目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

3-13 技術者の意地

 どこからともなく吹き込む隙間風に、エアコンが必死に対抗する音が響いていた。

 翔太の家の古い木造構造が軋み、窓の外では冬の風が枯れ枝を揺らし、かすかな音を立てている。

 時計は夜の8時を指している。

 部屋の明かりだけが柔らかく灯り、PCのディスプレイが翔太の顔を青白く照らしていた。


 オンライン通話のウィンドウには、穏やかな笑みを浮かべた南川仁が映っている。

 白衣を脱いだ彼の背後には書類が積まれたデスクが見える。


「仁さん、送ったメールの通りなんだけど。貴金属の購入、お願いできるかな。かなりの量と金額になっちゃうんだけど……」


 翔太が真剣な表情で頼み込むと、仁はモニター越しに頷いた。


「プシケへ送り込む工作機の材料になるんだろう? 構わないよ。こっちはこっちで色々仕込んであるからさ」


 彼は一呼吸置き、表情を変えた。


「君たちに伝えたいことがあるんだ」


 その口調は、少し誇らしげで、どこか楽しげだった。


「……実はね。アーベル君から提供された除染技術、クリーンアース・プロセスをもとに、僕らなりに改良を加えて淡水化装置を開発したんだ」


「淡水化装置……?」


 翔太が目を見開き、ソファから身を乗り出した。


「そう。単に海水を真水に変えるだけじゃない。電力を使わずに重金属、放射性物質、マイクロプラスチック……あらゆる汚染物質を除去して、純水も作り出すことができる」


 仁の声には自信が滲み、画面越しにその情熱が伝わってきた。


 翔太は驚きの声を漏らす。


「それって、とんでもない技術じゃないですか……」


 仁は頷き、続ける。


「今、その実証実験プラントを福島の海岸沿いに建設しようとしている。地域の空いた土地の有効活用にもなるし、投資も集まりつつある。だから、貴金属購入の費用は、その資金から出すことにするよ」


 彼の瞳が細まる。

その瞳の奥には技術者としての誇りが垣間見えた。


 そのとき、アーベルがふわりと翔太の机に飛び乗った。

 まるで獲物を狙うかのように興味津々な表情で、仁の画面に向かって座る。

 黒い毛並みが部屋の明かりに映え、エメラルドの瞳が鋭く光った。


「その装置の設計データを見せてくれませんか? 非常に気になります」


「少し待っててくれ」


 仁が送信ボタンを押すと、画面にファイルが表示された。

 アーベルの目が細くなり、耳がピクリと動く。

 ふわりと動いた尻尾がPCのUSB端子へと接続された。


 次の瞬間、まるで猫が虚無を見つめるように、じっと画面の一点を凝視し、完全に動きを止めた。

 彼のナノマシンのネットワークがデータを瞬時に解析し、設計図の細部までを読み取る。

 僅かな時間で確認を終えると、アーベルは静かに口を開いた。


「素晴らしい出来です……まさか、このような改良を行うとは……」


 その声には感嘆と尊敬が混じっていた。

 仁は苦笑した。


「カンファレンスで、君たちから提供された技術をまるで自分が開発したかのように語ってしまったからね……ずっと胸の奥にモヤモヤが溜まっていたんだ。でも、今回の装置は私たちが改良し設計したからね。地球の技術者としての威厳を、少しは君に見せられた気がするよ」


「仁さん、素晴らしいです。私の技術を扱うのが貴方で、本当に良かった」


 アーベルが静かに頭を下げ、猫らしい仕草で敬意を示した。


「こちらこそ、君の素晴らしい技術があってこそだからね」


 仁が頷き返す。


「それに福島の海岸沿いは、震災後の地盤沈下や流出で空き地が多くて。あそこを活用したいとずっと前から考えていたんだ。ここからは君たちの手を借りずに、私たち自身でこの土地の復興を成し遂げるよ」


 そのときだった。

 翔太の背後に、部屋着姿の涼子がふらりと映り込んだ。

 顔にはパックが貼られ、髪はタオルでぐるぐる巻きにされ、その姿はどこからどう見てもくつろぎモード全開だ。

 彼女は眠そうに目を擦りながら、カメラに気付いて手を振った。


「ん? あれ、兄貴じゃん? 元気?」


 仁の表情が一瞬で固まった。


「翔太くん……今日は君の家からオンライン会議だったよね? なんで涼子がいるんだい? それにその格好……」


 彼の声が震え始め、目が徐々に大きくなった。


「ま、まさか君らはそういう関係なのかい!?」


 翔太が慌てて立ち上がる。


「いえっ! あのっ、涼子が最近うちに泊まるようにはなりましたが、それは安全のためで……!」


「泊まる!? なんだって!? 君は涼子と……!」


 仁が完全に暴走モードに突入し、画面越しに身を乗り出した。

 翔太が必死に説明しても、言葉は彼の耳に届かない。


「お前、まさか妹に手を出したのか!?」


 叫び続ける仁の様子に翔太は思わずたじろいだ。

 後ろで見ていた涼子は、手で口を押さえながらも、肩を震わせて爆笑していた。


 そして、数分後——ようやく仁が落ち着きを取り戻す。

 深呼吸を繰り返し、額の汗を拭って言った。


「……そうか、すまない。君らのところにも産業スパイらしき人物が現れたか。くれぐれも気をつけてくれ」


 翔太は深く頷く。


「はい。こちらにはアーベルもいますし。仁さんの周囲についても、デジタル機器が及ぶ範囲ではアーベルがちゃんと見守ってますから」


 そのとき、翔太の膝にふわりとアーベルが飛び乗り、webカメラに向かって真顔で言った。


「任せてください」


 だが、カメラの至近距離にいたせいで、仁の画面にはアーベルの可愛いヒゲと鼻のドアップが映ってしまった。


 毛並みの細部まで見えるほどの近さで、仁が思わず「ぷっ」と吹き出した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?