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第21話 試み


「そんなはずないでしょう?『帰期亭』のお茶は上質なものだけを厳選して、上客にだけ提供しているのよ。原価も相当高いの。」


綾乃は平然とした表情で、手にしたギフトバッグを引き戻そうとする。


「信じてくれないなら、やめておくわ。」


「……」桃華は言葉に詰まったまま、必死に考えを巡らせる。


そして、歯を食いしばってギフトバッグを引き戻し、作り笑いを浮かべる。


「信じないわけないでしょ?買うわよ!カードで!」


彼女はカードを差し出し、心の中で決意を固める。


――この六十万円の見世物、きっと面白くなるはずよ!


取引が終わると、綾乃は微笑みながら彼女を玄関まで見送った。


「お気をつけて、お帰りください。」


茶葉の入ったギフトバッグを提げて外に出た桃華は、考えれば考えるほど損した気分になる。


すぐさま父親に電話をかけた。


「お父さん!エンジェルチャリティー晩餐会の規模、もっと上げて!関東も関西も上流階級を全部呼んでほしいの!私、目玉の『出し物』があるから……信じて、絶対盛り上がるから!」


桃華が帰ると、久美子がぷんぷんしながら綾乃を2階へ連れて行った。


「何あの人!どう見ても腹黒そうじゃない!」


久美子は憤慨している。


洋平も2階から一部始終を見ていた。いま、彼はそっと目元の涙を拭っている。


お嬢様が毎日こんな仕打ちを受けるのは、俺の不甲斐なさゆえだ――。


そんな二人の様子を見て、綾乃はかえっておかしそうに微笑んだ。


「どうしたの?晩餐会に行くだけで六十万円も手に入ったのよ。これでも『楽』な稼ぎ方じゃない?」


六十万円は、いまの彼女には大金だ。


「どこが楽よ!あの人、明らかにあなたを見世物にして笑い者にするつもりじゃない!」


久美子は焦った様子で言う。


「お嬢様、絶対に行かないでください!」


洋平も必死に止める。


「私は行くわ。」


綾乃は穏やかながら、決して譲らない口調で言った。


彼女は手に持った美しい招待状を広げ、出品リストの一つに目を留める。


――極上の伽楠沈香仏珠ブレスレット。


その珠の模様なら、目を閉じていても思い出せる。


祖母が若い頃、祖父に贈った形見。


祖父は生涯それを身につけていた。中野家が破産したときでさえ外そうとしなかったものを、祖母が無理やり外して借金のかたにしたのだ。


祖母は言っていた。


「生きてさえいれば、それでいいのよ。」


だが、苦しい日々は長く続かず、大きな火事ですべてを失った。


綾乃の指先は力が入り、招待状をくしゃりとしそうになる。


今、そのブレスレットが目の前にある。挑戦しない理由がどこにあるだろうか。




あの険悪な朝食以来、真太は家に帰らなかった。


綾乃は急に肩の荷が下り、ひたすらお金を稼ぐことに集中した。


週末までに、彼女は倹約に倹約を重ね、茶楼の会員費も切り崩して、なんとか二百万円をかき集めた。


このお金で当面は安泰だが、オークションでは焼け石に水だ。


洋平は自分の返済用の貯金を出そうとし、久美子も実家から借りようとしたが、綾乃はきっぱり断った。


自分で稼いだ分だけ、欲しい物を手に入れる。


手が届かなければ、それまでだ。


他人の血と汗の結晶を使ってまで欲しいとは思わない。


そんなことをしたら、たとえ手に入れても意味がない。




夜が更け、渡辺家の別荘は眩いほどの明かりに包まれていた。


タクシーが別荘前に停まる。


綾乃が降りようとすると、洋平がそっと手を掴み、躊躇いがちに声をかけた。


「お嬢様、どうしても私のお金は使ってくれないんですね。なら……今日はやめにしませんか?」


綾乃は振り返り、静かで力強い笑みを浮かべた。


「やってみましょう、洋平おじさん。もしかしたら……誰も競らないかもしれませんよ?」


もし運が良ければ、本当にブレスレットを持ち帰れるかもしれない――。


「お嬢様……」


洋平の喉が詰まる。


彼が心配しているのは、ブレスレットだけじゃない。


あの『上流階級』と呼ばれる人たちの冷たい視線――そちらの方がよほど心配なのだ。


「洋平おじさん。」


綾乃はやわらかく、しかし時を貫くような声で言った。


「私、もう五年も隠れてきたの。」


もう隠れるのはやめると決めた。


今日でも、明日でも、遅かれ早かれこの日は来る。


彼女はそっと洋平の手をほどき、車のドアを開け、白杖を手にした。


洋平もすぐ後ろにつき、慎重に彼女を支える。


別荘の入口に着くと、使用人たちが迎えていた。


洋平が招待状を差し出す。


受付の女性が微笑みながら顔を上げる。


「いらっしゃいませ。お名前をお願いします。」


綾乃は眩い光の下、背筋を伸ばして、はっきりと名乗った。


「京都長林区、中野家、黒川綾乃です。」




渡辺家の別荘はシャンパンとドレスのきらめき、カメラのフラッシュが交錯し、赤いカーペットが豪華に敷き詰められている。


煌びやかなホールは、一方がオークション会場、もう一方がカクテルパーティーのスペースになっていた。


華やかな人々の談笑に包まれながら、会場の一角には巨大な白いガラスの観音像がたたずんでいる。


その観音像の隣、ほの暗い隅に、欧風の本革ソファセットが置かれていた。


男が一人、ソファの奥深くにもたれかかっている。


黒いシャツはやや皺が寄り、観音像の柔らかな光が彼の端正な横顔を照らす。


目を閉じた長い睫毛には影が落ち、どこか冷ややかな空気をまとっていた。




その隣で、勇太が数人と麻雀を打っている。


「今日は俺が勝ちまくるぜ!誰も逃げられないからな!」


チップを豪快に叩きつけながら声を張り上げる。


「勇太さん、静かに。あの人、寝てるから。」


誰かが肩をつついて注意する。


勇太はソファにいる真太をちらりと見て、煙草をくわえたまま笑った。


「気にすんなよ。あの人は騒がしいのが好きなんだ。近くで耳に向かってバカやらなきゃ大丈夫。」


この卓が静かだったら、あの人はきっと来ないだろう――。




麻雀の賭け金は高く、次第に人が集まってきたが、ソファの周りだけは不思議と皆が距離を置いている。




数人の女の子たちが人混みを抜けていく。


「何をそんなに急いでるの?」


「綾乃さんが来てるか見に行くの!桃華さんが絶対来るって言ってたんだから!」


女の子たちは興奮気味に話す。


勇太は牌を捨てながら、ふと口を挟んだ。


「誰だよ?港区で俺が知らない騒ぎ?」


「中野家のことよ!数年前、一晩で全部失って、人もほとんど死んじゃったあの家!娘さんだけ生き残ってるの。桃華さんが彼女を招待したから、みんなで昔の“日本一のお嬢様”が今どうなってるか見に行くの!」


「なんだ、中野家って……」


勇太は手を止め、目を見開いた。


「京都の中野一族、関東の誰も逆らえなかったあの中野家か?」


その言葉に、周囲も色めき立つ。


かつて、関東の名家が束になっても敵わなかった伝説の一族。


もう誰も残っていないと思っていたのに、まだ生きている者がいたとは――。




「来た!来たわ!」


誰かが叫ぶ。


その瞬間、麻雀卓の熱気はすべて失せ、全員が一斉に入り口へと視線を向けた。


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