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第8話 死神と、体育館裏で

 翌朝、藍良は静かな寝室のベッドの上で目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む朝の光。そして聞こえる鳥の声。


 ──……夢、か。


 昨日のことを思い出し、藍良は起き上がりながら思わず頭を押さえる。


 しゃべる蛇。死神。……バカバカしい。あんなの、絶対に夢だ。現実にそんなことが起きるわけない。そう自分に言い聞かせながら、寝ぼけた足取りで居間へ向かう。今朝は、慈玄じげんが朝食の支度をしたらしい。書置きがある。


『おはよう、藍良。夕飯の残りと茄子の味噌汁、作ったから』


 隣の台所へ行き、鍋の蓋を開けた。ふんわり漂う、赤味噌のにおい。藍良は食事を用意し、ひとりで黙々と食べる。


 ──よしよし。やっぱり、夢だ。よかった。


 そう全力で思いながら、朝食を完食。食べ終わった食器を台所へ下げて、驚いた。洗われた食器やコップの数が多いのだ。慈玄の分だけじゃない。もうひとり──千景だ。


 押し寄せる現実に、藍良はがくりと肩を落とした。どうやら、昨日の出来事は夢ではなく、現実だったらしい。だが、この場に千景の気配はない。すでに家を出たようだ。


 藍良は胸に手を当てて、昨日の出来事を反芻はんすうする。


「……今年に入ってから、この学園の中等部と高等部で、自殺が相次いでるでしょう。あれはただの自殺じゃない。すべては闇に堕ちた死神の仕業。僕はその死神を捕まえて裁くために──死神界から来た“審問官しんもんかん”だよ」


 そんな衝撃的な話を聞いたあと、二人で浴室へ向かった。そこで、千景はそこで見たこともない力を使った。千景が言葉を唱えた途端、彼の声に引き寄せられるように、換気扇の中から黒い鱗の蛇が突如として現れたのだ。


 これだけでもかなりの非日常。だがそのあと、さらに驚きの展開が待っていた。あろうことか、その蛇は人の言葉を喋ったのだ。ここまで思い返したところで、藍良は身震いした。


 その時、居間の壁時計が音を鳴らし、時刻を知らせる。朝八時。気付くと、居間には一層眩しい朝の陽射しが差し込んでいた。


「行かないと」


 藍良はそう呟き、足早に居間を出た。


 ☽  ☽  ☽


 授業中、朝からなんとなくそわそわしていた藍良は、振り返り、誰も座っていないある席を見つめていた。


「白月は、今日欠席だ」


 担任の犬飼が言うには、「風邪」らしい。


 だが、千景は家を出ていったはず。なぜ学校に来ないのか。どこか、別の場所にいるのだろうか。そんな疑問を抱えたまま、藍良はふと窓の外に目をやる。そのとき、自転車置き場をトコトコと歩く千景の後ろ姿が目に入った。


「えっ!」


 思わず身を乗り出す藍良。あれは千景だ。授業にも出ず、一体なにをしているのだろう。


 次の瞬間、チャイムが鳴り、昼休みを告げる。鳴り終わった瞬間、咲が軽快に声をかけた。


「藍良~、お腹減ったあ。早く売店行こ!」

「ごめん、咲!先に行ってて!」


 藍良は咲にそう短く告げると、慌てて教室を飛び出した。そして、そのまま自転車置き場へと向かう。が、いない。校庭、校舎の裏も千景の姿はなく、風だけが吹き抜けていた。


 そして、最後にたどり着いたのは体育館の裏手。誰もいない、静かな場所。風が木々を揺らす音だけが耳に残る。


「ここにもいないか……」


 がっくりとうなだれ、きびすを返したそのとき──


「わっ!!?」


 目の前に、唐突に現れた人影──千景に驚き、藍良は思わず尻もちをついた。


「藍良、大丈夫!?」


 千景は目を丸くし、慌てて手を差し伸べる。藍良はキッと千景を睨み、むくれた。


「それはこっちのセリフ!ずっと探してたんだから!!」

「探してた……?」

「そう」

「……僕を?」


 その一言に、藍良は言葉を詰まらせた。顔を上げると、千景はどこか嬉しそうに微笑んでいたのだ。


 こんな言葉にまでキュンキュンされるとは……。


 藍良はそう心で呟くと、そっと目を逸らした。すると、藍良の視界に千景の大きな手がそっと差し出される。


「怪我はない?掴まって」


 藍良は戸惑いながらも、その手をぎこちなく取り、立ち上がった。


「……ありがと」


 しばらく、風の音だけが流れる。沈黙のあと、藍良がそっと口を開いた。


「あんた、ここでなにしてたの?」

「邪気の気配を探してたんだ」

「邪気?」


 藍良が眉をひそめると、千景は小さく頷き、周囲に目を走らせながら静かに言った。


「昨日も話したけど、この学校に黒標対象こくひょうたいしょうが潜んでいるのは、まず間違いない。黒標対象は邪気をまとっているから、見つけられるかなと思ったけど、どこにも感じられない。うまく隠しているみたいだね」

