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第17話 告白

 これだけの人数が座れる椅子も、置ける机もないので、ルミアはカウンターの中に高めのスツールを持ってきてそこに座り、モートンを除く残りの3人はカウンター席に座った。モートンが人数分の紅茶を淹れて、レイが帰ってくる日に合わせてあらかじめ買ってきてあったホールのチーズタルトを切り分けて配り、ヴェーゼルゴンの前にはルミアの指示通り林檎が3つ置かれ、お口に合えばと、チーズタルトも一切れ置いた。


「さて、どこから話そうかね」


ルミアが紅茶のカップに口を付けて、そう切り出した。レイが軽く手を上げて質問の意思を示すと、ルミアは手でどうぞと促した。


「ばあちゃんは今何をしてるの? 1年間の任務って話なんだろ?」

「そうだね、まずはそこを訂正しなきゃならんね」


ルミアはまた紅茶を一口飲んで、ソーサーにカップを置いた。


「まず私が今やってんのは、任務じゃない。簡単に言ったら、お守りだよ」

「お守りとは聞き捨てならんな。こうしてルミアを超高速でヘイムディンズから送り届けてやったというのに」


ヴェーゼルゴンが口をはさむ。レイはその一言で頭が痛くなった。そもそもブルードラゴンはオルディアス王国と不可侵条約を結んでいる。その相手がいきなり領域侵犯してること自体、バレたら大問題である。


ルミアはふんっと鼻を鳴らし、ヴェーゼルゴンを睨みつける。


「もとはと言えば、あんたの嫁さんが救難信号を出してきたんじゃないか! 産卵後の嫁さんに発情しやがって、下半身で物事考えてるんじゃない! ドラゴンのくせに!」

「仕方なかろう。我の発情期とかぶってるんだ」

「龍の発情期が3年、卵を孵すのに1年。卵に送る魔力が途切れたら大変なことぐらい知ってるだろうに、1年ぐらい根気を見せやがれ」

「だからといって、妻と卵に近付けないように結界を張るなんて、あんまりだろう」

「気晴らしに戦ったり、こうやって連れ出してやってるだろうが。無償奉仕にしては過剰サービスもいいところだ」


あまりにも荒唐無稽で異次元な話が目の前で繰り広げられており、レイとクラウスはお互いの顔を見合わせた。ルミアがこほんと咳払いをして、話をまとめる。


「要するに、ブルードラゴンの個体数が減ってる中、久しぶりに卵が生まれたんだよ。ヴェーゼルゴンの奥さんがすごくナイーブになっててね。絶対卵を孵さなきゃならんって言ってるのに、コイツの発情期ともろかぶりしてて、卵を孵すまでの時間、ボディーガードしてるのさ。あ、龍の発情は近くに奥さんがいなきゃ大変なことにはならんから、安心していいよ。他には?」


レイは遠い目をしながらチーズタルトを一口頬張った。確かに、そんなことができる人間はルミアしかいないだろう。加えて、ヴェーゼルゴンはヘイムディンズに棲むブルードラゴンの王。他のドラゴンたちでは頭が上がらないのは仕方ないとは思う。


続いてクラウスが手を上げた。ルミアが少し驚きつつもクラウスに向かって頷く。


「ルミアは、今回の私の件をどこまで把握している?」

「なんにも」


ルミアが口を曲げながら、また不機嫌そうに顔をゆがめる。クラウスがなるほど、と言って事の顛末を洗いざらい全て話した。基本的に全部黙って聞いていたルミアが、唯一驚いたのはクラウスがこの魔法薬店でレイと一緒にしばらく暮らしていたという一点だった。


「レイ、息が詰まったりしなかったかい?」

「なんでそんなこと言うのかわからないけど、クラウスは普通にいい奴だよ。普通に怒るし、普通に笑う」


ルミアが絶句するのを見てレイは訝し気にクラウスの方を見たが、クラウスはすました顔で紅茶に口を付けるだけだった。見かねたモートンが紅茶のお替りを持ってきて、空になったルミアとレイのカップに注ぎながら口をはさむ。


「ルミア様。クラウス様は、よく笑っておいででしたよ」

「よく、笑って、いた……? 諜報部の鉄仮面が?」

「えぇ、それはもう」


モートンがカップをルミアに渡しながら続ける。


「――レイさんの前では」


モートンの言葉に、再度レイはクラウスを見るが、クラウスの表情は崩れない。ルミアの方を見ると、ルミアもレイの方を見ていた。


「……どうやったんだい?」

「何もしてないよ。割と最初からだったし」


レイの返答にルミアは首を振った。


「そんなわけあるか。何年コイツと一緒に仕事してると思ってるんだい。笑ったところなんて見たこともないよ。表情筋が死んでるっていう話まで出たぐらいだ」

「……そこまで私は笑っていなかっただろうか」


クラウスがルミアを見るが、ルミアは深々と頷いて見せる。クラウスは首を傾げながら何かを思い出そうとしていたようだが、途中で諦めたようだった。ルミアはその行動を見て、深くため息をつく。


