アルウィンは、ロンデニアの王立中央学院には、魔法医学を学ぶ留学生として通っていた。出身は、隣国ヴェストニアの田舎領主の次男だという。
エキゾチックな雰囲気をたたえ、学生時代はどこか近寄りがたかったアルウィン。だが今、彼の立ち居振る舞いは、デイジーの記憶の中の姿よりずっと優雅で、頼もしく見えた。
「現在は、祖国との橋渡し役を兼ねて、ロンデニア王宮付きの魔法調査官として働かせて頂いております。本日は、王命により、こちらへ参りました」
「アルウィン……久しぶり」
デイジーは、ぎこちない笑顔で声をかけた。しかしアルウィンはデイジーの呼びかけには答えず、その彫りの深い顔に少し困ったような表情を浮かべると、一歩後ろに下がってしまった。
代わって、アルウィンの隣の衛兵隊長ダントンが、腕を組みながら前に出てくる。
「……昨日の建国記念パーティーの件について、事情を伺いに参りました」
「パーティー? 行ってないわよ?」
母が無愛想に言い捨てる。
「当家は事業が多忙ゆえ、誰も出席できないと招待状に返事を出したはずだが?」
「いいえ。私は確かに、そこにいらっしゃるエルバイン子爵家のご長女マーガレット・アステア様が、昨夜、出席されていたのをお見かけしました。受付にも記録が残っております」
アルウィンが再び一歩前に出て、デイジーの家族に説明する。
「なっ……?」
家族が一斉に、デイジーを振り返った。
「アルウィン殿の言う通りです。実はそちらの令嬢が昨夜、ジェラルド殿下やパリスティン公爵家のエレノア様と、少々もめ事を起こされましてな。ただ、その原因は婚約の件……殿下の側にも非がある事柄なのは、皆様ご承知の通り。ですから王室としても、事を荒立てるつもりはないとの寛大なご意向です。形式的な調査ですので、どうかご協力頂きたい」
「デイジー……なんて勝手なことをしてくれたんだ⁉ 招待状を勝手に持って行って、婚約破棄の文句を言いに乗り込んだのか⁉」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私、行ってません、本当に……!」
「じゃあ誰よ⁉ エルバイン子爵家令嬢って名乗って、パーティーに出た女は!」
「しかし、少なくとも……明らかに、令嬢ご本人に良く似た方でしたな。こちらのアーウィン殿だけでなく、多数の証言があります」
衛兵隊長が眉を寄せる。
「ただし……服装や言動、立ち居振る舞いが、全く異なっていたのも事実だ。まるっきり、別人のように……」
アルウィンが、再びそっと前へ出てくる。
「マーガレット……君、本当に覚えてないのか?」
彼の声には、まるで氷のように冷たくなっていたデイジーの心を、静かに溶かす温かさがこもっていた。
「私、本当に知らないの。昨夜は部屋でずっと寝てたし……」
「ほう………では、君が知らない間に何者かが、君として振る舞ったと。そう主張するのか。しかし、それはさすがに無理が……衛兵隊長は、どう思われます? むしろ私の専門領域かも知れませんが……」
ダントン衛兵隊長も、顎に手を添えながらうなずく。
「実に不思議な事例だな。こうなると魔術による幻覚操作の可能性まで出てくる。あるいは……」
結局、その日は結論が出ないまま、後日また訪問するということで話は終わった。
デイジーを昔から知るアルウィンの目から見ても、警備責任者としてのダントンの目から見ても、デイジーが嘘を言っているようには、到底見えなかったからだ。
「アルウィン」
帰り際。デイジーはアルウィンに駆け寄って、小さな声で尋ねた。
「今日は、ご苦労様……ところであなたは……どうして私のことを、マーガレットって呼ぶの?」
アルウィンは、微笑を浮かべた。
「だって、それが君の本名だろう。それに、私は……学園時代、君がいつも図書館で本を読んでいた、あの静かなたたずまいを覚えている」
「……」
「昨夜、君のその顔・その声で粗暴に振る舞った野蛮な女を、私は確かにこの目で見た。だが、あれが君だとは到底信じられない気持ちも、まだ残っている。私の知っている君は、読書を愛する理性的な女性だからだ。君には敬意を払って本名を呼び、接したいと思っている」
その一言が、胸に響いた。
これまで誰も、そんな風に接してくれたことはなかった。
「……ありがとう」
涙がまた、こぼれそうになる。
「だから、この事件についても、私は衛兵隊長と共に、君の主張を最大限尊重しながら、調査にあたろう。いきなり身柄を拘束するようなことはしないから、どうか安心してほしい」
デイジーは、小さくうなずいた。
自分を尊重してくれる、誰かがいる。
自分の本名を、まっすぐに呼んでくれる人がいる。
それによって彼女は、小さな勇気を得た。
(私も知りたい……王宮で暴れたのは誰なの? 私が本当のことを、突き止めてみせる)
「もう一人のマーガレット」の正体、王宮での事件の全貌は、彼女にもまだ、見当すらつかない。
しかし、アルウィンの言葉は、デイジーの心の闇の中に、小さな決意の灯火を、確かにともしたのだった。