「あらアレックスさん。今日はどこかにお出かけ?」
「ちょっとした野暮用ってやつだぁ」
擦れ違いざまに挨拶してくれた女性の臀部に、アレックスの手が伸びる。「もーやだぁ♪」と大して気にした様子もなくペチリと叩かれてしまえばアレックスも残念そうに笑うだけでそれ以上何もしない。
鍛冶屋のアレックスは腕はいいが酒と女が好き。
それがフロストタウンの皆が知る彼の風評だ。
そんな彼が朝から出掛けるのは割と珍しいので、会う人会う人が珍しそうなものを見るような視線を向けてくる。
「よぉ、景気はどうだいアレックス?」
「ぼちぼちってとこよ。俺に前借りしてる奴次第だがなぁ」
馴染みの酒飲みと挨拶を交わすと、不意に横に並ぶ人の気配があった。
「あなたに前借りするなんて、どこの誰かしら?」
「おっと、中央通りで会うなんて奇遇だな“失踪聖女”」
出会い頭の挨拶は最後だけ当人にしか聞こえない小さなものだったが、エイラは一切隠すことなく眉根を寄せた。常人には気づかない程度に剣呑な空気すら漂わせてすらいる。
「その名前で呼ぶのは止めて欲しいと、再三伝えてますよね? 偉大な勇者様の頭の中は鳥並ですか。三歩歩いたら忘れるんですか」
「大事なことだけ覚えてる主義でね。……いや悪かった、ほんの冗談なんだ。だからメイスで頭を狙うのは止せ」
「はぁ……あなたといると疲れます」
「獣人の相手をするよりかい? 美人を疲れさせるなんて俺も罪な男――待て待て、わかったわかった。これ以上からかわないから止めろって、柔和で上品なエイラさんがする顔じゃないぞそれ」
「くっ……誰のせいだと!」
「へいへい悪ぅござんした。じゃ、俺はあっちに用があるんで」
そそくさと退散するアレックス。
しかし、その後ろをついてくる気配は消えない。向かってる方角が重なってるとしても町の外までついてくるのはおかしい。
「まさかお前、人知れず俺を亡き者にする気か!」
「人聞きが悪い事を言わないでください。私はこの道の先に用があるだけです」
「この先ってお前……こっちにあるのは荒れた農場ぐらいなもんだ――」
最後まで言い終わる前にアレックスの言葉が途切れる。
荒れた農場しかないのなら、エイラの用事もまたそこにある。そしてそれはアレックスも同様だった。
「第一印象は?」
前後ではなく横に並んでアレックスが尋ねる。
その声色は困ったおっさんではなく、歴戦の猛者を思わせた。
「少なくとも悪人ではありません。記憶を失っている点が気になりますが……それについては追々探るしかないですね」
「まあいいけどな。もし怪しい動きを見せたのなら――」
アレックスの目が、すっと細まる。
「町から叩きだす」
「心配性ですね」
「あいつらの様子を見に行こうとしているお前さんに言われたくないな」
「あら、あなたも同じではないですか」
「俺はあの若造がちゃーんと約束を守る気があるのか確かめようとしてるだけだ。一種の取り立てだな」
「はいはい、そういうことにしておきましょう」
長い付き合いを感じさせる会話をしながら進む二人の前に、農場の入口が見えてくる。農場の入口に設置されたアーチは、以前と変わらず錆びついており描かれていた絵も霞んで久しい。
入口からして哀愁漂う場所だが、アーチの内側へと足を踏み入れた時。
「え!?」
エイラが慌てて家屋の方へと駆けだした。
彼女の目には信じられない物が映っており、それは近づくにつれて幻ではなく実際に存在するものだとハッキリと分かってゆく。
「おいおい、何を慌ててんだそんなによ」
「これが慌てずにいられますか!? アレを見てください、アレを!」
「あん? ……って!? 若造がリリィアに向かって凶器を振り上げてるじゃねえか本性を現しやがったなクソ野郎が!」
「どこを見てるんですかどこを! 単に農作業に明け暮れてるだけでしょうが!! そうじゃなくて、見るべきは彼らの足元しょう!」
「足元ぉ?」
娘にちょっかいを出す間男に対してキレたような顔のアレックスが、エイラが指さした方を注視する。
すると、みるみるその顔が驚きへと変貌していった。
「あの野菜がどうかしたのか?」
「すみません、察しが悪すぎて話す価値がないので黙っててもらえます?」
「いきなり辛辣?!」
エイラ達が旧友コントをしてると、騒ぎに気付いたキョウイチが手を振り始めた。
「アレックスにエイラさんだ! 今日は何か御用かな?」
「いえ今回はキョウイチさんの様子を見に来たんです……が! これはどういうことか説明してもらってもいいですか!!」
エイラが興奮しながらキョウイチの両肩をがっしり掴む。その見開かれた目は研究欲を迸らせる植物学者のソレだった。
「ああ、これはエイラさんに分けてもらった種が育ったんですよ。いやー、すごくいい種だったんですね。こんなにもイイ感じにスクスク育って――」
「イイ感じどころではありません!」
その場にいる全員の頭を揺らす程の声をエイラが張り上げる。
「種を植えてからまだ一週間も経っていないはずです。なのに、なのにこれは……」
エイラが改めてキョウイチの畑を確認する。
そこには芽が出るどころか、小さな実りが出来始めている青々として立派なホッポーカブの姿があった。
