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「佐々木部さん、本当に道、あってるんですか?」弓本さんはいった。
「確実に近づいているから、心配しないでください」と僕はいう。
僕たちは二時間前から山道を登り続けていた。見える景色は緑一色だ。そのせいで、体感時間が50%増しになっているような気がした。
「本当にこんなところに人が住んでるんですか?」と弓本さん。
「うわさをたよりに向かっているだけなので、ふたを開けてみれば何もなかったということになるかもしれないですけど」
「えー!」と弓本さんはあからさまに非難するような声を上げた。「変態オヤジたちがこんなところに集団で住んでいるなんてうわさ、いったいどこから仕入れたんですか」
「ネットですけど」と僕はいい、弓本さんの方を振り返った。
弓本さんはいつのまにか上着を脱いで半袖一枚になっていた。白い半袖のシャツには汗が染みている。
「最近変態オヤジの一人が失踪して、書置きを残していったんです。その書置きには、このあたりにある古い寺に行く、そこは変態オヤジの楽園だ、と書いてあったらしいんです」
「ふうん。でもネットの情報なんでしょう?」と弓本さんは偉そうに肩をすくめる。
「まあそうですけど」僕は弓本さんをにらむ。
「ん? 何見てるんですか」
「な、何も見てないですよ」僕は前方に視線を戻す。
「いくら山道が険しいからって、私の巨乳が揺れるのを見て気をまぎらわそうとするのはやめてくださいよ」
自分の胸を自分で巨乳という人、初めて見た。
「漫画の中でありとあらゆるセクハラ行為をやりつくした変態オヤジたちが集団で住むところに行きたいなんて考える人の胸の内は簡単に読めますよ。どうせその変態オヤジたちからエッチなことを巧みに遂行する技術を聞き出そうっていうんでしょう?」
「ち、違いますよ!」
「じゃあ何なんですか」
「それは……」
確かに、ここまで一緒に来てくれているんだから、僕がなぜ変態オヤジを探しているのかくらいは教えておいた方がいいだろう。
「子どものころから好きな漫画があって、それが最近連載終了したんです。打ち切りじゃないですよ。大団円です。弓本さんも漫画の編集者をやってるんだから知ってると思いますけど」
「最近大団円した漫画? 知らないですね。漫画業界も広いので」
弓本さんは胸を張った。巨乳が揺れる。
「僕はとくにその漫画に出てくる変態オヤジが好きだったんです」
「変態オヤジなんて、どの漫画にも一人や二人出てくるじゃないですか」
「まあそうなんだけど、その変態オヤジは他とは違う感じがあったんです。発想が豊かで、自由奔放で、読者の思いもよらない方法で変態的行為を行ったり」
「要するに佐々木部さんの青春時代の何かを支えてくれた恩師ってことですね」
この女、なかなかきわどいことをいうな。
「ま、まあそんなところですね。でもその変態オヤジは途中から漫画に登場しなくなってしまったんです。作品が有名になって注目を集めるようになると、どういうわけかぱったりと変態オヤジは登場しなくなって、きわどい描写もなくなった。テコ入れしてギャグ路線からバトル路線に切り替えたからというのもあるんだろうけど……」
「よくある話ですね。連載が長期化すると読者層とかが変わっていくんですよ。これまでギャグとエロで通用していたのが通用しなくなったから、シリアスなバトル展開を入れました、それがうけたので続けます、なんてのはこの世界じゃ当たり前です」
「それはそうなんでしょうけど、そのために一人のキャラクターを消してしまうなんてひどくないですかね……。その変態オヤジは最終回にも登場しなかったんですよ。序盤ではメインキャラだったのに、まるで初めから存在しなかったかのように。昔のきわどい描写なんてなかったかのように……。」
「その変態オヤジさんは、なんていう名前なんですか?」
「
「ぜんっぜん知らないですねー。本当にその漫画有名なんですか?」
「いまだにネット上ではその作品のスレッドが立つくらいには有名ですよ」
「ネットの世界は広いですからね」
「さっきから変態オヤジに対して冷めたことばかりいってますけど、弓本さんはなんで僕の取材についてきてるんですか」
「なんですか。この私についてこられて困ることでもあるんですか。やっぱりやらしいことでも企んでいたんじゃないですか」
僕は首をふる。
