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廃墟を旅する
廃墟を旅する
サボテンマン
SFポストアポカリプス
2025年07月25日
公開日
5,297字
連載中
終末世界で旅をする男かつて「人間」と呼ばれた存在たちは、技術の果てに異形と化し、世界は静かに崩壊した。 そんな終末の地を旅する青年・ハルトと、小さなAI端末・ピノ。彼らは「記録者」として、消えゆく文明の断片を拾い集めていた。 ある日、彼らは冷たい眠りについていた少女・レナと出会う。レナは人間の面影を持ちながら、異形たちを静める不思議な力を秘めていた。 やがて現れるのは、異形の少女ミリ。無垢な笑顔を見せる彼女は、かつての実験の産物であり、忌まわしき「ヒューマン・シフト計画」の真相を知る鍵だった。 仲間との絆、無慈悲な別れ、そして明かされる罪。 失われた記憶と向き合う中で、レナは問い直す。 「人間とは、何だろう?」と。 すべての記録が終わるとき、そこに残るのは赦しか、それとも滅びか。 記録が導くのは、絶望か、再生か。 これは、“壊れた世界で、人間になろうとした者たち”の物語。女

プロローグ

 風が吹き抜けた。


 腐敗と鉄錆をまとった空気が、崩れた高層ビルの残骸を縫うように這い回る。折れた鉄骨、剥き出しの配線、崩落したガラス片が、灰色の陽光に鈍くきらめいていた。


 地表は、もはや土ではない。文明が燃え落ちた灰が層を成し、歩けば骨のような音がした。空は色を失い、常に鉛のように重く沈んでいる。


 かつて人の声が溢れていた通りに、いまは風の唸りだけが響く。


 その中に、ひとつの影があった。


 膝下まで煤と泥に染まった黒いコートを引きずり、顔をガスマスクで覆い、露出した肌すら布で隠していた。


 この世界の空気すら、拒絶しているかのように。


 彼の名は、ハルト。


 その肩ほどの高さで、小さな球体がふわふわと浮かんでいた。白い殻に一つのレンズ。機械仕掛けの“目”が、冷たくきらめく。


「観測ログ更新。大気汚染指数、継続上昇。異形体の活動記録……周囲に多数。ただし静止状態」


 人工的な幼い声が、無機質に響く。


 名はピノ。かつて“子ども”だった存在の記憶を模倣して作られた、ハルトの記録補助AIだ。今では、唯一の同行者でもある。


 ハルトは答えない。ただ、ピノの発した情報を沈黙で受け入れる。


 瓦礫の影に、何かがいた。


 人の形をわずかに残したまま歪んだ──異形たち。


 細長い肢体。膨れた関節。神経繊維のような毛髪。


 壁の裏、天井の隙間、倒れた車両の中。あらゆる陰から、彼らはハルトを見ていた。


 だが──誰ひとりとして、襲いかかってはこない。


「……見ている」


「でも動かない。きっと、記憶してるんだ。“人間”のこと」


「忌むべき記憶だ」


 ハルトは足を止めた。朽ちた遊園地の入り口だ。


 かつて子どもたちが走り回っていたであろうアーチには、色の抜けた看板が垂れ下がり、風に揺れている。


 ピノが無言で記録を続ける中、ハルトはふと足元に目をやる。


 小さな身体の残骸。子どものような、しかし腕は不自然に肥大し、皮膚には亀裂が走っていた。


「第一期被験体……コード判別不能。未処理のまま放棄された個体か」


 その表情は、なぜか安らかで、まるで眠っているようだった。


「ねえ、ハルト。こんな風になってまで、進化って必要だったの?」


「……記録を残す。それが、おれの役割だ」


 再び歩き出す。周囲の異形は沈黙を保ったまま、じっとその背を見送る。


 その視線にあるのは怒りか、憎しみか、それとも……かつての郷愁か。


***


 崩れかけたビルの一角にたどり着くと、ハルトは階段を静かに下った。足音が砕けたガラスと石片を踏み、微かな音を立てる。


「この構造……旧時代の研究棟の一部かも。崩落の危険あり、気をつけて」


 ピノの注意を聞き流すように、ハルトは奥へと進む。床に転がるコンソール端末。埃をかぶった壁の配線。壁の一部には、まだ電源が残っているようだった。


 ハルトは破損した記録端末の残骸を拾い上げ、バックアップ用のインターフェースを接続する。


「再生可能な映像データ……一件。音声・映像両方あり」


「再生しろ」


 かすれたモニターが光を帯び、ノイズ混じりの映像が浮かび上がる。


──映るのは、白衣を着た一人の女性。


 灰色の空とは対照的に、鮮明に映ったその表情。


 赤い髪を束ね、カメラをまっすぐに見つめていた。


「──もしこれを見ているのが、あなたなら……」


「ハルト。あなたは“記録する者”。でもその記録に、あなた自身が殺される」


 ピノのカメラアイが一瞬、明滅した。


 ハルトの手が、わずかに震えた。


 だが彼は何も言わない。ただ、そっと接続ケーブルを引き抜く。


 映像は途切れ、また闇が戻る。


「今の、誰……?」


「……カミラだ」


 その名前の響きが、地下の空気を微かに震わせる。


「……記録だけ残して、何も残らなかった人」


 ハルトは答えず、ただ背を向けて歩き出した。


 再び、何も言わず。


 記録だけを残し、過去と共に沈んでいく。


 風が吹いた。

 燃え尽きた都市の片隅で、異形たちはまだ目を閉じず、静かに記憶を見つめている。


 記録者の足音が、その亡骸の街に、またひとつ刻まれた。


──終わらぬ“記録の旅”が、いま、始まる。

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