「そもそもさ……なんでその“黒標なんちゃら”が、この学校にいるってわかったの?」


 少しだけ身を乗り出す藍良。千景は視線を宙に彷徨わせ、そして語り始めた。


「順を追って話すね。人が亡くなると、魂は一度冥界に送られるんだ。そこで、転生するか冥界に残るか選ぶ。けど、黒標対象に奪われた魂は冥界にすら行けない」


 藍良の表情が強張る。


「じゃあ、どこに行くの?」


 千景は一瞬、沈黙した。


「僕にもわからない。ただ、人の魂はものすごく強いエネルギーを持ってる。きっとそれを、何かに利用しようとしてるんだ。とても、よくないことに」


 藍良は息を呑んだ。一見信じられないような話だが、千景の眼差しは驚くほど鋭かった。どうやら本当に、この学園内に恐ろしい黒標対象が身を潜めているらしい。そう自覚した瞬間、藍良の心臓が、恐怖でドクンと跳ねた。


「黒標対象がこの学園にいることがわかったのは、遺体の記憶を辿ったんだ。魂は抜かれていたけど、ほんの断片だけ、記憶が残っていた。僕は審問官として、その記憶に少しだけ触れられる。調べていくうちに、亡くなった全員が、この学園の敷地内で同じ邪気に触れていたことがわかったんだよ。だからその邪気を探してるんだ」


 藍良はそっと顔を伏せ、深く息を吐く。


「……そうだったんだね」


 そう呟いて顔を上げると、千景が穏やかに微笑んでいた。


「ありがとう。理解しようとしてくれて」


 突然、柔らかな声で語りかけられ、藍良は思わず視線を落とした。


 ……調子狂うな。なんなんだ、この男は。


 昨日、そして今の千景のやり取りを通じて、藍良はひとつの確信を抱いていた。昨日千景が言ったように、どうやら本当に藍良に危害を加えるつもりはないらしい。


 それに、この男は本物の死神なのだろう。まさかとは思ったが、昨日のあの異様な力、あれが全部嘘だとは思えなかった。


 だが、目の前の男は、藍良が抱いていた死神のイメージとは、あまりにもかけ離れていた。死神といえばドクロの顔に、黒いローブをまとって、大鎌を振り回して……そういうおどろおどろしい存在だと思っていたのに。


 目の前の男は塩顔で、鎌どころかペンすら持っていなさそうで、ずっと穏やかな表情を浮かべている。藍良は小さく息を吐いて、静かに問いかけた。


「ねえ、あんた審問官って言ってたよね?それって、結局何なの?それに、どうして顔を変えてるの?」

「ああ、それね」


 千景はふっと笑みを浮かべた。どうやら、藍良に質問されるのが嬉しくて仕方ないらしい。


「審問官っていうのは、人間界でいう警察官みたいな役職なんだ。僕は死神界の秩序を守るために働いてて。今回は、黒標対象を捕まえるために、ここに来たんだよ」

「警察官……?」


 千景はさらに続けた。


「顔を変えているのは、単純に……本当の顔が、あまり好きじゃなくて」


 そう言って千景は僅かに目を伏せた。そんな彼の様子に、藍良は一瞬きょとんとする。


「だから、なるべくこの世界で格好いいと思われる人間の姿をイメージして……死神界の“幻顔士げんがんし”にお願いして作ってもらったんだ」

「……幻顔士?」

「うん。死神ってね、顔をある程度自由に変えられるんだよ。そのための職業があって、専門的に顔のイメージを形にしてくれる死神を“幻顔士”って言うんだ」


 お手軽な美容整形みたいなものか……?


 思わずくすりと笑う藍良に、千景は首を傾げた。


「……変かな?」

「ううん。なんか、ちょっと面白くて。死神の世界って、思ったより人間くさいんだなって」


 藍良は千景に向き直ると、小さく笑った。


「顔なんて、気にする必要ないよ。あんたはあんたじゃん」


 そう言ったあと、藍良は千景に向き直り、ぺこりと頭を下げた。


「昨日はごめん。あんたの笑顔が胡散臭いなんて、酷いこと言って」

「いや、そんな……」


 千景が慌てて手を上げかけた瞬間、藍良は顔を上げて、言葉を続けた。


「それと……昨日はありがとう。助けてくれて」

「え?」

「あの蛇、退治してくれたんでしょ?」


 その瞬間、千景の目がすっと泳ぐ。

 「ん?」と藍良が首を傾げた、次の瞬間……。


 千景の肩に、黒い鱗の“アイツ”がにゅるりと巻き付いた。


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