お父さん、お母さん、あと弟よ、ごめんなさい。不詳の娘、結城日葵は異世界で今も元気に暮らしています。
どういう事かって? よくぞ聞いてくれました。とても信じられないと思いますが、どうか最後まで聞いてください。
社畜生活に疲れた私は、どうやらついうっかり異世界という所にやってきてしまったようなのです。
すぐに帰ろうとしたけれど、帰り方を誰も知りません。もちろん私も知りません。
本当なら突然こんな事になって自分の運の無さに絶望して不幸に浸りたい所なのですが、持前のバイタリティと無鉄砲さを発揮してしまって、とうとう異世界でお店開いちゃいました。
——その名も『お直し屋さん』——。
「ヒマリーお客さーん」
「はぁ~い! じゃあ今日も元気に~お直し入りまぁ~す!」
まず初めに自己紹介を。私の名前は結城日葵。24歳独身。
とにかく昔から好奇心が旺盛で、気になるものには何でも手を出した。短大を卒業してからは派遣会社に勤め、アルバイト時代も含めて色んな仕事を経験したおかげで色んな事が出来るようになったが、あくまでどれも齧っただけである。典型的な器用貧乏だ。
そんな私が最後に仕事したのは、ナチュラル系コスメの美容部員。
華やかな表舞台とは打って変わって、毎日はうんざりするほど忙しかった。
迫りくる店舗の売り上げ競争に、無茶を言う客達、格安の給料……その他諸々に疲れ切っていた。
そんなある日、私は新商品の品出しをする為に倉庫内で一人黙々と作業をしていた。その時、最後の箱を持ち上げたちょうどその下に床下収納のようなものがついている事に気付いたのだ。
もちろん床下収納には何も入っていなかった。中は暗く、何ならかび臭い。辛うじてハシゴが付いているのは見える。
そこですぐに閉めていればこんな事にはならなかったのかもしれないが、多分私は心のどこかでここではないどこかへ行きたいと願ってしまっていたのだろう。
気付いた時には私は無心でそのハシゴに手を掛けて降りていたのだ。この時の記憶はもう殆どあやふやだ。
ハッと気付いた時には、私は床下収納の底に居た。
「ヤバイヤバイ! 店長に怒られる!」
そう言ってハシゴを登り始めた途端、無慈悲にも頭上で床下収納の扉が閉まっていくのが見えた。
「げぇ! ちょ! 待って待って!」
待ってと言った所で閉まる扉が待ってくれるはずもない訳で、気が付けば私はハシゴに手を掛けたまま真っ暗闇の中に取り残されていたのだ。
とりあえず登ろう。話はそれからだ。私は急いでハシゴを登った。真っ暗な中どうにか天井まで辿り着き、床下収納の扉を開くと、そこは——。
「な、なんじゃこりゃぁぁぁ!」
目の前には獣でも出そうな鬱蒼とした林。そして私が顔を出した所は大草原のど真ん中。
一体何が起こったのかよく分からず辺りを見回していたら、急に左側から怒声が聞こえてきた。次いで、右側からも聞こえてくる。
遥か遠く目を凝らしてみるとそこには映画のワンシーンのような光景が広がっていた。そう、よく見るあの中世の戦場のシーンだ……。
今にも戦闘が開始されそうな雰囲気に私は思わずその場で固まってしまった。
でも驚きすぎてハシゴから手を離さなかった私は偉い。本当に偉い。
「えぇぇ……」
けれどその後が良くなかった。とりあえず逃げなければと思った私は、急いで床下収納から這い出してしまったのだ。
すると、途端に今しがた出て来た筈の床下収納も、出て来たはずの扉さえも何も無くなってしまった。
戻る事も出来ず行く事も出来ず、見たことも無い光景に私は思わず納得するように頷いた。
なるほど。これがいわゆるワープという奴か。まるで何かを悟ったかのように目を閉じたその時、急に林の奥から怒鳴り声が聞こえてきた。
「何をしてるの! 早くこっちに来て!」
その怒鳴り声に私はハッとした。私にはまだまだしなければならない事が山の様にある。とりあえず明日から発売される新商品の検品作業を定時までには済ませてしまいたい。
こんな事を咄嗟に考える程度には、私の人生は会社というものに汚染されていた。
けれどそのおかげで私はどうにか正気を取り戻し、物凄い速さで声が聞こえた方に向かって走り出した。多分、今まで生きて来た中で一番の走りを見せたと思う。
そしてこの時、私を戦場から連れ出してくれたのが後の傍迷惑な恩人だ。
名前はルチル・エトワール。エトワール国のお姫様。
このお姫様、とんでもなく跳ねっかえりでしょっちゅう馬に乗ってはあちこちに勝手に行ってしまう自由奔放なお姫様なのだが、この日も勝手に城を飛び出して戦場の観察に来ていた所で私を見つけてくれたらしい。
前言撤回しておく。命の恩人だ。
私が無我夢中で林に引っ込んだあと、ルチルは私を馬に無理やり乗せて安全な場所まで連れ出してくれた。そしてその後、当然のように質問攻めにされる。