勢のアイリスに皆の視線が集まる。ウィリアムとリリーの前で立ち止まり、顔を覆っていた黒いベールを脱ぐと、会場中がしんと静まり返った。
クールビューティーで常に冷静沈着、感情を表に出すことなく静かな笑みを浮かべている社交界の女神として知られたアイリスが、ポロポロと涙を流している。その姿に、その場にいた全員がぽかーんと口を開いた。
「なんということでしょう。信じられませんわ、ウィリアム殿下。私を差し置いて、リリーと浮気をするなんて!」
アイリスの震える声が会場中に響く。貴族達がざわめきだし、息をのんでウィリアムとリリーに非難の視線を向けた。
「な、なんのことだ! 浮気をしていたのは」
「私はとても傷つきましたわ! 殿下の浮気を噂で聞いた時は、一晩中涙が止まりませんでした!」
ハンカチを取り出して涙を拭うアイリスに、顔をしかめたリリーが一歩踏み出した。
「お姉さま、誤解をされていますわ」
「誤解? あなたは私の婚約者を奪って、王子妃の座を虎視眈々と狙っていたでしょ。だから、ウィリアム殿下が参加されるパーティーでウィリアム殿下を誘惑して、それで男女の仲に……。その後も何度も2人で会っていたわよね。あなた達の関係は噂になるほど知られていたのよ!」
「ち、違うわ。私が誘惑したんじゃない。ウィリアム殿下から」
「おい、リリー!」
ウィリアムに腕を引っ張られ、リリーは慌てて口許を隠した。
「このまま婚約者として殿下のお側にいられませんわ。私と婚約破棄してくださいませ!」
アイリスは腕を組み、顎を持ち上げて言い放つ。貴族達の中から、おおっと感嘆の声が上がる。ウィリアムとリリーは歯を食い縛り、アイリスを睨み付けた。
「アイリス公爵令嬢!」
会場の中から、1人の男性が颯爽と現れ、アイリスの前に膝をついた。目鼻立ちがくっきりとした整った顔立ちで、髪色と同じネイビーブルーの瞳でアイリスを見上げる。
「突然の無礼をお許しください。私はヒース・グスマン男爵と申します。以前から貴女をお慕いしていましたが、身分の低い私には到底声をかけることもできませんでした。ましてや第2王子の婚約者になられるとは。貴女を慕う熱い思いは、胸の内に留めおくしかありませんでした。それなのに、貴女がこのような不当な扱いを受けるとは。我慢なりません!」
ギロッとウィリアムを睨み付けるとまたすぐに視線をアイリスに戻し、笑みを浮かべた。
「貴女への思いを断ち切ることなど到底できません。ぜひとも私と婚約してくださいませんか?」
「あら、先ほど婚約破棄したばかりなのに。どうしましょう?」
アイリスはウィリアムとリリーをちらっと見てから、周囲の貴族達を見回す。
「私は一生貴女だけを愛すると誓います」
ヒースはアイリスの右手を取ると、手の甲にキスをした。アイリスは一瞬眉を寄せたが、頷いて笑みを浮かべた。
「大衆の面前で誓うほど本気なのですね。申し入れを受け入れますわ」
アイリスはドレスの裾をつまみ、惚れ惚れとするほど上品な姿勢でお辞儀をした。パチ、パチと数人拍手が上がったと思ったら、あっという間に会場中大きな拍手に包まれていった。
「ありがたき幸せ」
ヒースは立ち上がり、長身を折り曲げて恭しく頭を下げる。拍手は一層大きく鳴り響いた、。
「それでは、ウィリアム殿下、リリー、お互い幸せになりましょうね」
アイリスは踵を返し、ヒースの腕を取って広間の出入口に足を踏み出す。貴族達が拍手をしながら、2人の行く道をさっと開けていく。
突然ヒースが足を止め、ウィリアムを振り返った。
「ウィリアム殿下、いや、お兄様。元婚約者、奪わせてもらいますよ」
拍手が鳴り止み、会場が静まり返る。
「は? お兄様だと? 男爵の分際で無礼な! 王族冒涜罪に値するぞ」
「俺のこと、覚えていないんですね」
アイリスは眉を寄せてヒースを見上げた。
「昔、王宮を追放されたルナ第三王妃の息子、ヒースベルク・、あなたの弟ですよ」
「何っ! 生きていたのか?!」
一斉にどよめきが広まり、広間がざわつく。
「平民出身の母は無理やり王に妃に迎えられ、第一王妃からは卑しい身分だと蔑まされ、挙げ句の果てに追放された母は、1人で俺を育てるのに心労がたまって5年前に亡くなった。俺は王族のしたことを忘れたことは一度もない」
「だから何だ」
ヒースは目を細めてウィリアムを睨み付ける。
「ウィリアムお兄様に苛められたことも忘れてませんよ。3歳の俺に石を投げつけ、湖に突き落とし、犬に襲わせましたよね?」
「記憶にないな。身分が卑しいのに妃になったおまえの母と、その母から生まれたおまえが悪い。僕の知ったことじゃない」
「平民に生まれた母が悪いと? 国を支配しているのは王族だが、国民の多くは平民だ。民のためにあるべき王族が、知ったことではない? これがこの国を背負っていく王子の言うことか?」
「うっ」
「俺は、あんた達王族を許さない」
「な、何を!」
ウィリアムはたじろぎ、リリーはびくっと肩を震わせる。アイリスはピクッと眉を動かして怒りに満ちたヒースの横顔を見つめた。アイリスの視線に気づいたヒースはふっと顔を緩め、笑みを浮かべた。
「まあ、今日はお祝いの場。お互いの新しい伴侶が決まってよかったですね。それでは皆さん、お騒がせしました。俺たちはこれで」
アイリスを伴って出入口に向かうヒースに、ウィリアムが腕を伸ばす。
「待て!」
「王子さま、今は……」
リリーに腕を捕まれたウィリアムは、非難の目を向けてくる貴族達の視線に気付き、舌打ちをしてヒースの後ろ姿を睨み付けた。
ヒースと庭に出たアイリスは足を止め、眉を寄せてヒースを見上げた。
「ちょっと、さっきのはどういうことかしら?」
「俺にも事情があるって言っただろ。さっきのがそれだ」
「契約した時は、将来がなんとかって言っていたじゃない。何がギルドマスターのヒース・グスマン男爵よ。追放された第三王子ってどういうこと? 契約の時に話すべきだったんじゃなくて?」
アイリスが腕組をしてヒースに詰め寄る。
「そう怒るなよ。契約通り新しい婚約者を演じたんだから。計画通りになっただろ?」
「私が望んでいた相手はただの男爵よ。よりにもよって王族だなんて」
「さっきのプロポーズは全てが嘘じゃない。俺には君が必要だ」
地面に片膝をついて真剣な顔で見つめてくるヒースに、アイリスは目を丸くして頬を赤らめた。
「なっ、何を言っているの!」
「赤くなってる。かわいいな」
ヒースに微笑まれ、アイリスはさささっと後退り、星の瞬く夜空を仰ぎ見た。
「あなたと契約するんじゃなかったわ! 私としたことが……」
アイリスの脳裏にギルド『ルナ』でヒースと契約を交わした日のことが思い出された。