空から落ちる夢を見た。
とてもリアルな感覚にビビリながら落下し続ける。
恐ろしくはあったが所詮は夢。
ならば自分で考えたとおりの都合のいい展開にも出来るはずだ。
そう考えたてありとあらゆる手段を試し尽くしたが落下は止まらず、最後は大地の神様に祈り――。
目を覚ましたら、知らないベッドの上だった。
「ここは……?」
「あっ! 良かった、目が覚めたのね!」
声がした方に頭を向けると、心配そうな顔をしている少女がいた。
ぱっ見で十代後半だろうか。多分歳はオレと大差ない。
「身体はどう? どこか痛いところは? 町の人達に協力してもらって、ここまで運んでから治癒魔法をかけてもらったんだけど……」
「……あ~っと」
身体を起こして、何度か肩を回したり両手をグーパーさせたりする。
どうやら調子は悪くないようだ。
「キミが助けてくれたんだな、ありがとう」
「どういたしまして!」
村娘とおぼしき子から繰り出された太陽のような笑顔がまぶしい。
どうやら大地の神様は大分人の良い子を助けによこしてくれたようだ。
「もしあのまま森で倒れていたら、それはもう口にはできない恐ろしい目に遭ってたわよ。あの森は夜な夜な危険な生き物が出没するから、これまで帰ってこなかった人は百や二百じゃきかないの!」
「こわっ!?」
思わず正直な感想が飛び出る。
アレか、さっきの落ちていく感覚は夢ではなかったのか。
だとすればオレはかなーーーーーり運が良かったようだ。
そう確信できて安心したからか。オレの腹が「早くなんか喰わせろ!」と大きい音を鳴らし始める。
「あら、すごい音! すぐに温かいものを持ってくるわね♪」
「あ、ありがとな」
くすくすと微笑む彼女が隣の部屋――ダイニングに向かう背を見送ってから、改めて周りを確認する。
かなり年季が入ってはいるが、しっかりした木造りの家のようだ。
見える範囲内だけでも一人で暮らすには大分広く、部屋数にもよるが5人家族程度なら余裕で暮らせそうである。
清掃も行き届いているようで埃っぽさもなく、隙間風もなくて良い感じ。
ただ家具らしき物があまり見当たらないのと、何故か生活臭のようなものが感じられないのが気になった。
「見ようによっては都会のお金持ちが偶に使う別荘に見えなくもない……か?」
そんなことを考えていると、湯気とイイ匂いを立ち昇らせるスープ皿を持った少女が戻ってきた。
「ありもので作ったスープだけど、あったまるよ」
「美味そう!」
少しではあるが刻んだ野菜と肉が入ったスープをオレはじっくり味わった。こんなに美味しいと思える食べ物を口にしたのは久しぶりだ。
……久しぶり? うん、久しぶりだよな。……んん、前に食べ物を口にしたのはいつだっけ?? うまく思い出せない。
「ごちそうさま。とても美味しかったよ。……えーっと、しっかりお礼をするためにも色々と訊きたいんだけど、まずは名前を聞いてもいいか?」
「あたしの名前はリリィアよ。……あなたの名前は?」
「オレは――」
そこまで言いかけて答えに困った。
オレは、なんて名前なんだろう。
さっきスープを口にした後に感じた違和感がより強く襲い掛かる。
「ちょ、ちょっと待ってくれるか!」
「チョットマッテクレルカさん? ふーん、随分変わった名前なのね」
「そんなヘンテコネームで生まれた覚えはないっての!」
しかし、自分の名前も思い出せないのは本気でマズイ。ここはなんとしてでも思い出さないと。
うんうん唸りながら頭の中をこねくりまわす。
なにか、切掛けやヒントでもないものか……。
「……ごめんなさい、きっと大変なことがあったのよね。森で傷だらけになって倒れてたくらいだし……無理には聞かないわ」
「いや! 今なんかビビッときたから」
しょんぼりするリリィアに反応したわけじゃないと思うが、頭の中に一瞬映像のようなものが浮かんだ。誰かがオレの名前を呼んでいるっぽいが、その誰かの顔がよく見えない上になんか怒ってる??