弓本さんはそこから急に早口になった。
「まあ、なんというか、最近は何でもかんでもコンプライアンス、コンプライアンスって、うるさい時代じゃないですか。漫画みたいなフィクションの世界にもコンプライアンスが求められるようになって、性的な描写をすればいろんな人から怒られるようになってきて……。そのせいで女の子の服を脱がせたり、いろいろエッチな展開を入れたくても、入れにくい状況。佐々木部さんがいった通り、変態オヤジの登場頻度が減ってきているのもそのせいですね」
なんか急にまじめな話を始めた。弓本さんはどんどん早口になる。
「でも、フィクションの中であれば、多少セクハラやエッチな表現をしたっていいじゃないですか。現実とフィクションは違うんだから。まあ、世の中にはフィクションの影響を受けて現実世界で悪さをしちゃうイレギュラーな人もいるんですけどね……」
「弓本さんって女性なのにそこらへんのことには寛容なんだね」
「それ、女性に対する偏見ですよ」弓本さんは僕を指さした。「性的描写を批判している人たちは全体を見ていないんですよ。漫画の世界で性的描写をやってる雑誌なんかいくらでもあるのに、超巨大で超有名なうちの雑誌しか批判しないんです。なんでだと思います? あの人たちはたいして漫画に興味がなくて、たいして量も読んでなくて、業界のことも知らない。一番目立って目に映るうちらの雑誌がたまたま目に入ったから批判したってだけなんです。そしてマイナーでもっと過激なことをやっている雑誌は批判しない。おかしいでしょ? うちの雑誌が性的描写をやめても他の雑誌はやめないんです。というか最近はどんどん過激になってきてます。そうするとどうなると思います? 性的描写を求めて読んでいた読者、つまり佐々木部さんみたいなスケベな人が、ほかの雑誌に流れていくんですよ。そうなると、うちの雑誌の売り上げが落ちて、ほかの雑誌の売り上げが上がる。そしてうちの会社は廃れていく。こういうわけです。」
なんだか話が飛びすぎな気がするし、僕を問答無用でスケベな人扱いしていたし、それこそ偏見も含まれていそうな気がするけれど、いいたいことはわからなくもない。
「だから私は性的描写を復活させて、担当の作品をバカ売れさせて、巨万の富を得たいんです!」
弓本さんは拳を握りしめて天に突き上げた。
「結局お金の話になるんですね……」
「変態オヤジたちを見つけたら、見込みがありそうな人をスカウトして、私の担当の漫画に出そうと思うんです。そのときは説得に協力してくださいね!」
弓本さんはさっきまでの疲労感はどこへやら、目をキラキラさせていた。
「は、はあ。わかりました」
そんな会話をしているうちに、山道もだいぶ広くなり、歩きやすい平坦な地面に変わっていた。
もうすぐ寺が現れるかもしれない、という期待が高まってきた。
僕は知らず知らずのうちに自然と歩くスピードを速めていたらしい。
「ちょっと速いですよ。待ってください! 女性と歩くときはねえ、女性のペースに合わせるものなんですよ。これだからおたくは。佐々木部さんって恋愛経験あります」
うるさいなあ。
「そういうことをいう女性のペースに合わせたいとは思わないですね」
俺は競歩かというくらいに早足になる。競歩はやったことないけれど。
「あー。ひねくれちゃった。男の人ってプライド高いから批判されるとすぐに機嫌を悪くするんですよねー」
すかさず弓本さんも歩調を速めて僕についてくる。というか僕より速いかもしれない。結構運動できるのか?
ちらっと弓本さんの方を見ると、胸がとんでもない勢いで揺れていた。
「ゆ、弓本さんのプライドほどは高くないと思いますけど?」
「今胸見ましたよね!?」
「見てない!」
「スケベだ! もしかして佐々木部さんも変態オヤジの一人なんじゃないですか!?」
「バカにするな! 僕はまだオヤジと呼ばれるような歳じゃない」
「SNSにさらして漫画の世界から追放してあげましょうかー」などと悪い笑みを浮かべている。
そのとき、
「あ」
僕は急停止した。
「あうっ」
弓本さんの頭が僕の後頭部に当たった。
でもたいしたことはなかった。なぜならその直前に弓本さんの巨乳が僕の背中に当たり、低反発ウレタンよりも優しく、かつ心地よく、その衝撃を吸収したからだ。
「もう、ふざけるのはたいがいにしてくださいね!」
弓本さんはいうが、すぐに僕が急停止した理由を悟る。
老人が、道の真ん中に倒れていたのだ。