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第2話


康平は手に持っていた巻きたての充電ケーブルを強く握りしめていた。プラグの金属部分が、じんわりと掌に食い込む。


彼の目からは完全に温かみが消え失せていた。


「どういう意味だ?」


「斎藤麻衣に産んでもらえば?」


理音の声は鋭く、まるで刃物のようだった。


「あの人なら、きっと喜んであなたのベッドに入るわ――」


その言葉が終わる前に、康平は充電ケーブルを勢いよく床に叩きつけた。


部屋の空気が一瞬で凍りつく。


康平の胸は大きく波打ち、息が荒くなっている。下げた手は微かに震えていた。


「お前、自分が何を言ってるか分かってるのか?」


彼は歯を食いしばった。言葉一つひとつが、唇の隙間から絞り出される。


「人間の言うことか、それ。」


理音はさらに言葉を尖らせた。


「そうよ、私は最低。何度でも言うわ、麻衣に産ませれば。あなたたち斎藤家の“高貴な血”、他人なんかに渡したらもったいないでしょ!」


康平の首筋が赤く染まり、浮き出た血管が激しく脈打っている。拳を握りしめ、顎の筋肉がぴんと張っていた。彼の視線は、ドアのそばに立つ理音に釘付けになる。


理音は一歩も引かず、むしろ顎を少し上げて、挑むような目つきを返す。まるで、その一発を期待しているかのように。


その一撃で、彼女のわずかな期待を粉々にしてほしかった。

その一発で、残り少ない依存心を吹き飛ばしてほしかった。

そして最後に残った、捨てきれない惨めな恋心も消し去ってほしかった。


窓の外から雪が舞い落ちる音が、静寂の中で微かに耳に届く。


時間がゆっくりと過ぎていく。張り詰めた空気は、今にも破裂しそうな風船のよう。ほんの小さな火花で、すべてが爆発しそうだった。


どれほど経ったのか、康平はゆっくりと視線を外し、抑えた声で言った。


「お腹すいてるだろ? 何か買ってくるよ。」


そう告げると、無表情で床に転がったケーブルをまたぎ、そのまま部屋を出ていった。


再び、部屋にはしんとした静寂が戻った。


理音は乱暴に目元をぬぐい、強い自己嫌悪に包まれた。どんどん棘のある自分に嫌気が差し、すぐに感情的になる自分も、そしてこの息苦しい現実も、すべてが大嫌いだった。


結婚しても、何も良くならなかった。

ずっと憧れていた人と結ばれても、夢見た相手を手に入れても、幸せにはなれなかった。


雪松町は典型的なリゾート地で、年末が近づくと観光客でごった返し、宿泊費も高騰する。インスタントラーメンすら品薄になるほどだった。


康平はやっとの思いで、南港料理を出す食堂を見つけ、カウンターで料理ができるのを待っていた。


「ご安心ください、私のこの訛り、間違いなく南港生まれですよ。料理担当はうちの奥さん、きっと奥様の口に合うはずです。」


店主が胸を張る。


「ありがとうございます。」


店主は興味深そうに尋ねた。


「奥様、南港の味じゃないとダメなんですか?」


「まあ、そんな感じですね。かなりの偏食家で。」


康平は丁寧に答えた。


「せっかく同郷なんですし、奥様もご一緒にどうです? うちは暖かいですよ。」


「少し気まずくて。」


康平はスマホをいじりながら答えた。


「今ちょうど機嫌を取ろうとしてるところで。」


店主は意味深に目を細めて笑う。


「どんなに格好良くても、奥さんのご機嫌取りは男の務めですからね。なんだかホッとしましたよ、はは。」


康平は苦笑いを浮かべる。


料理を受け取り、ふと窓辺の花瓶に目を止めた。


「この花、譲ってもらえませんか?」


「ボタンですか?」


店主は驚く。


「それはうちの奥さんに聞かないと。あの花は大事にしてるんですよ。」


この雪深い季節に、見事な黄いボタンを手に入れるのは至難の業だった。


店主の奥さんは最初は渋ったが、康平は優しく頼み込んだ。


