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第7話 年の差

 真剣な千葉に全員が注目し、深瀬はつい苦い顔になる。

「でも、笑ってたぜ? それに虚構なんだし……」

「これは僕の推測ですが」と、前置きをしてから千葉は語り始めた。

「赤ん坊はまだ状況を把握はあくできる能力を持っていません。歩けるようになったばかりで、楽しくて歩いているうちに迷子になったものと考えられます。さらに現在は、あらゆる記憶が結合して混乱している状態です。何らかの理由でどこかの虚構世界から、赤ん坊だけが飛び出してしまったのではないでしょうか?」

「うーん、そういうもんかなぁ」

 深瀬は苦笑いでにごし、自分の席へと戻った。

「ありえない話ではないけど、だとしたらあの子を捕まえて元の世界に戻さないと」

 と、麦嶋が優しさを発揮し、千葉は返す。

「そのためにもまだ情報が必要だな。分離作業を進めていくことで、本来の居場所も分かってくるはずだ」

「そうだね。頑張ってやっていこう」

 同期の気安さで二人が話し、もう一人の同期である田村が文句を言う。

「っつっても、一日に二件が限界じゃねぇか。前みたいに三件、四件って次々にできねぇからつまんねぇよ」

 すると、すかさず舞原が返した。

「一件に時間がかかるんだから仕方ないでしょう? あなたも千葉くんを見習って頭を使いなさい」

「めんどくせーです」

「じゃあ、外すわよ? 千葉くんと離れて単独行動、任せられるかしら?」

 にやりと舞原が笑い、田村は慌てて表情を引き締めた。田村と千葉が付き合っていることは周知の事実であり、田村が実は寂しがり屋なのもバレバレだ。

「さーせんしたっ!」

「日本語は正しく」

「すみませんでした!」

 千葉がくすくすと笑い、深瀬も思わず笑みをこぼす。結局、田村は以前と大して変わらない役回りだ。いや、むしろ現在の方が彼にとっては大変かもしれない。


 昼休みが始まる前にはA班も戻り、深瀬は樋上へ声をかけた。

「樋上さん、久しぶりに一緒にお昼、食べませんか?」

 横目に深瀬を見た樋上は低い声で返す。

「悪い、食欲ねぇんだ」

「舞原さんから聞きましたよ。ここのところ、菓子パン一個で済ませてるそうじゃないですか。さすがに心配なんで、食堂行きましょう」

 少し前まで同じ班だった仲間だ。深瀬がじっと樋上を見ていると、彼がため息をついた。

「しゃあねぇな。分かった、ちゃんと食うよ」

「よかった。じゃあ、それ書けたら行きましょう」

 直後に昼休みが始まり、樋上は「ああ」とだけ返して、報告書を書くのに集中した。


 食堂で向かい合い、深瀬は問いかける。

「で、いつまで落ち込んでるんですか?」

 樋上は一瞬動きを止めてから、深々とため息をついた。

「そんなにすぐ立ち直れねぇよ」

 彼の苦悩は分からないでもない深瀬だが、黙って見ていられないのも事実だ。

「もう一週間以上経ってるんですよ。あんまり引きずらない方がいいかと」

「……じゃあ、お前だったらどうなんだよ」

 上目遣いに樋上が言い、キムチラーメンをすする。

 深瀬は次に彼が何を言うのか、黙って予想しながら待った。

「もしも麦嶋が殺人犯で、警察に逮捕されてニュースになったとして、落ち込まずにいられんのかよ」

 樋上は以前までC班の班長をしていた土屋という女性に片想いをしていた。しかし、彼女は殺人犯として警察に逮捕され、ニュースになった。

 さらに彼女は終幕管理局の局長である嵯峨野のめいだったため、嵯峨野に頼んで殺人があった事実を消去させたという。嵯峨野が局長を辞任したのは隠蔽いんぺいに加担したためだった。

 深瀬は唐揚げを一つ、口に入れて咀嚼そしゃくした。

「俺は、一度彼女のことを振ってますし」

「でもあいつはお前のこと、まだあきらめてねぇじゃん」

 そう言われてしまうと困惑するしかない。

 麦嶋の気持ちはずっと前から知っていた。バレンタインデーには本命としか思えない手作りチョコをもらったし、度々アピールもされている。しかし、どうしても深瀬は前へ踏み出せなかった。

「でも、八歳ですよ? 俺なんて彼女からしたらおじさんだし」

 何度も繰り返してきた言い訳が苦い。学年的には七歳下だが、彼女が三月生まれで深瀬は五月生まれなため、実質的な年の差は八歳なのだ。

「世の中には二十だの三十だの、年の差があっても結婚してる夫婦だっている」

「それはそれです。俺の場合はダメなんです」

「何が? っつーか深瀬、お前ってずっとそうだよな」

 樋上が箸を置いた。

 かまわずに唐揚げ定食を食べ進める深瀬へ、樋上が感情的になりながら言う。

「自分のことダメだって言ってるけど、全然そんなことねぇじゃねぇか。B班の班長に任命されて、新人の教育まで任されて。灰塚さんがどれだけお前に期待してると思ってんだ? いい加減受け入れろよ」

 じっと深瀬をにらむ瞳はうるんでいた。彼とは入った時期が同じで、深瀬が独身寮にいた頃は部屋が隣だった。

 そっと視線を外し、グラスに入った水を半分ほど飲み干す。ことんとトレイの上へ置いてから、深瀬はにこりと微笑んだ。

「ありがとうございます、樋上さん。でも、これは俺の問題なので」

「自覚してんなら、なおさら受け入れろっつーの」

 不機嫌に言い捨てて樋上は再び箸を取った。

 彼を励まそうとして昼食に誘ったのに、すっかり不機嫌にさせてしまった。深瀬はダメだなと自己嫌悪し、まさに今言われたことだと気づいて苦笑した。


 仕事終わり、帰り支度じたくをしていた深瀬に麦嶋が声をかけてきた。

「あの、深瀬さん。ちょっと話したいことがあるので、よければ、その……どこかで、二人きりになれませんか?」

 こんな風に彼女から誘ってくることはこれまでにも何度かあった。深瀬は特に予定がない限り、断ったことはない。

「いいよ。喫茶店にでも入ろうか」

「はい、それでお願いします」

 麦嶋がほっとしたように表情をゆるめた。


 終幕管理局からほど近い喫茶店に入り、窓際の二人席に座った。

「あの、今日の午前中はすみませんでした」

 注文を終えるなり麦嶋が頭を下げ、深瀬は少々驚いた。

「どうして麦嶋さんが謝るの? 悪いことはしてないじゃないか」

「いえ、考えが足りなかったなって気づいたんです」

 そう言って頭を上げ、彼女はまっすぐな目で深瀬を見つめる。

「あたし、学生時代はいじめっ子だったんです」

「ああ、そういう……」

「いじめっ子と言っても、あたしはただ周りに合わせていただけで、いじめられたくないから同調してるだけでした。仲間外れにされたくなくて、孤独になりたくなくて……でも、それが悪かったんですね」

 彼女はテーブルへ視線を落とす。

「いじめられてる子の気持ちなんて、考えたこともなかった。だから、寺石くんと意見が合わないのは当然でした」

 実際に体験してみないと当事者の気持ちなど分からないものだ。たとえ想像力があったとしても、それだけではおぎなえない。

「だから、あれはきっとあたしが悪かった。寺石くんにも、後でちゃんと謝りたいと思ってます」

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