動きが停止すると、コクピットの中の灯りが消失し、球体のみが淡い緑の光を放つ状態になった。手で触れると、シートベルトが外れたので、昼斗は小さく吐息した。現実感を喪失しているというのに疲労感が著しく、そのままぼんやりしていると、左手のハッチが開いた。
「貴方が、通信していた粕谷さんですか?」
顔を覗かせたのは、ヘルメットをかぶった眼鏡の男性だった。ぐったりとしたままで昼斗が頷くと、二度頷いてから、彼は座席を見た。
「……煙道一佐は、お亡くなりに?」
「……」
「まぁ、よくある事です。人は死にますから。ただ、代わりは、まだ数名います。けれどこの機体には代わりは存在しないので、貴方がいてくれて助かりました」
「――え?」
その言葉に、昼斗は狼狽えた。昼斗の中において、機械は、あくまでも機械だった。しかし人間は、生きている。機械とは違い、代えがきかないのは、人間のはずだった。
「今から人型戦略機の点検をしますので、君は念のため医務室に行くといい」
「……」
「いやぁ、パイロット適性があってよかったねぇ。さぁ、降りて」
眼鏡の男性は笑顔だった。
昼斗は何か言おうと思ったが、何を言えばいいのか見当もつかず、入れ違いで素直に外へと出た。そこには梯子がある。降りていくと、担架があり、そちらに誘導された。救急隊員のようで、彼らは昼斗に対し、優しかった。横たわるように指示をし、「検査をするから少し休むといいですよ」と声をかけてくれた。その時になって漸く昼斗は、涙ぐんだ。何が起きているのか、理解が出来ない。
「ここは、何処なんですか?」
「安全な基地です。何も心配はいりません」
「基地って……?」
続けて尋ねた昼斗に対し、隊員達が首を振る。
「落ち着いてから、説明があると思いますよ。我々の口からはお伝え出来ません」
その後、何も知らされないままで、昼斗は健康診断のような検査を受けた。身長や体重を測定し、血液検査をされ、「健康ですね」と笑顔で医師に言われた。春に行われた大学においての結果と、何ら変わりはなかった。
食事は日に三度、入院食のような品が運ばれてくる。
部屋から出る事は許可されなかったが、出ようという気にもならなかった。
そうして三日が経過したその日、窓から西日が差し込む頃、ドアがノックされた。
緩慢に昼斗が視線を向けると、扉が開いて、スーツ姿の女性が入ってきた。彼女の一歩後ろの左右には、迷彩柄の服を着た青年が二名ずつ見えた。
「粕谷昼斗さんですね?」
その声には聞き覚えがあり、通信をしていた女性だと昼斗は判断した。
静かに頷くと、彼女もまた首を縦に動かした。
「私は、
「舞束さん……」
セミロングの黒髪をしたその女性は、昼斗の母と同年代に思えた。母の年齢は四十五歳だった。母、と、そう考えた瞬間、嫌な光景が昼斗の脳裏を過ぎった。
「……蟻は、その……」
「蟻ではありません。
「Hoop……?」
「外惑星由来敵対的生物――日本語略称・外異種。世界的にはHostile Organisms From The Outer Planetから取ってHoopと呼ばれる存在です」
昼斗は何度か瞬きをしてみた。最近、瞬きをするのが癖になっている。その度に、夢が覚める事を期待しているのだが、その気配は一向にない。
「なんですか、それ?」
「貴方に分かりやすく言うならば、地球外生命体かな」
「え? あの蟻が? 宇宙人って事ですか?」
「知能の有無などは分かっていません。分かっているのは、外惑星より飛来し、人間を喰うという性質のみです」
舞束の声は冷ややかで、何処にも冗談めいた明るさはない。なのに最後に聞いたテレビの音声の明るい声よりも、ずっと現実味もない。
「ここは、Hoopに対抗するために建設された基地です。Hoopが出現した有事の際、人型戦略機で出撃し、Hoopを駆除しています」
「そんなニュース、聞いた事がありません」
「混乱が起きるので、情報統制をしています」
「混乱って、道路をあんなに沢山、巨大な蟻が歩いていたら、当然混乱するだろ?」
「通常、Hoopは一体ずつしか飛来しない。今回のように、幼生がダム湖の中に巣を作っていたケースは、世界的に見ても、初めてなの」
「幼生……?」
「ええ。小さかったでしょう?」
