白いシャツにシンプルな黒いスラックス。
彫刻のように整った顔立ち、はっきりした輪郭に柔らかさもあり、高い鼻梁と程よい厚さの唇。垂れた数本の前髪が少し無造作な雰囲気を加えている。
薄暗い照明の下、その肌はひときわ白く冷たい。横顔のラインは、近寄りがたい空気をまとっていた。
彼は、視線に気づいたのか、ふと顔をこちらに向ける。
見つかった小林夏希は、慌てて目の前のグラスを手に取り、うつむいて飲むふりをした。
相手の深い瞳に、明らかな嘲りの色がよぎったのがはっきり見えた。
まるで、彼女の下手なごまかしなどすでに見抜いているかのようだった。
どうせバレたのなら、と小林夏希はグラスを置き、思い切って彼を見返す。
「なに?気になってるの?」
小林夏希はコクリと頷いた。
「気になってるなら、行動あるのみでしょ」
高橋玲奈が励ます。
「でも……私、セクハラとか思われて通報されたらどうしよう……」
小林夏希は不安そうだ。
「……」
高橋玲奈は頬杖をつき、彼女をじっと見つめる。
「せいぜい断られるだけだよ。警察呼ばれるほどじゃないって。それに、ダメならお金で叩けばいいじゃない。信じて、男で金の魅力に抗えるやつなんて……いや、人間でお金に抗える人なんていないよ」
「ごもっともです」
小林夏希は素直に同意した。
高橋玲奈はさらに背中を押す。
「行っちゃえ、自分を信じて」
「じゃ、行ってくる」
小林夏希は立ち上がり、隅にいる男のもとへと向かっていった。
高橋玲奈はワクワクしながら、その様子を見守る。夏希がどうやってターゲットを落とすのか興味津々だったが、その笑顔はすぐに凍りついた。
夏希は彼の前に立ち、何かを話したかと思うと、バッグからカードを取り出し、男の上着のポケットにぐいっと差し込んだのだ。
高橋玲奈「……」
夏希、なにやってんの!?確かに金で叩けとは言ったけど、いきなりカード突っ込むのは違うでしょ!それ、セクハラと大差ないよ!?
「こんにちは、お邪魔してすみません」
彼女の声は、珍しく礼儀正しかった。
だが、その礼儀は一瞬だけ。次の瞬間、彼女は言った。
「もっと楽に稼げる仕事、考えたことありませんか?」
「は?」
小林夏希は咳払いをして、真面目な顔で続ける。
「つまり、あなたの生活を面倒みたいんです」
「……」
浅野修平は冷たく小林夏希を見つめる。
「また、何の茶番だ?」
「え?」
彼女の困惑した目を見て、彼は眉をひそめた。
「俺のこと、知らないのか?」
小林夏希は素直に聞き返す。
「だから、今知り合ってるんじゃないですか?」
その真剣な様子と言葉に、まるで本気のようだ。浅野修平が彼女の性格を知らなければ、きっと騙されていただろう。
彼は薄く目を伏せ、鋭いまなざしを隠すと、口元をわずかに上げた。
「……いいよ」
彼女が今度は何を企んでいるのか、見てやろうじゃないか。
だが、彼女の思考回路はやはり普通じゃない。彼の目の前で、またバッグからカードをもう一枚取り出し、無理やり彼のポケットに差し込んだ。
「ここに一千万入ってます」
浅野修平「……」
彼が黙ったままなので、小林夏希は瞬きをした。
「足りませんか?」
さらにバッグを探り、もう一枚カードを取り出す。
「ここに五百万も……」
また渡そうと手を伸ばした瞬間、手首を掴まれた。
浅野修平は見上げ、低い声で言う。
「もう、十分だ」
その目には冷たい怒りが宿る。小林夏希のこうした行動は、彼をわざと侮辱しているようにしか思えなかった。彼女は昔からこうだ。
彼は突然立ち上がる。すらりとした長い脚だが、今は顔色が悪い。
「くだらない遊びには付き合ってられない。この金は自分で持っていろ」
そう言い捨て、ポケットからカードを抜き、テーブルに叩きつけると、彼はさっさと立ち去ってしまった。
彼女とその兄の関係は、もともと良くない。今は小林株式会社を
彼が去ると、高橋玲奈がすぐに駆け寄ってきた。
「どうしたの?なんか、怒ってなかった?」
小林夏希は少し考え、
「……たぶん、金が足りなかった?」
と、真顔で答える。
顎に手を当て、彼の端正な顔立ちを思い返しながら、うなずいた。
「あれだけの条件なら、1500万はちょっと安いかもね」
高橋玲奈「……まさか、いきなり金渡したの?」
「だって、そうしろって言ったじゃない?」
「……」
高橋玲奈はしばらく沈黙した後、頭を抱える。
「普通、いきなりそんなことしないでしょ?そもそも、相手がそういう人間じゃないかもしれないし、それじゃ侮辱になっちゃうよ」
小林夏希は、ちゃんと確認したし、本人も「いいよ」って言ったじゃないか、と心の中で思った。
「早く追いかけて謝ってきなよ」
高橋玲奈は、夏希が前に頭を打って記憶喪失になった時から、実は知能まで落ちたんじゃないかと疑っている。
小林夏希がバーを出て追いかけた時には、浅野修平の姿はもうなかった。
惜しむ暇もなく、バッグの中の携帯が鳴り出す。
電話に出ると、
「夏希」
「お母様」
小林雅美は、ためらいがちに切り出す。
「明日、本邸に帰ってこれる?」
小林夏希は、その声色に違和感を覚え、胸がざわついた。無理に平静を装う。
「どうかしたの?」
「お兄さんが、帰ってこいって」
「……」
「夏希?」
「……行かなくちゃダメ?」
小林雅美はしばらく黙ると、
「たぶん無理ね。お兄さんの性格、知ってるでしょ」
「わかった」
電話を切ると、冷たい風が正面から吹きつけてきて、少し頭が冴えた。
転生してきてからずっと、異母兄の小林光一に会うのが怖かった。バレたらどうしようと、ずっと避けていた。
転移した時は病室で、隣には泣き崩れている小林雅美がいた。
元の小林夏希は、誰かに殴られて病室に運ばれ、そのまま自分が来たのだ。前世の記憶しかなかったので、記憶喪失とごまかしていた。
この母親、小林雅美は、気が弱くて優柔不断。娘が記憶喪失と聞いてまた泣き、夏希の頭痛の種だった。
小林光一に会いたくなかったのは、ここが自分が読んだ小説の世界だと知っていたからだ。原作の主人公は小林光一で、主人公補正が怖かった。
原作では、小林光一と妹の夏希の関係は最悪だった。元の夏希は無鉄砲で、父の死後、周囲にそそのかされて兄と権力争いをし、失敗したものの、光一の心に残っていたわずかな情まで使い果たしてしまった。
その兄妹関係を思い出すと、夏希は思わず身震いした。
帰ったら……殴られるんじゃない?