「それで、体調はどうなんだい。さっきの話を聞いている限り、呪われていたことはレイにバレちまったんだろう?」

「――あ、そうだ。ばあちゃん、クラウスのカルテ、なんであんな書き方してあったの? 病態しか書いてなかったのが不思議でならなくて」


ルミアの言葉に、今度は思わずレイが口をはさんだ。ルミアは肩をすくめながら、クラウスに指を差し、その問いに答える。


「コイツの要望だよ。あまり外部に漏らしたくないっていうね。でも処方を行ったら記録には書かにゃならん。嘘は書けないし、仕方なくああいう形になったのさ。――クラウス、少し診せてもらうよ」


ルミアが手をかざして医療魔法を行使し、チーズタルトを口に運ぶクラウスを診察し始めた。ルミアの前に力強い光を放つ白い光の魔法陣が現れた。レイはその魔法をしっかり見て、読み取れる魔法構成を頭に叩き込んでいった。すると、魔法を行使しているルミアの顔が驚愕の色に染まっていく。


「……驚いた。魔力の汚染が認められない。クラウス、完治したのか」

「レイのおかげだ」


クラウスがしれっと言った言葉に、ルミアがまたレイの方に視線を向けるが、レイは肩をすくめながら首を振る。確実に2週間前は魔力が汚染されていた。その間レイは特に何もしていない。クラウスがそんな身振りをするレイにため息をついた。


「……君は、自身を過小評価するきらいがあるな」

「本当のことじゃないか。特に何もしていない。カルテ持ってこようか?」


レイの言葉に、今度はクラウスがため息をついた。レイはそのまま紅茶に口を付けようとすると、隣に座っていたヴェーゼルゴンがレイの頭をわしゃわしゃとなで始めた。カップから紅茶がこぼれないように慌ててソーサーの上に置く。ヴェーゼルゴンの方を見ると、目の前に置いてあった林檎はもうすでに種も茎もない状態で無くなっており、ケーキはタルト生地の部分だけが綺麗にはがされて食べられていた。


「我が愛し仔は、どうやら元気に活躍しているらしい。今日はそれが分かっただけでも、来てよかったと思えた。ルミアを背に乗せ領空侵犯した甲斐があったな」


ヴェーゼルゴンの言葉を聞くたびに、レイは心臓がきしむように痛んだ。クラウスの顔色を窺おうとしてしまう自分がいる。そして、クラウスもこちらの様子を窺っているのがわかる。聞きたくても聞かないようにしているクラウスの配慮に対して、少し後ろ暗い気持ちになりながら、気持ちを落ち着かせようと、またカップを持ち上げる。


「まぁ、クラウスの呪いについても一件落着したなら、この店もしばらく休みにしてしまってもいいかな。もともと企業向けの案件ぐらいしかやってなかったし」


ルミアの一言に、レイは持ち上げたカップをそのままソーサーの上に置いた。背中に冷や汗が流れる。レイはすぐにカウンターの席から飛び降りて、地下の研究室に走った。「どうした?」と聞くルミアに「うん、ちょっと」と曖昧に答えて、また走る。まずい、あの深夜のテンションで作りだしてしまった、成分の大部分が後悔でできているヤバイ代物の存在をすっかり忘れていた。


事情に気付いたのだろうクラウスが、噴き出すように上げた短い笑い声を背中で聞きながら、レイは研究室の結界に飛び込んだ。






 色々な話をして、ルミアとヴェーゼルゴンは陽が傾き始めた頃に立ち上がった。久しぶりに会えたルミアと軽くハグを交わし、村の外まで皆で見送った。二人の姿が消え、伸びていた一面の草がいきなり横に倒れた。ヴェーゼルゴンが龍の姿に戻ったことで、その体積分が押しつぶされたのが見える。しばらくすると、大きな風が木の葉を舞い上げて、ルミア達は旅立っていった。


先に歩き始めたモートンに後ろからレイは声をかけた。


「モートン、先に行って夕食を作っておいてくれる? 俺たちは、少し、歩いてくるから」


クラウスがこちらを見てくるのがわかったが、レイは構わずモートンから視線を外さずに返答を待った。モートンはにこりと微笑むと、「あまり遅くなりませんように」と言い置いて歩いて行った。その背を見送ってから、レイはクラウスの方を向き直る。クラウスの顔が西日に照らされて、より深く光る藍色の瞳をまっすぐ見据えながら、レイは口を開いた。


「すまないが、少し付き合ってくれないか」


レイの言葉に、クラウスはいろんな言葉を飲み込んで、微笑んだ。


「少しと言わず、どこまでも」


キザな台詞でも、クラウスが言うと様になるから憎らしい。レイは苦笑しながら当てもなく歩き始めた。迫る夕闇を眺めながら、村のはずれを歩いていく。こんな時間に景色を眺めながら歩くのは、クラウスと一緒にゴブリン調査に出かけた時以来で、今もまた隣を歩いているのはクラウスだった。