「いや? あのサイズの蟻は世界にはいない!」
「ですから、蟻ではなく、Hoopです」
「名前なんかどうでもいい! 俺の街はどうなったんだ? 情報統制って、俺の父さんと母さんもあんな風に喰われて……隠すなんて、もう無理だろ?」
「不運にもとある街が、ダムの決壊という災害により、盆地ごと巨大な湖になったという全国ニュースが、ここ数日、メディアを騒がせています。丁度、貴方の実家のあった街と同じ名前ね」
「なっ……」
目を見開いた昼斗を見ると、舞束がスッと目を眇めた。
「人型戦略機は、パイロット適性が無ければ操縦出来ない。そして、まだまだパイロットの数は少ないのが実情なの。今後、貴方には、私の指揮下に入ってもらいます」
「は?」
「明日からは、こちらで用意した訓練を受けてもらいます。用件は、以上です」
「待ってくれ、それって……まさか俺に、あの蟻と戦えって言ってるのか!?」
「Hoopです」
舞束は、それだけ言うと出ていった。付き従っていた青年達も室内を後にした。
ベッドで上半身を起こしたままの状態で、暫しの間昼斗は呆然としていたのだった。
昼斗に与えられたのは、前任のパイロットである煙道一佐が死亡し、空席となっていた人型戦略機エノシガイオスA-001という機体だった。
座学でまず記憶させられた事として、現在世界には十一体のエノシガイオス・シリーズと名付けられた人型戦略機が存在するのだという。A-001からA-011までが存在していて、現在B-001から始まる第二世代型を整備中らしい。両者の違いは、オリジナル機であるエノシガイオス・シリーズは、適性が無ければ操縦できないが、第二世代は特定の遺伝子を持つパイロットならば操縦可能であり、既に人工授精などが盛んに行われているのだという。開発中の第三世代型は、C-001から始まるそうだった。
人型戦略機は、昼斗が生まれるずっと前に開発されていたらしい。しかし量産は出来ないのだという。第一世代オリジナル機と呼ばれるAの型番の人型戦略機は、機密となっているため昼斗には理由が分からなかったが、既に製作が困難なのだという。
「Hoopに対抗するために生み出されたわけじゃないんだな」
ポツリと呟きながら、昼斗はタブレットの画面を眺める。Hoopの最初の飛来は、A-001の最初の軌道実験の後の日付で記載されていた。
Hoopには、女王種・騎兵種の二種類が、現在確認されているらしい。女王種は、昼斗から見れば巨大な雀蜂、騎兵種は忌々しい蟻だ。数年に一度、それらは一体ずつ飛来し、多くの場合成層圏に入った段階で迎撃・駆除しているらしい。つまり滅多に現れない上、飛来しても倒せるらしい。
少なくとも、過去はそうであった様子だ。本当に例外は、昼斗の実家の街であったらしい。どうして、よりにもよって――そんな思考に埋め尽くされる内に、今度は訓練機器を用いての実技が始まった。
訓練を開始して二年の間は、実動テストであっても、人型戦略機に搭乗し、成層圏まで出かけては帰ってくるという飛行訓練だった。Hoopは出てこない。このまま生涯出て来なければいいと昼斗は考えていたし、世界には他にも機体があり、パイロットがいるのだから、問題はないと次第に思い始めていた。また、偶発的にパイロットになった、たまたま適性があっただけの己よりも、生まれつき訓練を受けているというエリートが成長していると耳にし、出る幕が来ないままに、このまま、平穏に、全てが終わるのではないかと考えるようになった。
日がな一日、訓練をする。それ以外にやる事は――……一つだけあった。
基地で検査をしてくれる看護師の女性と、昼斗は親しくなった。
同じ歳で、話があった。
「妹に報告しなくちゃ」
「そうか」
光莉が語る妹の、
外部と通信する際は、必ず監視がつく。それを前提としてはいたのだろうが、光莉が妹の灯莉に連絡をしない日はないと、この頃には知っていた。そんな、大切な家族に自分の事を紹介してもらえるというのは、とても嬉しい事だ。
両親を喪い、一人になり、けれど再び、家族が出来ようとしていた。
Hoopだって、飛来しない。
このまま、幸せが戻ってくるのだろうと、昼斗は考えていた。
しかし世界は残酷で、そうはならなかった。