夏の終わりが近づくある夕暮れ、アトリエの窓から差し込む柔らかな光の中で、ユンとヴァロワは新作の構想を練っていた。しかし、二人の胸にはまだ国際コンクールの一次審査通過の知らせが波紋のように広がり、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
「一次は通ったけど……」ヴァロワが声を潜めて言った。
普段は前向きな彼の表情に、初めて見せる不安の影がちらついていた。ユンはその顔をじっと見つめ、心配そうに尋ねる。
「どうしたの?」
ヴァロワはため息をつき、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面にはSNSのタイムラインが映し出されていた。そこには匿名の書き込みが拡散されている。
「聞いたか?あのカロンが今回の審査で反対票を投じたらしい」
ユンはその言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。厳しい批評家として知られるカロンの名は、二人にとって常に大きな影響力を持っていたからだ。
「反対票……?」震える声で呟いた。
「そうだ。噂はすでにネット中に広まっている。真偽ははっきりしないが、信憑性が高いと言われているんだ」
ヴァロワの言葉に、ユンの心は重く沈んだ。彼女はカロンの批評を何度も受けてきた。あの冷たい言葉が彼らの前に再び立ちはだかっているのだと思うと、気持ちが押しつぶされそうだった。
その時、控えめにアトリエの扉が開き、ナイルが入ってきた。
「噂は厄介だ。だが、まだ何も確定していない。運営から正式な通知は届いているのか?」
ヴァロワは首を振った。
「来てない。連絡はただ、『次の審査に進む』だけだった」
ナイルは冷静に言った。
「なら、噂に振り回される必要はない。ただ、問題は噂が広まることで、市場や関係者、さらには観客の評価にも影響が出ることだ」
ユンは俯きながら小さくつぶやいた。
「評価の壁って、本当に厚いんだ……」
数日が過ぎた。二人はアトリエで何度も話し合った。ヴァロワは自分の新作の前に立ち、静かに語り始めた。
「僕たちの作品はまだ未熟だ。技術も表現も、もっと深める余地がある」
ユンは静かに頷きながら答えた。
「そうね。でも、だからこそ成長途中の作品に対して、厳しい声があるのも当然。耳を傾けて向き合うべきだと思う」
「でも、噂で判断されるのはつらいよ」とヴァロワが苦しげに続けた。
二人の会話には、現実の評価の重さと、芸術の自由を追い求める心が入り混じっていた。
ある晩、ユンは自室で国際コンクール運営事務局に宛てて手紙を書いていた。
「噂の真偽をお知らせいただけますでしょうか。私たちは公平な評価を信じていますが、根拠のない噂が広まることで、制作の意欲を大きく損なわれています」
翌日、ナイルにその手紙を託した。ナイルは返信を待ちながら、二人の心を支える言葉をかけ続けた。
「どんな壁があっても、自分たちの信じる表現を追い続けることが大事だ」
数日後、運営事務局から返信が届いた。内容は簡潔で明確だった。
「カロン氏が反対票を投じたとの噂は事実無根であり、審査は公正かつ透明に行われております」
その知らせは、二人に大きな安心感をもたらした。しかし同時に、芸術界の厳しさと情報の怖さを改めて実感させた。
ヴァロワは静かに呟いた。
「評価の壁は形を変えて、言葉だけでなく噂や情報の波となって襲いかかる」
「それでも、私たちはここにいる。自分たちの絵を描き続けるために」とユンは力強く答えた。
夏の終わりの夜風が窓からそっと吹き込み、二人の未来に新たな希望の種を蒔いた。芸術の道は決して平坦ではないが、彼らは一歩ずつ確かな足跡を刻みながら進んでいくのだった。