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第18話 夕餉

 魔法薬店に帰ると、カウンター席のすぐ近くに二人で座るには十分な大きさの四角いテーブルが設置されており、わざわざテーブルクロスまでかけてあった。カトラリーが二人分並べられ、ナプキンが王冠のように立体的に折られて平皿の上に乗っていた。帰りが遅いという厭味にしては手が込んでおり、レイは困惑しながら口を開いた。


「……こんなテーブル、いったいどこに」

「ありましたとも。邪魔だと物置に押し込められて、かわいそうに」


モートンがそう言いながら、着々と夕食の準備を進めていた。気合いの入り方に固まっていると、クラウスがレイの腰をそっと押してエスコートを始める。レイは戸惑いながらも誘導に応じて椅子の前まで歩を進めた。


「いや、順応が早すぎやしないか?」


レイの言葉にクラウスはくすりと笑いながら椅子を引く。レイは苦笑いしながら引かれた椅子に座ると、クラウスも満足そうに向かいの席に座り始めた。


「これは、クラウスの快気祝い、でいいのか?」


先が細くなったグラスを運んできたモートンに聞いたが、モートンは微笑むだけで何も答えなかった。食前酒がサーブされ、クラウスがグラスに手をかけたので、レイも倣ってグラスを持ち上げた。クラウスの瞳が優しくレイを見つめている。


「では、ご厚意に甘えよう」


クラウスがそう言うので、レイも軽く息を吐いて乾杯に応じた。甘い香りにまろやかなアルコールと炭酸が舌を刺激する。グラスを置いて、レイは恥ずかしそうに視線を逸らした。


「俺、全然、マナーを知らないんだけど」

「なるほど、モートン氏の狙いはそれか。これは、責任重大だな」


クラウスが苦笑したので、レイは心の中でクラウスに謝った。非公式とはいえ、いきなり上流社会出身者とこんな形で食事をともにすることになるとは思わなかった。今後のことを考えるなら、もう少しきちんと勉強しておけばよかった、と反省したところで気付いた。――もし自分がクラウスと交際を始めた場合に、その先の未来までクラウスは考えているのだろうか。


 オルディアス王国は魔法使いの人口が多く、調律に対する理解が深い。そのため同性婚も認められてはいる。ただし、貴族については話が別だ。家を継いでいかねばならないことを考えて、後継者だけは異姓婚であるのが暗黙の了解だった。おそらく、マルキオン教授とサルベルト教授が婚姻関係を結んでいないのは、サルベルト教授が長男だからだと思われる。レイも長男だが、ルミアはヴェルノット家を残すことに無頓着だし、それはおそらく両親もそうだと思う。もしクラウスが公爵領を継ぐことになったら、レイは必然的に別れなければいけない。そうなったら、専属として囲われるのも悪くないのだろうか。いや、将来の伴侶に横恋慕しながらクラウスの隣にいるのは、健全な精神ではいられそうにない。


「何を考えている?」


声をかけられて、レイは声の主を見た。じっと観察するように見てくるクラウスの視線から逃げるように、まだ半分ほど残っていた食前酒を一気に呷った。グラスを静かに置いて、「なんでもない」と答える。その反応に、疑っているということを隠そうともしない諜報部員に、レイは内心とは違う話題を切り出した。


「ディートリヒ卿の初公判まで1か月ぐらいか」

「そうだな。私にも出廷命令が出ている。もちろん、被害者としてだが」


クラウスも一呼吸をおいて、食前酒を飲み干してグラスを戻した。レイは彼が置いたグラスを見ながら、口を開く。


「公爵家は、どうなると思う?」


その問いに沈黙が下りた。答えないクラウスに視線を向けると、彼はずっとレイを見ていた。クラウスの視線に応じるようにそのまま藍色の瞳を見据えると、クラウスは一度しっかりと瞬きをしてから言った。


