その日も、
校門の前、夏を思わせる陽差しのなかで、ひらりと揺れた薄青のスカート。都内の名門・地獄極楽学園の制服を纏う彼女は、美し過ぎて、まるで絵画から抜け出したみたいだった。
透き通るような白い肌に、絹のような黒髪は腰まで伸び、清楚なウェーブが自然と風になじむ。
伏し目がちの瞳は深い紫紺で、見下ろすだけで人を祓えそうな威圧感がある。……実際、
カラスの霊、それもデカめのやつが校門前に現れたのは今朝8時5分のことだった。生徒たちが、その霊に怯えたり騒めく中、天音先輩は無言で制服の胸ポケットから小さな霊符を取り出すと、スッと空中にひらめかせる。
「カラスさん、成仏なさいませ」
キラッとした笑顔、サラリと舞う髪、完璧な制服の着こなし。
〝パン〟という乾いた音とともに、カラスの霊は煙のように消えた。
「おおー!天音先輩さすがっス!」
「キャー!天音っち!かっこいいー!!」
……って、怖っ!
彼女の除霊を目の当たりした生徒たちは、賞賛を送っていたが、俺は思わずビビった。いや、心臓はもう止まってるけど、魂の汗が滝のようだった。
改めて自己紹介しよう。
俺の名前は
職場は、たった今、目の前でカラスの霊を除霊させた日本有数の大企業・霊原財閥の令嬢JK・霊原天音先輩の背後1.5メートル、上空勤務。わりと不安定な配置。
生きてた頃の俺は、天音先輩の後輩。発達障害気味で、周囲から「ちょっとズレてる男子」と思われていた。
でも俺は知っている。愛というのは、ズレたやつほど強いということを。
俺の高校生活、目標はただ1つ。
〝天音先輩と両想いになって、彼女の犬になりたい〟だった。
でも犬になれなかった俺は、霊になってます。犬以下です。
さて、ここまで読んだ君は、きっと思ってるだろう。
「どうしてそんなことになった?」と。
よろしい!教えてやろう。俺がどうして幽霊になったのか、そしてなぜか彼女の守護霊に就職したのかを――!
時は少し遡る。俺がまだ生きていた、華の高校生活1年目の春。
部活の見学に来た俺は、弓道場の脇で出会ったんだ。霊原天音先輩に。
彼女は2年生。凛として静かで、話す言葉すら風流。しかも財閥の令嬢で、学校では「歩く文化財」と呼ばれていた(俺が勝手に呼んでいた)。
それまでクラスで「しゃべりすぎでうるさい」「ADHDくさい」などと言われてた俺が、初めて無口になるほどの衝撃だった。
俺の人生のすべては、この出会いで変わった。……が、何も始まらずに終わった。
告白する勇気なんて、俺にはなかったんだ。
小学1年生の時、発達障害と診断されてから、人との距離の取り方が分からなかった。距離感を間違えて、6年生の時、初恋の女の子の足元に土下座して「靴底を見せてください!」とか言ったことがある。
――今思えば、その時点で人生詰んでたのかもしれない。
そんな俺が、ある日突然死んだ。
スマホで、隠し撮りした天音先輩の写真を眺めながら歩いてたら、電柱にぶつかって、その反動で道路へダイブ。トラックに撥ねられ、ポテチみたいに飛び散ってしまった。
気がついたら、真っ白な空間にいた。
「
そんな身も蓋もない事を言って現れたのは、霊界人材配置センター・第四課の眼鏡をかけた天使(見た目10歳くらいの女児)だった。
「兄ちゃんの強烈な未練。はい!これ、守護霊ルート確定や!配属先は〝霊原天音〟ちゃん。彼女以外、なし。よかったやないか!兄ちゃん!」
問答無用で、天使にポンと背中を押された俺は、次の瞬間、天音先輩の後ろにフワッと立っていた。
うおおお!!天音先輩!本物!!近い!近い!!
近すぎて、汗の香りというか、匂いの成分すら感じるレベル!
