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第25話 白い天井と青い薔薇

「ん……」


 瞼を開けた昼斗は、真っ白な天井を見て、通常の病室だと判断した。集中治療室もこちらも、既に見慣れている。上半身を起こし、左手の点滴を見てから、深く吐息した。体は思いのほか軽い。試しに右手を持ち上げてみるが、自由に動く。


「……」


 左足を見たが、意識を失う前には負傷していたはずの患部には、固定されている様子もない。視線を下げたが、青い入院着である点を除けば、包帯も無い。痛みも消失している。ゆるゆると窓の外を見れば、山には完全に雪の衣が降りていた。ただ一つ、窓辺には見慣れぬ花瓶がある。青い花弁を持つ薔薇が、鎮座していた。


 ドアの開く音がしたのはその時の事で、反射的に視線を向けると俯きがちに入ってきた灯莉が無表情でそこにはいて、ゆっくりと顔を上げたところだった。


 目が合う。


 瞬間、バサリと音がして、灯莉が手にしていた青い薔薇の花束を取り落としたのだと分かった。何度か瞬きをしながら昼斗がその光景を見ていると、直後顔を歪めた灯莉が走り寄ってきた。


「いつ目が覚めたの? そんな報告は受けていないけど」

「今だ」

「っ、きちんとコールを押すべきだ」


 灯莉は何処か泣きそうな、同時に怒るような顔をしたままで、看護師に知らせるコールを握る。それを押して短くやり取りしている灯莉を見据えながら、昼斗は微苦笑した。


「本当に、たった今目を覚ましたんだ」

「ふぅん、そう。するべき事を思い出したのならば、きちんと相良先生が来たら、健康状態を説明するといいわ」


 不機嫌そうな灯莉を見て、昼斗は曖昧に笑うしかできなかった。


「灯莉はどうして此処に?」

「どうしてって?」

「来てくれるとは思ってなくてな」

「……別に。監視の一環よ」

「そうか。その、花が落ちてる。花束なんて、珍しいな」

「っ……お見舞いに、手ぶらで来るのもね。世間体を考えて、ちょっと基地内のフラワーショップに立ち寄っただけよ。それに、病室は殺風景だから」


 つらつらと苛立つように灯莉が述べた。その声に窓辺の花瓶へと振り返った昼斗は、そこにも青い薔薇が生けられているのを目にした。


「俺は、そんなに寝ていたのか?」

「寝ているという表現が適切だと思っているなら、義務教育を受けなおした方がいいんじゃないかな。意識を喪失して、今日で三週間よ。不思議な事に、身体的負傷は何故なのか、救出された際に快癒していたけどね、意識だけが戻らなかった。治療のしようもなかったから、もう一生目を覚まさないかと思っていたほどよ」

「三週間……? そんなに?」

「ええ。もう十二月。街はクリスマスムード一色よ。Hoopの侵攻がついに陸地に及んでいるけれど、まだこの基地周辺は気楽なものね」


 その言葉を聞いて、昼斗は円盤の事を思い出した。そして黒い瞳を揺らしてから、改めて灯莉を見る。


「灯莉」

「なに?」

「――敵の人型戦略機にも、人が乗っていたのか?」

「だったら? どうするの? それが? それを知る事は、三週間意識不明だった昼斗にとって重要なの? まさか、『私は人を殺してしまった』とでも嘆くつもり?」

「いや……Hoopには知性は無いというが、人型戦略機は知性が無くても操縦できるとは思えなくて、それで――」

「だから、そんな事より、まずは自分の体の事を考えてと話してるの。理解出来ない?」


 灯莉の瞳が鋭く変わる。だが、昼斗にはその理由が分からなかった。


「どうして怒ってるんだ?」

「死ぬところだった」

「? それが? いつも、戦闘は危険だぞ?」

「私には心配する権利もない?」

「心配……? 灯莉、お前……俺を心配してくれてるのか……?」


 純粋に昼斗は驚いたから、思わず目を丸くした。すると灯莉の表情が、さらに苛立つものへと変化した。その時病室のドアが開き、医師の相良と看護師達が入ってきた。




 再三にわたり検査を受けてから、三日後に昼斗は退院する事になった。灯莉の運転する車の助手席に乗り込み、コートを纏った腕を組んで、昼斗は車窓から街並みを見ていた。十二月の午後四時四十分は、既に薄暗い。青と白と灰色が混じりあった曇天の空の下、レトロな電飾が、車道の周囲の街灯を彩っている。


 歩道を眺めれば、手袋をはめた小学生くらいの子供が、母親と並んで、笑顔で歩いていた。昼斗が見ている前で、玩具店へと入っていった。もう少し進むと、遠目に自然公園が見えて、そこに設置された青い電飾で出来たクリスマスツリーが見えた。


 十二月五日。


 昼斗は車に搭載されているデジタル時計のカレンダーを一瞥する。灯莉がいう通り、世間はすっかりクリスマスムードらしい。その後右折し、二人は共に暮らす、軍規定のマンションへと向かった。


 エントランスを通り抜けて中へと入ると、昼斗は『帰ってきた』と、そんな心地になった。引越しをしたのは十月だが、今ではここが、確かに〝家〟だと実感する。そのまま昼斗は、真っ直ぐにキッチンへと向かった。そして冷蔵庫の前に立ち、扉を開ける。


