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第20話 大株主であるこの私が


鈴木さくらから前田さやかの名を聞いた時、前田愛子は思わず息を詰めた。

やはり五年前のあの事件は、さやかが絡んでいたのだ。

彼女はさくらの襟元から手を離すと、揉くしゃになった服を整え、穏やかな笑みを浮かべて言った。

「その通りね。因果応報ってものがある。あなたが正直に話せば、責任を問わないことも考えてあげる」

鈴木さくらはその時、愛子が当時の真相を全て知っているわけではないと気づいた。

愛子に詰められるより、さやかと争わせて共倒れさせた方がいい。

下唇を軽く噛みしめ、探るように尋ねた。

「話せば…本当に見逃してくれるの?」

愛子は眉を跳ね上げた。

「それはあなたの態度次第よ」

腹立たしい思いを抱えながらも、さくらはありのままを話した。

「当時、さやかさんに呼び出されて…愛子さんをどうにかして富田さんに会わせるよう頼まれたの」

彼女は鈴木一郎の継娘に過ぎず、セレブの社交界ではいつも浮いた存在だった。

さやかはその弱みを握り、「愛子をあの夜、富田航平に会わせさえすれば、今後はパーティに招待する」と約束したのだ。

さくらはまさか、愛子を待ち受けていたのが誘拐と脅迫だとは思ってもみなかった。

「それだけ?」愛子は眉をひそめ、予想通りの答えに不満げだ。

さくらは歯を食いしばり、付け加えた。

「さやかさんが私を呼んだ日、誰かから電話があって…相手を『富田おばさま』と呼んで、すごく丁寧な口調だったの」

愛子の目が細くなった。

前田家でわがままに育ったさやかが、そんな敬称を使う相手――それはおそらく富田航平の母、富田文子に違いない。

どうやらあの事件には、文子の関与もあったらしい。

「他には?」

「私の知っているのはそれだけよ」

愛子はかすかにため息をついた。

「見逃してあげようかとも思ったのに、残念だわ…」

さくらが息を詰めると、愛子は続けた。

「それなら、辞めて頂戴」

「何ですって!」

卒業後すぐにこの会社に入り、苦労して二年かけてやっと課長に昇進した。次は部長を目指していたというのに。

「理由は簡単よ。大株主であるこの私が決めたことだから」

愛子は当然のように笑った。

「五年前、私が事件に巻き込まれて株価が大暴落した時、鈴木社長は私を半月も軟禁したわ。あなたも関わっていたのなら、相応の代償を払うべきじゃない?」

さくらは抗った。

「父も株主です。私は父のために動いただけ。父が辞めさせたりしません!」

愛子は謎めいた笑みを浮かべて彼女を見た。

「あなたが私を陥れたことを鈴木社長のせいにしたら…彼はあなたを守ると思う?」

信託契約の定めにより、一郎が愛子に危害を加えた場合は、彼女の名義株権利を永久に失う。

さくらはそのことを理解し、一瞬で顔色が青ざめた。

愛子が本気でそう仕向ければ、父は自身の利益のために、たとえ彼女が辞めなくとも解雇するだろう。

「…辞めます」

さくらは目を赤くして、悔しさと怒りをにじませた。

愛子の表情は微塵も揺らがない。

蛇に噛まれた者が、再び蛇に情けをかけるはずがない。

彼女は恩には恩で報い、怨みには怨みで返す。怨みに恩で報いるなど理解できない。

鈴木一郎を待つ間、愛子は退屈そうにSNSをスクロールし、一時間前にさやかが投稿した写真を見つけた。

完璧なメイクで、バラの大輪に寄りかかり、顎を手に乗せて輝く笑顔のさやか。

花束の上にはビロードの宝石箱――透き通るような翡翠の腕輪が光っている。キャプションには「ついに待ち望んだ特別な愛」とある。

愛子はその腕輪を、目が痛むほど見つめ、やがて冷笑してスクリーンをロックした。

山下秘書に「就任書類が届いたら連絡を」と伝え、彼女は会社を早退した。

健太がビジネスイベントに参加している隙に、愛子は港区の高級マンションへ引っ越し業者を連れて向かった。

母が残してくれた湘南の別荘に、私物を全て運ぶためだ。