「ディートリヒではなく、公爵家の行く末を聞くんだな」


レイは一瞬ぎくりとしたが、表には出さずに「同じことだろ」と答えて、立体的に置かれたナプキンを触った。その答えにクラウスは納得していないようだったが、そのまま話し始めた。


「現公爵は今回の件には関わっていない上、長く臥せっているが存命だ。おそらく、公爵家が取り潰しになることはないだろう。だがディートリヒが犯した罪は重い。私の命を脅かしたこともだが、浄化薬の製造において呪われた魔法使いに浄化薬を無断使用した挙句、その魔法使いに治療を受けさせずに強制的に労働させていたことについても、生命を軽んじる行為に他ならない。余罪を含めても、良くて終身刑だろう。……私の母に続き、不祥事続きの公爵家としては致命傷ではすまない。当主を、現国王の血筋に挿げ替えるような形をとるのではないかと、私は見ている」


 レイはナプキンを広げながら、現在の国王の血筋を思い浮かべた。現国王の直系血族は正室の子である王太子とその子、側室の子である第二王子しかおらず、また傍系では弟が二人いるが、一人はすでに同性婚をしており子はおらず、もう一人はザルハディア王国の公爵家と婚姻を結んでいる。国の中枢を担っていた公爵家を王の血族に挿げ替えるとなると、忠誠心のある者を選ばざるを得ないが、その血筋外から選ぶことがあるだろうか。


「……君が公爵家を継ぐ可能性をあえて消したな?」


レイの指摘に、クラウスは黙したままナプキンを手に取った。程なくレイの背後にモートンが歩いてくる気配がして、前菜が運ばれてくる。ベーコンと葉物野菜のキッシュと、温野菜の盛り合わせだった。おいしそうな料理なのに、レイの心は暗く、食欲はわかなかった。目の前で食事を運ぶクラウスの所作を観察しながら、黙って料理を口に運び、前菜が皿の上から半分ほど消えたところで、クラウスはやっと語り始めた。


「――初公判前に、国王から召喚令が出ている。君の言う通り、公爵家についての打診がかかるかもしれない」


レイはクラウスの手から顔へ視線を上げた。クラウスの瞳には迷いが見えたが、何に対する迷いなのか、レイには推し量ることが出来なかった。


「クラウスが領主になった公爵領か、興味があるよ」


レイはそう言って、キッシュにナイフを押し当てた。キッシュから葉物野菜がするりと抜けて、ナイフでは切れてくれなかった。


「……レイは、私が領主になった方がいいと思っているのか?」


固い表情のクラウスに問われて、レイはナイフとフォークを置いて熟考した。


「貴族よりも、平民に優しい領になりそうだ。君は貴族だが、村で一緒に買い物をした時の接し方や村の見方は、ノブレス・オブリージュの体現だと思ったよ。その分、貴族には厳しくなりそうで、敵が増えそうだな」


レイは、想像して思わずくすりと笑った。クラウスは難しい顔をしながら、自身の皿を眺めている。三男として生まれて、まさか領主になるかもしれないなんて思ってもみなかっただろう。クラウスは諜報部の仕事の方が好きなのだろうか。そうだったなら、今の答えは少し軽率だったかもしれない。


「気にしないでくれ。そうと決まったわけではないんだろう? やりたくないことを押し付けられるのは、誰も気乗りしないさ」

「いや、そうではないんだ……」


クラウスがレイの言葉を否定して、食を進め始めた。レイも同じく前菜を口に運んだ。国王の意図はわからないが、貴族裁判は国王の意見が大きく反映される。願わくば、クラウスの意思を蔑ろにするような判決が出ないことを祈りながら、温野菜を口に入れた。


「私は今、公爵家の後継者になるわけにいかない」


クラウスの呟きに、レイは驚いて視線を上げた。今なるわけに行かないというのは、将来ならなってもいいということだ。諜報部でやり残した仕事でもあるのだろうか。そう思いながら見たクラウスの唇から、予期してない言葉が出た。