「お腹が空いたの?」

「いや?」

「じゃあどうして冷蔵庫の前に? 喉が渇いてるの?」

「――出来る範囲の家事をしろって、言ってただろ?」

「まさか出来ない範囲に入っている料理をするつもりなの?」

「そうだ」

「不要よ。今夜は、宅配を頼むから」

「そうか」

「それに……っ、退院したばかりなんだから、今日くらい寝てなさいよ」


 それを聞いて昼斗は目を丸くしてから、破顔した。灯莉は、優しい。自分の事をこのように慮ってくれる灯莉の事が、やはり自分は大好きだと、昼斗は感じた。


「どうして笑ってるの?」

「ん? あ、いいや……その、何を頼むんだ?」

「一応退院のお祝いを兼ねない事も無いけど、何か食べたいものはある?」


 怪訝そうな顔をしている灯莉の言葉に、昼斗はさらに笑みを深めた。


「宅配でなかったら、食べたいものがあったな」

「一応言ってみて」

「クラムチャウダー」

「一品追加してそれくらいなら作ってもいいよ。宅配は、チキンでいいかな?」

「それは二十四日がいいんじゃないか?」

「クリスマスイブを、私達が祝えるかなんて、それこそ神のみぞ知る事柄だろうけど、まぁいいわよ。じゃあ何がいい?」

「ファストフードのハンバーガーとポテトがいい」

「チキンとあまり変わらない気がするんだけれど?」

「入院食が薄味すぎて、無性に食べたかったんだ、最近」

「そういうものなのね。私は健康体だから、入院経験がないから分からない感覚」


 灯莉は終始無表情で、どこか不機嫌そうではあったが、本日は昼斗を無視しない。それが昼斗には、無性に嬉しい。好きな相手と言葉を交わせるというのは、やはり特別だ。


 灯莉の事が、大好きでたまらない。そんな自分自身を、滑稽だなと思いながらも、昼斗は目を伏せ両頬を持ち上げる。今、こうして灯莉と共にいられる事が、本当に嬉しい。


 これまで、戦う事に必死だったから、誰かを守りたいと感じていたわけではなかった。けれど今は、灯莉がいるこの世界を守りたい。確かに強く、昼斗はそう感じている。


「用意するから、寝ていて」

「ああ。リビングに――」

「寝室に行って」

「え?」

「そ、その……完治したから退院したとしても、体力が落ちてるんだから、きちんと取り戻すまで。それまでは、監視する者としても、ええと……一応、昼斗の身元引受人であり、保護者的な立ち位置の人間としても、ソファは不適切だと判断してる。それだけだよ」

「つまり? どういう?」

「寝室のベッドで寝れば言ってるの。本当イライラするなぁ、日本語が不自由なのかな? 機体の言語は英語だものね!」

「? エノシガイオスは、日本語を話すぞ?」

「それは翻訳機が搭載されてるからでしょ。もういいから、さっさと行って」


 不機嫌そうな灯莉に追い払うようにされて、昼斗は寝室へと向かった。


 寝室のベッドに仰向けになり、昼斗は久しぶりに見る天井を眺めた。瞬きをすると、対峙した敵の人型戦略機の姿が脳裏を過ぎる。円盤は、どうなったのだろうかと漠然と思案し、それから響いて聞こえた声を思い出した。


『地球を滅ぼす』


 そんな声だった。


「ラムダの秘宝を返還すれば、滅ぼさないという意味に聞こえたけどな」


 ポツリと零した昼斗は、じっくりと考えようと瞼を伏せた。Hoopは脅威だが、人型戦略機が仮に攻めてきたならば、数にもよるが地球はすぐに陥落すると考えられる。


「十二体目だとは言っていたけどな……地球にだって、第二世代・第三世代機がある。ラムダという惑星に、新型機が無いとは限らない」


 灯莉は明言しなかったが、敵方にも、人型かは兎も角知的生命体がいるのは明らかだろうと昼斗は判断している。そう、エノシガイオスの声も話していたからだ。


 嘗ての国境線が描かれた地球儀を、漠然と昼斗は想起した。線を少し通り抜けただけで、地球上には様々な文化や概念が広がっていた。それが星を跨ぐとなれば、同一の価値観がそちらにも形成されているかは疑問ではある、が、昼斗は目を開けながら呟く。


「知性」


 思考能力、知能――倫理観。仮に著しくかけ離れていたとしても、先方に、〝感情〟や〝罪悪感〟は存在しないのだろうかと思考する。昼斗は、そうは思わない。一つの文明体系が広がる惑星があるのだから、ラムダという名だと機体から聞いたその星にも、独特の文化や価値観があるのだろうと思うし、ならば、〝気持ち〟だってあるのではないかと感じる。


「……話し合いで、解決は出来ないんだろうか」


 敵、そう呼称するのが正確なのかも昼斗には分からないが、ラムダ系人類が存在すると仮定した際、あちらの要求は、明確に一つだった。


「ラムダの秘宝を返却すればいい」


 そうしたら、もう地球を襲う事はないという、脅迫。

 昼斗にはそう感じられた。


「秘宝を返して和解出来ないんだろうか」


 呟いてみる。だが、〝ラムダの秘宝〟がなんなのかを、昼斗は知らない。それさえ分かったならば、話が劇的に転換するのではないかという予感がした。


「昼斗。届いたよ。クラムチャウダーも出来たよ」


 そこへ、灯莉が顔を出した。体を起こし、笑顔で昼斗は頷いた。




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