ともかく、記憶の断片から得た情報はオレに『オレの名前』を授けてくれた。
「キョウイチ! そう、オレの名前はキョウイチだ!」
「わかったわ、じゃあキョウイチって呼ぶわね♪」
頭を抱える等のそれなりに怪しい態度を取っていた相手を、リリィアは特に不審に思わなかったらしい。にっこり笑顔は大変可愛らしいが、もう少し警戒してもいいのではないか。
「キョウイチは――その、王都から来たのよね?」
「…………すまん、どう答えればいいか分からないんだ。どうやら頭を強く打った? のか、記憶があやふやで……自分の名前もさっき思い出したぐらいだ」
「ええ!? た、大変じゃない! どどどどうしようう! どうしたら!?」
「まあ、そのうち思い出すんじゃないか? 何事もどうにかなるもんさ」
「ちょっと落ち着きすぎじゃない!? 普通はもっとこう慌てるものでしょ」
オレのからっとした返事に「う~~~ん」と腕を組んで考えてる様子のリリィアだったが、何か閃いたのか別室から何やら荷物を持ってきてくれた。
「これはキョウイチが倒れていた近くに落ちてたものよ。大きな鞄と、他にも色々散乱してたものを拾えるだけ拾ってきたんだけど」
「おお! もしかしたら何か手がかりがあるかもしれないな」
オレがどんな人間だったかが分かるもの。
たとえば、身分を証明するもの。手帳、バッジ、写真、連絡先とか何かしらがある可能性は高い。
「よーし、じゃあさっそ―あいだだだ!? あちこちが痛い?!」
「あわわわ!? ダメよ急に動いたら! 治癒魔法をかけてもらっていてもキョウイチは重傷だったんだから」
「おー……いてぇーい」
「今日はゆっくり休んで。荷物は逃げないし、家に帰るまでの間だったら私が色々とお話しできるから」
「家? リリィアの家はここじゃないのか??」
「ココはキョウイチの家……になる予定だったはずよ、多分」
「含みがあるのはなんでだ」
「その辺りも含めて話すわよ」
オレを不安にさせないよう気遣ってくれたのだろう。
リリィアは様々なことを教えてくれた。
「まず、あたし達がいるのはフロストタウンという町よ。より正確には町外れの農場ね」
フロストタウンは王都から遥か北方に位置する小さな町。
厳しい気候から生じる寒波と、隣接する魔の土地から侵入する魔物の脅威が目下の悩み。
その他いくつかの状況も相まって、現在は事情を抱えた者や罪人の罰として使う流刑地として扱われている場所らしい。
「ずいぶんワイルドな土地だ。で、キミの話を統合するとオレがこの農場の主だと?」
「少し前に王都にある魔法学院から連絡があったの。近々この農場の主となる人が来るから色々と面倒を見て欲しいって」
そこまで言い終えたところで、リリィアがちらりと窓の外を見た。
遠くの空が赤く黒くなっているので、もうじき夜になってしまうだろう。
「あの、迷惑じゃなければ明日も来ようと思うんだけど」
「迷惑だなんてとんでもない。リリィアが来てくれないとオレは身動きひとつ取れなくて倒れるかもしれない」
「ふふふ、冗談ばっかり♪ でも、なるべく早く来るわね」
自分の家に帰っていくリリィアにさよならをする。
一人になると途端に静けさが増して、家の中がすっかり冷え込んでしまったかのように寂しい空気になってしまった。
「本当に感謝だな」
正体不明の男を献身的に助けようと行動できる人間は中々いない。
リリィアが特別優しい可能性はあるが、案外フロストタウンの住人達が皆優しい気質という事もある。
「なんにしても、だ」
やらなければならい事は多い。
当たり前だがまずは身体を回復させること。
それと並行して、オレの物らしい荷物のチェック。
「少しでも手がかりがあれば……」
ひとまず手の届く近さにあった鞄を引き寄せて、中身を確かめていく。
不思議なものでオレという人間は『記憶が曖昧』で『見知らぬ土地』にいるにも関わらず、落ち込む気配もない。
鞄の中を確かめてる際は、まるで宝箱を開ける時のような気持ちでいた。
これから始まるであろう生活にはドキドキワクワクしている。
付け加えるならこの『農場』にも興味いっぱいだ。
オレがここの主だとするなら、それはつまりこの場所を好きにしていいって事になる。そう思えば思うほど、胸の奥から熱い物が湧き上がってくるようだ。
「案外、オレは土いじりが好きだったのかもな」
ごみごみした都会でくだらない争いや関係ない主義に巻き込まれて辟易するなら、田舎の片隅でのんびり野菜でも作る方がいいに決まっている。
ああ、“念願のスローライフが目の前にあるというのはかくも素晴らしきかな!”
「ん? 念願……?」
またひとつ、パズルのピースがはまったかのような感覚があった。
そして思い出される記憶。
そうだ。オレは色んなことに挑戦できる場所を、具体的には農場や牧場を欲していたのだ。
「いいぞ、いいぞ。この調子で思い出してこう」
テンションが上がっていく中で、オレの手が鞄の中に入っていた本を掴む。その表紙を見るのと同時に、
「これは……魔導書か」
ドクン、と胸の奥が大きく脈打つ。
そして誰かに促されたかのように。
オレは大好きな玩具を貰った子供みたいに、夢中でその魔導書のページをめくっていったのだった。