 小高い丘に登って村を見下ろし、遠い喧噪を眺めながらレイは立ち止まる。少し後ろを歩いていたクラウスに向き直って、レイは口火を切った。


「俺、昔、死にかけたことがあってな……原因は幼少時の魔力暴走」


その言葉に、クラウスの眉がぴくりと動いた。


 幼少期の魔力暴走は誰にでも起こりうることで、主な原因は育ち切っていない魔力回路にある。魔力暴走によって起こる現象は様々だ。魔力の塊が放出されて周囲の物が壊れたりするのが一般的に多いが、肉体が破壊されたり、限界を超える魔力が放出され続けて、枯渇したことにより死ぬ場合もある。


レイはクラウスの反応を見ながら、尚も続けた。


「魔力量は人より多いのに魔力回路が弱いから、扱いきれない上に当時の同年代の子ができるような魔法も発動できなくてな――魔力が体の内側で暴走して……両肺がつぶれたんだ」


クラウスの眉根が苦しそうに寄るのを見て、レイは視線を逸らした。西日がもう半分ほど山の向こうに隠れているのが見える。


「当時、たまたますぐ近くにばあちゃんがいたから、なんとか応急処置をしてもらって、王都の国立病院ですぐに治療を受けて、一命をとりとめた。……それでばあちゃん、思ったんだろうな。俺の魔力回路を、すぐにでもなんとかしないといけないって。それで頼ったのが、霊峰ヘイムディンズに棲まうブルードラゴンの王、ヴェーゼルゴン様」


見つからないように姿を消しているため物理的にその姿を探すことは不可能だが、今遠い空を飛んでいるだろうルミアとヴェーゼルゴンのことを思い、レイは北の空に視線を移した。暗くなる空とまだ燃える空の間を飛んでいる二人を想像する。


「俺は、ヴェーゼルゴン様の加護をもらって、何とか生きている」

「……だからブルードラゴンの王は、レイを『愛し仔』と呼んだのか」


クラウスの言葉に、レイは苦笑しながら彼を見た。


「気になっていただろう?」


そう聞くと、クラウスは少し視線を逸らしながらバツが悪そうに答えた。


「すまない……ただ、君が苦しそうな顔をしていたから――」

「聞かなかったんだろ? わかるよ。クラウスは優しいから」


レイは大きく息を吸って、体を伸ばした。両腕を上げ、軽く体をひねり、降ろしながら息を吐く。


「……加護をもらってでさえ、通常使える魔法はたかが知れている。にもかかわらず、加護の副産物としてもらったのは『古代魔法の適性』を強める効果だ。――ずるいだろう? 俺、なんとなく組み立てる古代魔法がきちんと発動するものかどうか分かるんだ。それがどの程度の効果をもたらすかも、ね。……あとは、俺の魔力回路が耐えられるかどうかしだいというわけだ」


クラウスの方を見ると、彼はただ黙ってレイの瞳を見ていた。レイはその視線から逃れようともせず、真っ直ぐ藍色の瞳を見つめる。



「クラウス、君が俺を優秀だと評価してくれるのは嬉しいが、分かっただろう? 俺は、もらってばっかり、生かされてばっかりだ。虚勢を張ってないと今にも不安でつぶれてしまうような、脆弱な人間だ。……優秀なレイ・ヴェルノットという虚像に、気持ちを持ってはいけない」



 風が草木を揺らす音が耳に届く。二人を照らす西日よりも、切なく熱い瞳がレイを見つめている。その視線がレイの心を焼きつくすよりも前に、クラウスが唇を開いた。


「まずは……君の誤解を、解きたい」


ゆっくりと話すクラウスに、無言で見つめ返すことで続きを促した。クラウスは言葉を選びながら、一歩レイに近付く。


「君は、強い。自らの弱いところを認め、努力を怠らず、へこたれず、試行を繰り返し、あがき続ける姿は称賛に値する」


クラウスがレイの前で片膝をついて、レイの手を取った。クラウスの手は温かく、力強いのに優しかった。


「君の手から作り出される魔法薬は、まさに君そのものだった。他者に寄り添い、優しく、まぶしい。――レイ、虚像などと言うな。私は、弱さも強さも兼ね備えた、君に恋をした。……もっと強くあろうとする君を尊敬するし、尊重したいとも思う。ただ、そうあろうとする君の隣で、君を支えるのは私でありたい。万一折れてしまったとしても、君を受け止めるのも私でありたい。どうか、私の我儘に付き合ってもらうわけにはいかないだろうか」


丘にまばゆい夕焼けが差す。夜に変わる最後の悪あがきのような光は、クラウスの真剣さを照らし出していた。レイの思考は追いつかなかった。断ったはずなのに、食い下がるような醜さもなく、心を掬い取られて懇願されるなんて思ってもみなかった。


 レイは、熱くなる顔がどうにか夕焼けで隠れていることを願いながら、苦し紛れに言った。


「調子の良い奴。前は『一目惚れ』って言ったじゃないか」

「――外観的嗜好の話をここからするのは、流石に野暮ではないか?」


クラウスが恥ずかしそうに苦笑する姿を見て、レイは笑った。その笑顔は、クラウスが今まで見たレイの笑顔の中で、一際まぶしく心に残った。

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