「この育ち具合なら来週には収穫できてもおかしくない……一体どうして……」
「それはキョウイチさんが使えるエンチャントの魔法のおかげです」
「エンチャント? でも仮にエンチャントが出来てもそれで作物がこんな風になんて(ブツブツブツブツ)」
何やら考え込むようにエイラは何事か小さく呟き始める。
その間に、今度はアレックスがキョウイチの前に立った。
「おいキョウイチ。ここの硬い土はどうやって耕したんだ? リリィアの魔法でどうにかしたのか?」
「手伝ってはもらったけど、どうにかしたのはコイツだよ」
キョウイチがひょいと振り上げてみせたのは、まごうことなきアレックスが融通したクワだ。逆に言えば大した手間も材料もかかってない、なんだったらちょっと微妙な品質のクワでもある。
予備も含めていくつか渡した物のひとつなのだが、その内の一本はリリィアが持っており、今正にアレックスの視界内でリリィアがクワを振り下ろすとアレックスもよく知る硬い地面が『ざくっ』と音を立てて掘りあげられていた。
「……一体どんな魔法を」
「だから、エンチャントだろ。オレが使えるのはそれだけだし」
「…………うむむむ、ちょっと俺もやってみていいか?」
「ああ。どうせなら次に畑を作ろうとしてる、あの辺でやってくれ」
ホッポーカブが育つ小さな畑から少し離れた位置に移動して、アレックスが大した力も込めずにクワを振り下ろす。
結果はリリィアの時と同じ。むしろより力の強いアレックスがやった分だけ、さらに深く広く土を耕せている。
これにはアレックスも笑みを滲ませずにはいられなかった。
「だはははは! なんだこれ、これはなんだ! あの無駄に硬い地面が余裕で掘れるじゃねえか。特別なクワかこれは」
「アレックスのクワなんだから普通のとは違うだろ」
「バカ野郎そういう話しじゃねーんだよ! いや、しかしほんとにすげえな」
ついつい面白くなってしまったアレックスは、あっという間にホッポーカブの畑と同じくらいの面積を整地してしまう。これにはキョウイチだけでなくリリィアも驚いていた。
「おい小僧! どうせならもっと耕してやろうか!」
「そりゃ助かるがいいのか? おっさんには鍛冶の仕事があるだろ」
「こんな楽な作業にそこまで時間がかかるかよ!」
意気揚々と再びすごい勢いで整地を行なっていくアレックス。
その光景には考え込んでいたエイラも呆れてしまう。
「申し訳ありませんキョウイチさん。ご迷惑でなければ彼の好きにさせてあげてください」
「迷惑なんてとんでもない。わざわざ手伝いにきてくれて有り難いかぎりですわ」
「手伝い……う~ん……」
本来監視か探りにきてたであろう事を知るエイラは言葉を濁したが、当の本人が楽しそうならいいかと深く考えないようにした。
「繰り返すようですが、本当に驚いたのですよ。キョウイチさんがとても農業がお上手なものですから」
「エイラさん達のおかげですよ、道具も種も借りたものだし。でもこれなら思ったより早く御恩を返せそうだ」
「まあっ! 別に構いませんのに」
「いいえ受け取ってもらわないと! オレ達のホッポーカブをね」
エイラは無邪気な笑みを浮かべるキョウイチから感謝が伝わってきていた。
(ふむ、“オレ達”ですか。自分ひとりの力ではないという事ですか)
その態度に好感を抱くエイラは、此度の用事は終えたと知った。
少なくとも当面の間は厳しく監視する必要は無いだろうと思える。元聖女である彼女は悪意に敏感なのだが、目の前にいる青年にはソレが無い。
「キョウイチさん。リリィアとは仲良くしてあげてくださいね」
「ん? もちろんですよ」
「ワタシやアレックスともそうしてくれると嬉しいです」
「ははっ、どうしたんですか急に。当たり前じゃないですか」
「ふふふっ♪ ではお言葉に甘えて早速ですが……このホッポーカブの育て方を説明してもらえますか!?」
ガシッ! とキョウイチの両手が掴まれる。
「もうさっきから植物学者の興味がうずいてうずいて仕方ないのです!!」
「ちょエイラさん!? 近い近い、勢いがすごい! そんな迫らなくても話すから!」
半分逃げ出すようにキョウイチが距離をとると、トンと誰かにぶつかって身体が止まった。
「随分仲良くなったのねキョウイチ」
「お、おおリリィア。ちょっと助けてくれないか、エイラさんがなんかスイッチ入ったみたいで!」
「ああなったエイラさんは止められないから、大人しく捕まって♪」
「ええぇ!?」
他に助けを求められそうな人は近くにいない。
こうなったらと半ば諦めるようにキョウイチが座り込む。その姿にくすくすと微笑むリリィア。
「ほんとによかった」
「ん?」
「フロストタウンの仲間入り、おめでとうってことよ」
「!」
リリィアがそう告げたのであれば、そうなのだろう。
キョウイチの胸の内はポカポカと温かくなった。気づかぬ内に、自分がやるべき最初のひとつは達成していたのだ。
「ああ! これからは町の仲間としてよろしくなリリィア!!」
「うん♪」
失われた記憶。
自分が流刑地にいた訳。
親身で優しい女の子に、それぞれが秘めた事情がある町の住人達。
色んな出来事に遭遇する怒涛の日々はこうして始まった。
★大目標:冬の大寒波を越える準備を整える