「うちの妻は目が肥えていて、普通の花じゃ満足しないんです。他にはないものが好きで。十倍出しますから、二本……一本でもいいので、譲ってもらえませんか。」


店主の奥さんは彼をじっと見つめた。


質素な服装でも、モデルのように着こなす若者。しばし考えた末、頷いた。


康平は大切にボタンと料理を抱え、足早に宿へ戻った。花が冷えたり、料理が冷めたりしないようにと、足取りはいつもより急いでいた。


無事に旅館へ戻り、部屋の前でドアをノックする。


中からは何の反応もない。


もう一度、声を落としてノックする。


「理音、開けて。」


少し待つが返事はない。


康平はため息をつき、少し声を柔らかくした。


「悪かったよ。あんな言い方するべきじゃなかった。ほら、すぐ戻ってきただろ?」


口は悪いが、これまで本当に彼女を見捨てたことは一度もなかった。幼い頃からの付き合いで、何度も喧嘩して、何度も仲直りしてきた。お互いの性格なんて、とっくに分かりきっているはずだ。


「理音、他の女をベッドに入れてもいいのか? 本当にそうしたら、お前、俺の足を折るだろ……」


その時、隣から足音がして、疑問の声がかかった。「どなたかお探しですか?」


康平の言葉が止まる。


旅館の主人、田中恵が立っていた。


「理音を探してます。僕の妻です。」


田中は目を丸くした。


「ああ、あなたがご主人様でしたか。」


「……」


「もうノックしなくて大丈夫ですよ。」


田中は肩をすくめた。


「斎藤理音様は、もうチェックアウトされました。」


康平の表情が一瞬で固まる。


田中は彼を見ながら続けた。


「斎藤理音様には、あなたの写真を見せてもらったことがあります。」


何年も前のことだ。写真の中の彼は今よりずっと幼く、制服姿でバスケットボールを回し、ふとした視線をカメラに向けていた。その頃、理音は彼のことを話すたび、隠しきれない喜びと恥じらいを浮かべていた。


「今年は二日しか遊べないの。帰って補習しないといけないから、彼が教えてくれるの。」


その後、田中は彼女の薬指の指輪を見て、「ご主人は一緒じゃないんですか?」と冗談めかして聞いたことがある。


理音は平然と答えた。


「妹が結婚したから。」


翌年も田中が尋ねると。


「妹が離婚したの。」


そして今年、三度目に尋ねたとき、理音は笑ってこう言った。


「妹が死んだの。」


田中はふと考えた。好きな人と結婚したはずなのに、年々幸せそうに見えなくなっていくのは、どうしてだろう、と。


理音はただ目を細めて微笑むだけで、何も答えなかった。


廊下は静まり返っていた。


田中は沈黙している康平を見て、言葉を続ける。


「斎藤様は数日分の宿泊費を多めに支払われていますので、ご滞在はそのままで大丈夫です。」


康平は薄暗い廊下に立ち尽くし、前髪がうつむいた顔を隠していた。


「今日、彼女は外出していましたか?」


田中は少し間を置いて答える。「ええ、斎藤様はスキーが好きですから。」


「どれくらい出かけていました?」


「たぶん、五時間ほどですね。」


「戻ってきたときは……様子はどうでしたか?一人でしたか?」


田中は言葉を選びながら答えた。夕方、理音が帰ってきたとき、いつもと違う様子だった。大事にしていた腕輪さえ「誰かにあげた」と言っていた。この三年間一度も会ったことのなかった夫が、初めて現れてこんなふうに問い詰めるなんて――何かあったのかと不安がよぎった。


田中は、笑みを浮かべつつ静かに告げる。


「特に変わった様子はなかったですよ。斎藤様はいつもお一人です。昔はご両親やお祖父様も一緒でしたが、ここ数年はずっと一人です。」


康平は数秒沈黙し、さらに尋ねる。


「怖がっていたり、緊張したり、何か……特別な表情は?」


田中は慎重に言葉を選びながら答えた。


「……少し、元気がないようには見えました。帰ってくるなり、外で着ていた服を全部捨てていましたから。」




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