「"薬、何でもあります"?」
13歳にしては小柄な少年テオは途方に暮れていた。柔らかそうな茶髪が汗で額に張り付いている。
6つ下の妹、セラが奇病に倒れてもう5日だ。父は仕事で家を空けていて、頼りの町医者には断られた。テオはセラを看病している母には黙って1人で大きな町へ医者を呼びに行ったが、金のなさそうな少年では全くとりあってもらえなかった。
そんな疲れ果てた帰り道だった。街道に古めかしいツタの絡んだ小さな看板が立っていた。
見慣れないというより、間違いなく行きの際にはこんな看板はなかったはずだ。
文言のすぐ横の矢印が街道を外れた森の中を指している。
夕刻前だというのに森には濃い影が落ちていて不気味な気配が少しぬるい風と共に漂ってくる。
テオはしばらくの間、街道と看板とを見比べ迷っていたが意を決したように森へと踏み込んでいく。
少しもいかないうちに橙色の小さな灯が木々の隙間から覗いているのが分かった。
”ここだよ”と手招きするように揺らめく灯に吸い寄せられ、テオが足を進めれば不思議なことに草木がまるで道を開けるようにしなり、テオが通り過ぎるとまたざわざわと元に戻っていく。
おっかなびっくりとテオが木々の案内に導かれてたどり着いたのは小さなクスノキの丸太小屋だった。
こじんまりとしていたが造りはしっかりとしているようで屋根から突き出した煙突からはぽっぽっと煙が吹いている。
なにかこだわりがあるのか丸太小屋には不釣り合いな、杖に絡みつく蛇の意匠の黒鉄の装飾の施された頑丈そうな扉がどっしりと構えていた。
”シュネールナの魔薬堂”、丸太小屋に据え付けられた看板にはそうあった。
テオが重い扉を押し開けるとドアベルがカランカランと小気味の良い音を立てる。
ツンとした薫りが漂っていて鼻をくすぐり、テオはくしゃみをしてしまう。
小さな店には漸く1人が通れる程度の間隔でいくつも木製の棚が並んでいてビンや壺がこれでもかと押し込んであった。
テオが見慣れない光景に呑まれていると「いらっしゃい」と声がかけられる。少し低い女性の声音だ。
「ようこそ、私の店に」
出迎えた店主らしき人物は……奇妙な出で立ちをしていた。
いくつも皺のついた黒の丈長のローブはいかにも魔法使いといった感じだったが、それ以上にテオの視線を釘付けにしたのは顔の左半分だけを覆う真っ白な仮面だった。
仮面には奇妙な光沢がありどんな材質か全くわからない。
仮面に隠されていない鮮やかな銀髪と透き通った水色の瞳の女性の顔がじっとテオを見下ろしていた。
「あの……薬があるって……看板が」
「もちろん。ここにはどんな薬もあるよ」
テオが不気味な店主に怯えながらもおずおずと切り出せば、店主は店内を歩き回り棚を物色しはじめた。
「どんな魔物も殺す強力な毒薬、遅効性で検知されない暗殺用の毒薬。それから」
「えっとあの……毒はいらないです」
「なんだ……毒はいらないのか。じゃあ」
ふいっと店主が顔の向きを変え別の棚に手をかけた。その顔を見たテオはぎょっと目をむいた。
「えっ?!」
店主の顔が変わっていたのだ。先ほどまで顔の左半分を覆っていた仮面はいつのまにか右半分を覆っていて見えている顔はどうみても男性のものになっていた。声音もまた少し太くなった気がする。
「腹痛を治す薬に、あ、これも腹痛か……頭痛薬、歯痛薬……あとは」
ごそごそとやっている店主にテオは、いやきっとテオでなくとも尋ねたくなる、尋ねてしまうであろう問いを投げかけた。
「あの……店主さんは男なの? 女なの?」
「ん? あぁ、それなら」
店主は歌うようにからかうようにその問いに答えた。
「男も女も」
先ほどまで男性だった顔がまた女性のモノへと戻る。
「老いも」
テオが瞬きをすれば、次の瞬間にはそこには老婆がいて。
「若きも」
老婆が棚の向こうに消え、入れ替わるように姿を現したのはテオと歳の変わらない少年だ。
「このシュネールナにはさして意味のないことだ」
気づいた時には店主……シュネールナは仮面を着けておらず、男とも女とも何とも言えないような中性的な顔の持ち主がそこにはいた。
「さぁ少年。君が欲しい薬はどんなものかな?」