「――君の……返事をもらっていない」


その一言に、息を飲む。思考は回らず、シャンパン一杯で頭が酔ったかのように火がついてしまいそうだった。


「今、私が後継者として指名されたら、異性婚を強いられてしまう。同性婚が認められるうちに籍を入れてしまわなければ、君との未来を夢見ることすら叶わなくなってしまう」


クラウスが空になったグラスを見ながら語る未来の話に、自分が入っている。愛人でもなく、正しくパートナーとして。レイは眼鏡を外して顔を覆った。クラウスを直視することが出来ない。それでもクラウスは話を続けた。


「……自分でも分かってはいるんだ。重い感情を曝け出されても、君が戸惑ってしまうことも。付き合ってすらいないのに、結婚を前提とした──しかも早急な婚姻なんて、考えられるわけもないのに。ただ、先程からの君を見ていると、どうしても『諦めるための正当な理由』を探しているように見えてしまって、言わずにいられなかった。……どうか許して欲しい」


ゆっくり深呼吸をして、レイは眼鏡をかけた。目の前の男に焦りが見える。猶予を与えたいのに、現実的に難しく、悩んだ末の吐露は、レイの心に深く刺さった。


「結婚、か……」


レイはポツリとこぼした。


出会ってから約1ヶ月。告白されてからおよそ2週間。いい奴だと思うし、正直惹かれてることを否定できない。だからと言って、交際0日で結婚? 常軌を逸している。そこまで自分に惚れられてる理由も分からなければ、お互いのことをきちんと知っている訳でもないのに捨てられない保証は?


でも、目の前の男は、そんなことを自分が考えることも織り込み済みで、振られる覚悟を持ちながらもそう言ったのだ。不安を隠し切れずに、なりふり構わず縋るように。


レイは一度目を瞑った。覚悟が決まってなかったのは、どうやら自分だけだったらしい。


「クラウス、俺はたぶん……いや、正直、君に惹かれている、と、思う」


感情を吐露するというのは、こんなに勇気がいって意気地無しになるものなのか。なんだか手が震え始めた。


「――俺、この感情が育ってしまうことが、少し怖いんだ」

「怖い……とは?」


クラウスが初めて言葉を促してきた。アルコールなのか目の前の男になのか、とにかく頭が酔っていて上手く言葉が紡げる気がしないが、なんとか言葉にする。


「酒は抜けたら醒めるけど、この感情は醒めても溺れても、幸せなのに苦しそうだ。なのに、醒めないで欲しいと、思ってしまう。……酔わせ続ける自信がないんだよ、俺は」


クラウスからの反応がなくて、視線を移す。じっと見つめてくるその瞳の熱に、思わず目を逸らしそうになった。


「私はもう、こんなに君に酔っているのに?」

「真面目な顔して何言ってるんだよ」


そう毒づきながら、いや一番何言ってるのかわからないのは自分か、とキッシュの端をフォークで刺した。やっと味がし始めて、レイは「うまいな」とつぶやいた。


 前菜の皿が下げられる際に、モートンが「ワインのホストテイスティングをお願いしますね?」と声をかけてきた。モートンの一言に、レイは顔が引き攣った。そんなものした事がない。ワインが問題ないかどうかなんて、どう判断すればいいんだ。クラウスに助けを求めるように視線を移すと、クラウスは笑顔で心得たと頷いてくれた。クラウスがモートンと視線を交わし、モートンも頷いて下がって行った。


 次の料理は冷製ポタージュが出されて、これはいつから準備されていたんだろうかと思った。元々喫茶店だった店のお陰で、キッチンは確かに広くて使いやすいだろうが、モートンの気合いの入り方がなんだか怖かった。ポタージュを飲み終えた後、宣言通りモートンがワイングラスを2つとワインを1本持ってきた。抜栓し、ワイングラスに少量注がれる。モートンは同量をクラウスのグラスにも注いだ。きた。いよいよきた。クラウスがやり方を見せてくれる。色を見ているんだろうな、香りを嗅いでいるんだろうなと言うのはわかるが、結局どういう状態が良くないのかがわかってないのに、自分がする意味などあるのだろうか。クラウスが頷いて、レイに促してくる。気後れしながら、先程のクラウスを模倣して同じようにやってみる。色を見て、香りを嗅いで、気付く。


