### 全国大会翌日
全国大会の翌日、カズは陸上部の顧問である小田島先生のもとを訪ね、退部届けを提出した。
「どういう事だね!? これからだというのに!!」
驚きの声を上げる小田島先生に、カズは、
「お世話になりました!!」
と一言だけ言うと、さっさと教員室を退出した。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
という声があちらこちらから聞こえて、カズはその度に手を振ったりしていたが、自分が陸上部を辞めたことを知ったらどうなるのだろう?と、ふと考えてしまった。
帰宅後、カズはハヤトの部屋を訪ねた。
「約束してた通りに陸上部は辞めてきた」
そう告げるカズに、ハヤトは、
「うん。でも、勿体無いね」
と、寂しそうに言った。
「でも、今しか出来ねー事をしたいからな。その為には陸上は続けられねーんだ」
「何かやりたい事でもあるのか?」
不思議そうに尋ねるハヤトに、カズは、
「まぁな」
と応える。
「今はまだ言えねーんだけど、そのうちにな」
そう言うカズに、ハヤトは、
「言えるようになったら教えてくれよな」
と、微笑みながら言う。
カズは、ハヤトの部屋の窓辺に腰掛けて、遠くの空を見ていた。
夕焼けが赤く染まる空に、何か言葉では表せないような気持ちが胸の奥にこみ上げてくる。
「なぁ、ハヤト」
カズは、ふと口を開いた。
「何だよ?」
ハヤトはベッドに横になって、雑誌をパラパラとめくっていた。
「お前、後悔ってしたことあるか?」
雑誌のページを止めて、ハヤトはカズの方を向いた。
「後悔? そりゃあるだろうな。でも、それが人生だろ。後悔して、学んで、また前に進むって」
カズは、その言葉に軽く笑った。
「お前、妙にかっこいいこと言うよな」
「お前がそんなこと言うなよ」
二人は、少し笑った。
だが、カズの目はどこか遠くを見ているようだった。
「俺、全国大会で優勝したけどさ⋯⋯」
カズは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あの時、走ってる最中に、何かが変わったんだ。走ることだけじゃ、満たされなくなったって言うか⋯⋯」
ハヤトは黙って聞いていた。
「走ること自体は好きだった。でも、それが全部じゃなくなった。もっと、違う世界を見てみてーって思ってさ。お前と話してたら、そんな気持ちがどんどん強くなっていったんだ」
ハヤトは、ベッドから起き上がって、カズの隣に座った。
「俺、お前のことを止めようとは思ってない。でも、お前が走ることを辞めると聞いた時は、正直寂しかったよ。だって、お前が走る姿って、俺の中では特別だったから」
カズは、少し驚いたようにハヤトを見た。
「特別?」
「ああ。お前が走ってる姿を見て、俺は頑張ろうって思ってたんだ。だから、お前が辞めるって聞いた時は、ちょっとだけ悲しかった。でも、お前がそう決めたのなら、俺は応援するよ」
カズは、その言葉に胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとうな、ハヤト」
「何言ってんだよ。お前、俺の親友だろ? 家族みたいなもんだろ?」
カズは、それ以上何も言わず、ただ微笑んだ。
その夜、カズは自分の部屋に戻り、机に座った。
机の上には、数十枚の紙があった。
それは、ある出版会社に送るためのマンガだった。
カズは、マンガ家になる事を夢見て、陸上の練習の合間にマンガを描き続けていたのだ。
走ることでしか表現できなかった気持ちを、今度はマンガで表現したい。
「まだ言えるようになったわけじゃねーけど⋯⋯」
カズは、マンガに最後のセリフを書き込んだ。
「でも、これもオレの走り方の一つだ」
翌日、カズは学校へ行き、ハヤトと並んで登校した。
廊下では、陸上部の部員たちが「カズ、本当なのか!?」と驚きの声を上げている。
カズは、笑顔で「ああ、本当だよ。でも、皆んなには頑張ってほしいな」と応えた。
顧問の小田島先生も、まだ納得していない様子だったが、カズの目を見て、何かを察したのか、最後は「お前なら、どこでもやっていけるだろうな」と言ってくれた。
放課後、カズとハヤトは屋上で夕暮れを見ていた。
「お前、本当にマンガの道に行くのか?」
「ああ。まだ誰にも言ってないけど、もう一歩踏み出す準備は整った」
「かっこいいな、お前」
「お前も、自分の道をしっかり歩けよ。オレが応援してるから」
二人は、夕暮れの中で拳を合わせた。
カズの人生は、新たな走りを始めていた。
それは、足ではなく、心で走る旅だった。