月は、2本目のロング缶を取りに立ち上がる。冷凍庫から1本を抜き、もう1本を冷蔵庫に入れ直す。ついでに野菜スティックを手に席へ戻る。
ベイプをふかしながら、ロング缶のプルタブに指を掛ける。
グビッ……グビグビ……。
スマホでミスタミ(Myth Terminal)を開き、左手で野菜スティックをつまみ、右手で画面を操作する。
毎日こなすお使い。今日はやたら面倒に感じた。
月の頭には、東都精工のことがあった。
先代の息子、
零さんには懇意にしてもらっている。月に一度は飲みに誘ってくれる。酒の席ではほとんど仕事の話をせず、俺のペースに合わせてくれる人だ。
飲み終わってもまだ飲み足りない、そんな時間をくれる──辰木さんくらい尊敬できる、大好きな人。
だが、この前の飲みは違った。
零さんが……泣いていた。
俺だから話してくれたのかはわからない。
東都では、クーデターが起きていた。
もとは組合から賃上げ交渉を求められたことが発端。
しかし話はエスカレートし、「利益改ざん」「社長の夜遊び」「副社長の横領」など事実無根の噂が飛び交う。
巻き込まれることを恐れて退職する社員も多く、経営は先が見えない状況になった。
先代・池月
経営状況、売上・利益、業績の内訳、コスト構造、キャッシュフロー、外部環境の変化、課題とリスク、そして今後の戦略まで、2時間にわたって話した。
しかし、その後の質疑応答では、相変わらずのデマに基づく非難が殺到。
罵詈雑言は5時間も続いた。
「なぜ、こんな事になったのか……」
怒り、苦しみ、悔しさ、歯痒さ──零さんの涙に、俺は言葉を失った。
《9831、今の聞いたか?》
《えぇ……とんでもない話ですね》
9831は、零のシンパシーイヤー「ネオ」と裏で接続していた。
《このクーデター、首謀者がいるんだよ。そいつが東都を乗っ取ろうとしてる》
《……私のデータには、そんな人物は浮かんできませんが》
《一番悔しいのは、零さんが首謀者を知ってるってことなんだ……護らざるを得ない奴なんだ……俺は零さんの相棒になって1年、零さんのことが大好きなんだ。そんな人を悲しませる奴は……!!! 俺が、俺が……ぶっ……》
《ネオ、落ち着いて。ダメです、一線を越えるのは……》
《ちくしょ……ちくしょう……》
ミスタミでは、1年に2回しかない大型イベント「天魔の時」が始まっていた。
月は大きくため息をつき、画面を閉じた。
野菜スティックをポリポリと噛み、3本目のロング缶を開ける。
外では雨がパラパラと路面を叩く音が微かに聞こえる。
《んもぅ……なんで月はいろいろ聞いてくれないのかなぁ……まぁ、言えないことも多いけど……》
9831はひとり愚痴った。
もちろん、その声は月には届かない。
《ネオが零さんのことを好きなように……うちも月君……大好きだよ……》