「これ、クラウスが用意しただろ」


嗅いだことの無いぐらい広がる豊かな香りに、ワインの高級さを感じる。明らかにこの村で買えるようなものでは無い。ルミアはこんなにいい酒を持ってたとしたら我慢できずにすぐに飲んでいただろう。クラウスが軽く笑ったのを見て、やはりな、と視線で訴えた。


「先日、共に呑んだだろう? 楽しかったから、部隊と一緒に王都へ引き上げた際に、持参した。それでモートン氏が、この食事会を計画したのだろう」


レイは苦々しく笑った。何ともキザな事だ。それに乗るモートンもモートンだ。マナーは身につけておいて損は無いだろうし、いいお手本がいるうちに経験させたいのも分からなくは無いが、余計なお世話である。一口飲んで、深い味わいがするのに渋さが無く飲みやすかった。これは、するする飲めてしまう。


モートンに問題ないことを伝えると、ワインをサーブしてまた下がって行った。


「これは、飲まれないように気をつけなければいけないな……」


下戸ではないが、酒はそんなに強くない。先日久しぶりにクラウスと飲んだ時は、なんだか楽しくて沢山飲めてしまったが、普段あんなに飲めたことなんてなかった。クラウスはニッと口の端を上げて「陽気な君を見るのも、美味しいから飲んでくれ」なんてほざくものだからムキになってグラスの中身を呷った。


しばらくして、メインの丁寧に煮込まれたホロホロの塊肉が出てきて、レイはほっとした。通常フルコースには肉料理の前に魚料理も出てくるが、流石にモートン一人で準備するには手が足りなかったのだろう。そこまでされると、かえって申し訳ない。


ワインを舌の上で転がし、肉料理に舌鼓を打った。その後に出てきたパンとチーズとデザートのソルベを食べると、もうレイのお腹はいっぱいだった。入りそうにない食後のコーヒーを持ってこようとするモートンに、声をかけるため立ち上がろうとしたら膝が抜けた。ダメだこれは、やはりコーヒーはいただこう。


 そんな時だった。店の呼び鈴が鳴る。これにはモートンも驚いたようで、コーヒーを置いてすぐに玄関まで出ていった。どうやら何か届いたらしく、モートンが小さな小包を受け取ってレイに近寄ってくる。


「レイさん宛ですね」

「俺? ばあちゃんじゃなくて?」


聞きながら、送り主を確認する。意外な人物の名前が書かれており、レイは思わず声を上げた。


「セリル・グランディール」

「知り合いか?」


クラウスが聞いてくるので、レイは頷きながら小包の包装紙を破った。小さな箱に収められた小瓶と、手紙が一通入っており、手紙にざっと目を通し、思わず声を上げて笑った。クラウスとモートンが訝しげにこちらを見ている。


 手紙の中身は洗髪剤の成分表だった。おもむろに小瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐと、魔紫根と星苔の香りがふわりと香った。洗髪剤にこの香りを使うのは中々に難しかっただろうに。解析魔法を行使し、成分表通りの代物であることを確認して、更に噛み締めて笑った。手紙の最後に一文、「お試しください」と書かれており、通信魔法機器に読み込ませる連絡先が記載されていた。


 食後のコーヒーを飲みながら、セリル・グランディールとの話をクラウスに打ち明けると、クラウスは露骨に不機嫌そうな顔をして「結婚するのと囲われるのだったら、どちらが好みか聞いておいてもいいだろうか」などと宣った。嫉妬を隠そうともしない男に、「使う?」と面白半分で洗髪剤の小瓶を渡そうと差し出すと、「君と一緒になら」と差し出した手ごと掴んでやり返され、レイは顔を真っ赤にして閉口した。

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