◆◆◆
『ねえ、汐里ちゃん! 将来ボクとケッコンしてくれる?』
夏の夕日の強い逆光で相手の顔が見えない。
彼が誰なのかも思い出せない中、記憶の中の幼い汐里は頷いていた。
すると相手は嬉しそうに口角を上げる。
『よ、良かったぁ……! 嬉しいな! 嬉しいな!』
そうして、彼は歌いだした。
【にんそく げんよき
たばたの べにに
たらくの いどよ
たかみの べにに
たこうの いどに
はがくれ やをつぎ
くものした こちふくかぜは
いとのさき】
外界の人間にとっては、不吉と言われるあのわらべ歌を。
何度も。何度も。
そして彼は差し出してきた。
カラカラと乾いた音が鳴る、日本人形を。
「……う」
目を覚ました汐里は、視界に広がる和風建築の天井に目を細める。
あのときの夕日は、もうどこにもなかった。
代わりに、蝉の声が夕暮れを知らせている。
(ここ、どこ……?)
涼やかな風鈴の音に、ジワジワと蝉の声が混ざっていた。
汐里は自身が見知らぬ布団に寝かされていることに気づき、起き上がろうとする。
と、視界の端に艶やかな髪と派手なネイルが現れた。
「わ!」
驚いて声を上げると、噤はムスッとした顔で冷えた手拭いを額にのせてきた。
「急に動くんじゃないわよ! アンタ、熱中症で倒れたばっかなんだから!」
「え」
周囲を見回すと、床の間がある和室のようだった。
襖にも障子にも見事な細工が施されている。
縁側に吊るされた紫色の風鈴が、ちりん と鳴った。
「あの、寧々先生は……」
寧々の姿が無いので問いかけてみると、噤は更に機嫌を損ねたように顎をしゃくって縁側の先を示す。
「倒れたアンタをほったらかして、アタシの家を『懐かしい~』『風情ある〜』とか言いながら撮りまくってんのよ! ほんっと図々しくて図太いったら!」
噤がプリプリ怒っているが、どうやら彼が看病してくれたらしい。
長いスクエアネイルがついた指で器用に手拭いを絞る姿は、まるで演者の動きのように華やかでなめらかだ。
「た、助けてくださって、ありがとうございます……あの時、腕で支えてくれたの、独楽鳥さんですか?」
ようやく遅まきながら礼を述べると、噤は不機嫌そうな顔から拗ねたような表情へと変わる。
「そうよ! アンタの寧々先生は支えるような気が利いたことしないでしょ! 目の前で倒れかけるアンタを放置して平気な外道と一緒にしないで欲しいわ!」
怒ってばかりの噤をどう扱えばいいかわからなかったので、汐里はとりあえず謝罪を繰り返した。
「ご迷惑ばかりおかけして本当に申し訳ありません」
それを聞き続けていた噤は溜息をつきつつ、首を振る。
「……もういいわよ。どうせ寧々のボケナスが無理難題言って、アンタを巻き込んだんでしょ。昔からアイツそうなのよね……」
噤が言うには、寧々とは幼馴染みで、寧々が家出してから数十年ほど音信不通だったという。
それが突然、帰還してきた上に、若い女をつれているので村の老人達は『弟切の若様が嫁をつれてきた』『弟切家も、これで安泰じゃ』と噂しているのだとか。
「……で、どうなのよ」
「え? 何がですか」
そこで噤が雑に絞った手拭いを額にのせてきた! 冷たい!
「だから! 寧々と結婚すんのかって聞いてるのよ!」
「そんなわけ! 絶対ないです! 有り得ないです! 違います!」
断固として断ると、噤はジト目を急に和らげ、笑顔になった。
「そ、そうよね~! 寧々みたいな変態はありえないわよね~! やだ、妬いちゃった!……ちょっとだけよ?」
何故だかわからないが、この独楽鳥 噤という青年は汐里に対して悪い印象は抱いていないようだった。
「帰れ」と言われたはずなのに、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。何なんだろうこの人……ツンなのか、デレなのか、全然わからない。
今も吸い飲みを片手に、膝をつきながら、優雅な手つきで汐里の背を支えている。
まるで雛鳥を守る親鳥のようだ。
唇に触れていた吸い飲みが離れる。噤の指先が背から項を支えたままの状態で、汐里は思い切って話しかけた。
「あ、あのっ、独楽鳥さん!」
「あ~ら? 噤でいいわよ♥アナタとアタシの仲じゃない♥」
どういう仲なのかわからないが、汐里は頭を下げる。
「何度も申し訳ありません! どうか御神子祭を取材させて」
「駄目よッッ! 帰りなさい!」
「そんな食い気味に否定しないでください! あ、あの、私、何でもしますので!」
そう告げた時、噤の目がきらりと光った気がした。
「……ナンでも? ほんっと~にナンでもするってのね?」
イヤな予感に汐里は身を退いて首を振るも、退いた分だけ噤が迫った。