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その悪役令嬢、私じゃないんです!
その悪役令嬢、私じゃないんです!
けんゆう
異世界恋愛悪役令嬢
2025年07月24日
公開日
1万字
連載中
その悪役令嬢は、私じゃない。私の名前を奪った、別の誰か……それとも、本当の私? 内気で地味な子爵家の娘・デイジー(本名:マーガレット・アステア)は、ロンデニアの王子ジェラルドから婚約破棄を手紙で告げられ涙する。 ところがその夜、王宮では……鮮烈な黄色のドレスを身をまとい、社交界を震撼させる「もう一人のマーガレット」が、パーティー会場に乗り込んでいた。 その美貌、毒舌、圧倒的な存在感。 王子は恐れ、貴族たちは熱狂する――。 「私じゃないのに、なぜあなたは、私として振る舞うの……?」 次々と舞い込む招待状、高まる悪名と称賛。 困惑しながらもデイジーは、青年魔導士アルウィンと共に、「もう一人の自分」の謎へと迫る。 過去と向き合い、未来を選び、自分自身と向き合うために―― デイジーが踏み出す、勇気の一歩。 「泣き虫令嬢」が、自分の人生と愛を取り戻し、真の「ヒロイン」となるまでの物語。

第1話 仮面の悪役令嬢

 ロンデニア王国、宮廷の夜。


 金細工と白大理石で彩られた大広間には、贅沢の限りを尽くした装飾品が並び、幾百ものロウソクの光が反射して、星の海のように輝いていた。


 色鮮やかなドレスの裾がひらひらと舞い、靴音が軽やかに床を鳴らして、楽団の奏でる柔らかな音色が空間を満たす。 


 今夜は、王室主催の建国記念パーティー。


 年に一度開かれる、最も格式高いこの場には、王族と貴族身分の者しか立ち入ることができない。


 社交界の精鋭たちが集い、誰とパートナーになって、皆の注目をいかに集めるか――それ自体が、政治であり、戦いであり、宮廷生活におけるサバイバルを左右する。


 そんな中心に、ひときわ目立つ美男美女がいた。


 第四王子、ジェラルド・カステイオ。

 そして、パリスティン公爵家の長女、エレノア。


 エメラルドのきらめきを放つ、ジェラルド王子の眼。

 そして、光の糸のような銀髪。


 エレノアの透き通るような白い肌。美しく巻かれた金色の髪。


 まさしく絵画の中の世界のような華やかさに、周囲の視線が自然と二人へ吸い寄せられる。


「……エレノア、君は本当に美しいな」


 ジェラルドは、甘い声でささやいた。


「今夜の君を見てしまったら、他の誰かなど、思い出す余地もないよ」


「まぁ……殿下ってば、相変わらずお上手ね」


 エレノアは可憐な微笑を浮かべながら、視線を落とした。


 だがその目元には、勝利を確信した感情が溢れていた。


 周囲の貴族たちも、その様子を、微笑ましく眺めていた。誰の目にも、「これは、もう決まりだな」と映る光景だった。


 第四王子殿下のお妃候補は、この女性なのだ、と。


「ところで……」


 一人の貴族令息が、ワイングラスを傾けながら言った。


「殿下。以前連れていらした、あの無口で大人しい女性は、どうなさったのです? えっと……あれ? なんて名前でしたっけ?」


「本名は忘れましたが、殿下はあの令嬢を『おい、デイジー』などと、気安くお呼びでしたな。最初は使用人かと思いましたよ」


 別の男が口を挟む。


「確か、爵位を買って子爵になった、貿易商の娘。あまり目立たない方でしたな。彼女と、婚約なさってたと聞きましたが……?」


「ふん、あんな女、本名で呼ぶ価値もない。今日も招待状は送られてるだろうが、俺が連れてきてやらん限り、こんな場所に来る勇気すらない。金勘定しか能のない、陰気でつまらん女だよ。もちろん、婚約は破棄する予定さ」


 ジェラルドが平然と言い放つ。


「五年間、『預かってやった』だけだよ。もう充分だろう。あの持参金の利子だけで、だいぶ儲かった。だから、元本はちゃんと、誠実に全額返してやろうと言うんだ」


「ほう……では、もう正式に、婚約破棄の手続きを?」


「書類は先日送った。あとは王室会議の許可を待つだけだ」


「ずいぶん、あっさりと……」


「地味で冴えない娘に、用はない。結婚するなら、美しく、社交の才があり、王家の一員となるにふさわしい身分の相手が良いだろう? たとえば――」


 ジェラルドはエレノアの手を取って持ち上げる。


「エレノア公爵令嬢のように、な」


「あら、殿下……」


 エレノアは扇で口元を覆いながら、またも可愛げたっぷりに目を伏せた。周囲の貴族たちが一斉に笑顔で囃し立て、祝福の声を上げる。


 その時だった。


 ――バーンッ!


 突如として、大広間の扉が、乱暴な音を立てながら開いた。


 音楽が止まり、場の空気が一瞬で凍りつく。


 全員が、視線を扉の方に向ける。


 ゆっくりと姿を現したのは、目にも鮮やかな黄色のドレスに身を包み、唇には燃えるような深紅のルージュ、そして目元を白いマスカレードマスクで隠した仮面の女性だった。


「あれは……誰だ?」


 誰もが息を呑んだ。


 その存在感は、まるでいかづちの女神。


 火花を散らす導火線のように、彼女はまっすぐ歩みを進める。


 長い黒髪には赤い羽根飾りが揺れ、細く引かれたアイラインが、その目に猛禽のような鋭さを与えている。


「遅れて、誠に申し訳ございません」


 女は、堂々とした口調で言った。


「皆様、ごきげんよう。お騒がせして……ごめんあそばせ」


 その場にいた誰もが、その声に聞き覚えがあるような、ないような、不思議な感覚に襲われた。


 彼女は、女帝のように胸を張って歩き、ワイングラスを持ったジェラルドの前に立つと、そこでピタリと足を止めた。


「第四王子、ジェラルド・カステイオ殿下」


 女が名を呼ぶと、ジェラルドは眉をひそめる。


「……誰だ? 君は。面識もないのに、王族に向かって無礼な……」


 女は笑った。口元だけで。鋭く、冷たく。


「まあ。まさか、お忘れになったとは言わせませんわ」


「……なんだと?」


「私を忘れるなんて、記憶喪失にも程がありますわよ、殿下」


 周囲がざわつく中、一人の魔導士服の青年が、信じられないといった表情を見せながら大きな声を上げた。


「どうしたんだ、マーガレット・アステア……本当に、君なのか⁉ いったい、なぜそんな格好で?」


「な、なんだって……」


 青年の言葉を聞いて、ジェラルド王子は大きく目を見開く。


「デイジー? まさか、あのデイジーなのか………?」


 ジェラルドがようやく、彼の婚約者の愛称を口にした。


「ご明察ですわ」


 マーガレット・アステア、あるいはデイジーというあだ名で呼ばれたその女は、優雅な所作で会釈する。


「私がエルバイン子爵家の長女にして、青春の五年間をむしり取られた哀れなデイジーこと、マーガレット・アステアでございます」


 そう言い終えると、彼女はスパンと音を立てて紫色の扇を開き、その胸元に構えてみせた。

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