退院し、マンションへと戻ってきた昼斗は、チェストを見た。写真立ての中では、光莉が笑っている。その背から、そっと灯莉が昼斗に抱きついた。
「なぁ、灯莉。そういうのは止めろ」
「私に抱きしめられるのは嫌?」
「違う。俺はお前が好きだ。だから――辛いんだよ」
「私も昼斗の事が好きだよ」
「同情しなくていい」
義妹は優しいからなと思い浮かべて、昼斗は苦笑しそうになった。すると灯莉が、昼斗の体を反転させて、正面から抱きついた。
「灯莉、気を遣わなくていい」
「遣っていない」
「じゃあ、どうして俺を抱きしめるんだ? 俺の気持ちを知っていて、今の状況だから――」
「抱きしめたいことに理由はいるの? 理由を述べるなら、それはそれで簡単だけどね」
「灯莉?」
「言わないと分からないの?」
「何が?」
「馬鹿。馬鹿だよ、本当。私がどれだけ愛してるか、気づいてない」
昼斗の体を抱きしめて、灯莉が吐き捨てるように述べた。だがその意味を、昼斗はすぐには理解出来なかった。だから回る灯莉の腕に両手の指で触れ、何度か瞬きをする。
「だから……気を遣う必要はないんだぞ……?」
必死で昼斗がそう告げると、昼斗の両肩に手を置き、灯莉が、触れるだけのキスをした。
その感触に、昼斗が目を見開く。
「違う、本当に好きなの。もう信じてもらえないかもしれないけど」
「!」
「酷い事をいっぱいしたと、自覚してる。でも――昼斗が大切なの」
そう言うと、灯莉の腕に力がこもった。
「愛してる。ああ、馬鹿みたいだな。こんな風に伝えるつもりなんてなかったのに」
寝室のベッドへと移動した直後、昼斗は押し倒された。後頭部を軽く枕にぶつけながら、灯莉の事を見上げる。目を丸くしている昼斗は、純粋な子供のような顔で尋ねる。
「灯莉……お前は俺を、好きなのか?」
「本当に、自分でも『まさか』って思ってるけど、愛してる」
「っ」
「昼斗は、もう私の事を嫌いになった?」
「――好きだ」
「知ってる」
そう告げると、灯莉が昼斗の唇を奪った。最初は触れるだけだったキスが、どんどん深く変わっていく。
こうして二人の夜が始まった。
「ねぇなんで私が、昼斗にキスすると思う?」
それを聞いて不思議そうな顔をした後、昼斗は瞳を揺らした。どうやら同情ではないらしいというのは分かったから――幸せな空想を述べる。
「灯莉も俺の事が好きだから」
「正解」
「え?」
「なんで驚くかな……もっと分からせないとならないみたいだね」
夜深々と、二人は口づけを交わした。
――このようにして、Hoopは飛び去り、以後飛来する事もなくなり、世界には平和が訪れた。カレーの鍋を見ていた昼斗に、後ろから灯莉が抱きつく。
「あ、灯莉!」
「何?」
「カレーが焦げる」
「焦げても焦げなくても、昼斗の作るカレーは不味いけど」
「っ」
「まだ鍋を焦がさないだけ、私の方が上手ね」
世界からHoopの影が去ってから、最初の春。基地の道路の両脇には、フキノトウとつくしが顔を覗かせている。慌ただしくクリスマスは過ぎ去ったけれど、二人はゆったりと春を迎えた。迎える事が叶った。
「好きよ、昼斗」
灯莉は、最近、〝義兄さん〟と呼ばなくなった。その理由を、一度昼斗は尋ねた事がある。
『恋人の事を、兄妹扱いしないだけだけど、それが何?』
と、灯莉は言っていた。ノートパソコンのキーボードを叩きながら拡大鏡がわりの眼鏡をかけていた、〝義妹〟の姿に、昼斗は頷くにとどめた。
その後さらに、二日目のカレーを取り分けて、二人は食卓に着いた。
「うん。清々しいほどに美味しくない」
灯莉はそう言いながらも、完食してくれた。本当に、〝根はいい子〟なんだよなぁと、出勤間際に、昼斗はチェストの上の写真立てを見る。今では、光莉と灯莉が並んだ写真の隣に、灯莉と昼斗が二人で撮影した写真もある。
「ほら、行きましょう!」
灯莉の声に、慌てて昼斗はエントランスへと向かった。本日は、人工島の慰霊祭がある。大勢の人を、昼斗が殺した島の慰霊だ。だが、最近は不思議なことに、昼斗は苛まれるような悪夢を見ない。いつも、二人で寝転んだベッドの上で、灯莉の隣で目を覚ます。
やはり、昼斗にとっては、灯莉は癒しなのだと、昼斗当人はそう感じている。
基地の人々も、最近は昼斗に優しい。
灯莉が伴っていなくても、ざるそばに異変はない。昼斗個人はその理由は知らないが、特別知りたいわけでもなかったから、これでいいのかもしれない。
ただし困るのは――灯莉があんまりにも愛を囁いてくることだ。
「なぁ、灯莉」
「ん?」
「べ、別に、そんな風に俺の事を甘やかさなくてもいいんだぞ」
エントランスで靴を履きながら、靴ひもを結びなおされ、昼斗は思わず述べた。
すると一拍の間動きをとめてから、灯莉が綺麗な笑顔を浮かべた。
「これは、復讐だから」
「え?」
「――私に心配させた、復讐よ。これから、覚悟していて。どれだけ私が心配させられたと思ってるの? 生涯、許さない。心配させられた復讐に、私は注がせてもらうわよ、この愛を」
灯莉はそう言って立ち上がると、チュッと音を立てて昼斗の唇にキスをした。
そんなこんなで、現在の昼斗は、実に平和である。復讐されている最中らしいが。
今日も二人で車に乗り込んで、もうじきあるというイースターというイベントのチラシを見た。灯莉はハンドルに手をかけながら、昼斗に対して笑う。
「ねぇ、昼斗?」
「ん?」
「私は、執念深いから、生涯昼斗を愛し続けるという復讐をするから、覚悟していてね」
それを聞いた昼斗は、吹き出した。
「なぁ、灯莉」
「なに?」
「それじゃあ、俺が嬉しいだけだから、何の復讐にもならないぞ」
二人の乗る車は、その後基地へと入っていく。
――このようにして、世界には平和が訪れた。それこそ灯莉の熱愛ぶりは凄くて、酷くて、灯莉の友人である三月や環、瀬是は遠い眼をしたものであるが、その束縛に、昼斗は気づかない。そんな風にして、新たな日々が始まる。
桜の花びらが舞い散る季節、それは、ある種の新たなる始まりとなる。
その後、地球系人類は、ラムダ系人類と条約を結ぶ日が来る。けれどそれは、昼斗にはあまり関係のない話である。その後も、人間は、生きていった。けれどその礎、呼吸する権利を得たのは、紛れもなく、粕谷昼斗という一人のパイロットの奮闘があったからであり、後に彼は、大佐に復帰後――少将、そして中将・大将と昇格していくが、それはまた別のお話だ。
世界には戦乱が溢れている。激動の十年を生きた青年の物語は、愛の元に一つ、幕を下ろしたのであった。
―― 了 ――