健太が贈った高価な宝石類を前に、愛子の視線は透き通った翡翠の腕輪で止まった。口元に嘲笑が浮かぶ。

健太がくれた贈り物は、ほとんど全てさやかが同じものを持っていた。

この腕輪は、五周年記念に健太が特注した一品。彼は「自分で作った最も特別な贈り物」と言い、愛子は寝ている間も笑みを浮かべるほど喜んだ。

当時それを見たさやかは「健太は私にもっと素敵なものをくれる」と挑発した。

愛子は夜、我慢できずに健太に尋ねた。「他の女性のためにも腕輪を作るの?」

すると彼は掌の傷を見せて、「君以外に、何億もの契約書にサインするこの手で腕輪を作る価値があると思う?」と甘く囁いた。

今なら分かる。彼がその質問をはぐらかしたのは、愛子が目の前でさやかと争わないと計算していたからだ。

さやかの言う通り、彼がさやかに与えたものこそが「特別な愛」だった。

当時の喜びが、今では痛烈な皮刺しに変わり、全ての贈り物がまぶしくて目が痛む。

使用人たちは愛子の帰宅を喜んだが、引っ越し業者の姿に呆然とした。

愛子と健太は普段から仲が良く、めったに喧嘩もしない。健太の愛子への溺愛ぶりは誰の目にも明らかだったからだ。

しかし愛子がハンマーを手に、二人の巨大な結婚写真をためらいもなく粉々に叩き壊した時、使用人全員が同じことを思った――「終わった」。

一方、健太は愛子が港区のマンションに戻ったとの知らせを受け、思わず口元を緩めた。

ようやく彼女の怒りが収まったのだ。長くは続かないと分かっていた。

取引先は健太の上機嫌に付け込み、価格を吊り上げた。

ところが提示された途端、健太の表情が一変した。携帯を凝視する彼の顔は暗雲立ち込めるように曇り、重苦しい空気が漂う。

「山口副社長、御社の協力姿勢には疑問を感じざるを得ません。では、次回に持ち越しましょう」

まとまりかけていた契約は、たった一つの価格交渉で破談。健太は記者会見もすっぽかし、港区のマンションへ直行した。

到着した時、愛子の姿はなかった。

別荘は略奪されたように荒れ、物音一つしない。

ウォークインクローゼットは空っぽ。愛子の書斎からは作品も創作道具も消えていた。

粉々になった結婚写真の前で、健太の顔は凍りついたように冷たかった。

創作のため別居、渡辺結衣宅への滞在、別れ話、離婚の要求――そして今回の引っ越しと写真破壊。

健太は愛子が単なる気まぐれだと思っていた。収まれば戻ってくると――彼なしでは生きられないと信じていた。

ここまで激しいのは、浮気か?それとも何かを知ったのか?

愛子が彼とさやかの不適切な関係を激しく責めたことを思い出すと、健太は舌で歯茎を押し、暗い瞳を細めた。

彼女の疑いは、あの夜、車内でさやかが媚びるようにすり寄ってくるのを見たせいなのか?

彼は携帯を取り出し、ダイヤルした。

「昨夜調べさせた件、結果は?」

その頃、愛子は健太からの贈り物を中古品店で格安売却した後、時間を確認すると中村拓真との待ち合わせ場所へ向かっていた。

個室へ案内されると、中村は既に到着して電話中だった。

相手の話に、彼は剣眉をひそめ、桃色の瞳に若干の苛立ちを浮かべながらも、口元には冷笑の影が漂っていた。

愛子の姿を認めると、彼は早口で何か言うと電話を切り、普段の緩んだ雰囲気に戻り立ち上がった。

愛子は竹の衝立のそばで少し躊躇すると、口を開いた。

「中村弁護士、今お電話だったのは…」彼が「前田社長」と呼ぶのをかすかに聞き取った。

都内で「前田」と言えば、健太を連想するのは容易い。

離婚の弁護士を中村に依頼したことは、遅かれ早かれ健太に知れると分かっていたが、ここまで早いとは思わなかった。

気づかれたと悟り、中村は隠さなかった。

「確かに前田健太からでした。しかも彼、今ここに向かってますよ」

予感が的中し、愛子の顔色が変わった。思わず拳を握りしめ、声を詰まらせて尋ねた。

「何て言ってきたの?」

中村はありのままに答えた。

「あなたの依頼を断るよう、条件は何でも受け入れると」


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