……いや、でも俺は霊。見えるけど、触れられない。
告白もできなければ、LINEも送れない。読まれることすらない既読スルー確定の存在。
それでも、愛がある限り守ってみせる。
天音先輩の側にいられるなんて、この世の幸福を独り占めした気分だ……と、思っていた。
最初の3日間くらいは。
その幻想は、彼女が「除霊」と呟いた瞬間に終わった。
「あれ?」
守護霊生活4日目の早朝。俺は空中で固まっていた。視線が刺さる。真っ直ぐに、鋭く。
パジャマ姿の天音先輩が、自室の天井――つまり、俺が浮いてるこの辺りを、ジッと睨んでいる。
まさか?と思っていた。
この距離で、まさか?まさか!?
「妙に騒がしい思念波。覗かれているような感覚。今朝……いや、数日前から何か〝憑いて〟ますね」
言った!!言っちゃったよ!!
なんかバレてる!!!ていうか思念波って何!?俺、そんなに感情垂れ流してた!?
次の瞬間、彼女はパジャマのポケットから霊符が沢山張り付いたピストルみたいなアイテムを取り出す。
何で、そんな所に、そんな物騒な物が入っているんですかぁぁ――!?
「さあ、出てきなさい。いらっしゃますよね?そこに」
おおおおおおお除霊態勢!完全除霊モード!!
ヤバい。俺、霧散する!やっと会えたのに!!
「ま、待って待って待ってください!!違うんです!!俺は、俺は――!」
思念で叫ぶ。音にはならない。俺の声は空気を震わせない。
でも届いてくれ……!この気持ちが、俺の命――いや、霊を繋ぐ命綱なんだ!!
「喋りましたわね」
天音先輩の瞳が、まっすぐこちらを捉えた。
やった聞こえてたァアアアア!!それに見えてるゥゥゥーー!!
「あ、悪霊じゃないです!まっとうな霊です!ていうか、守護霊です!昨日、先輩の傘盗もうとした中学生を追い払ったの、俺なんですから!」
「ふぅん」
天音先輩は僅かに目を細めた。その瞳には、猜疑と冷静さと、微かに、呆れが混ざっていた。
「あなた、本当に私の守護霊なのですか?」
「はい!たぶん!いや、間違いなく!」
「なら、パンツまで覗くのは、やめていただけます?」
ビキィィ……という音が、空気の中に走った気がした。
「へっ!?な、ななな、なんの話ですか、先輩!?」
「昨日の朝、着替えの時に、クローゼットの影から“視線”を感じましたの。気配を追ったら、タンスの中の鏡に残留霊力がありました。あれは、あなただったんですね?あと、鏡の端に、霊力の文字で、うっすらこう書いてあったのです」
そう言って天音先輩は、スマホを取り出してメモアプリを開いた。
『黒パン最高!マジ感謝!』
「ぎゃああああ!!それは違うんです!!スケベ的な意味ではなく感謝の念を込めて――!」
「どうでもいいですわ」
天音先輩はニッコリ笑うと、霊府マシマシピストルの銃口を俺に向けた。
「除霊開始。ただの除霊じゃありませんことよ?魂を〝コレ〟で撃ち砕いて存在を無にしてさしあげます」
「ギャアァァァー!待って!俺まだ成仏する気がない!!パンツ見てから本番なんですってばァァ!!」
「よけいアウトでしょ!それ!!」
「反射的なんです!職業病というか生前の習性というか本能で!!」
「あなた除霊」
天音先輩は、急に無表情になって、霊府マシマシピストルの引き金に指をかけた。
「嫌あァァァ!!」
俺が、消滅を覚悟したその瞬間。
銃口から、ふわりと青白い光が漏れた。……が、発射される直前で、その光がスッと消えた。
「あ、あれ? 俺、助かったの?」
おそるおそる天音先輩を見るとピストルを下ろし、ひとつため息をついた。
「……今回は、警告です。次はないと思ってくださいね」
そう言って、天音先輩は、僅かに口元を緩めた。
な、なんだったんだ?今の?除霊する気マンマンだと思ってたのに、最後の最後で〝ちょっとだけ優しさ〟あったような?
俺は、今の天音先輩の行動を見て、改めてドキッとした。
こうして俺の霊的社畜生活は始まった。
大好きな人に憑いて生き延びるか?それとも除霊という名のリストラを喰らうか?
死んでもなお、人生(?)はハードモードだった。