リ……アン……リアンナ……。
誰かわたしのことを呼んだ?
いいえ、気のせいかしらね……。
「だ……れ……か……んんんんっん……」
静まり返った図書館のフロアーに、わたしが咳払いをする声だけが響いた。
うまくしゃべれなかったわ。
声帯がガラガラ……。そういえば、声を発したのは何年ぶりだったかしら。
気を取り直して、ふぅ……集中。
体内の
「
自分を中心にして放射状に索敵魔法を発動する。
けれど、生体反応なし。
何かの気配がしたような気がしたのだけれど……でもさすがに気のせいよね。
この魔導図書館には、少なくともここ500年の間は、わたし以外に誰も来館していないはずだもの。200年前には書庫管理用の使い魔たちもいなくなってしまって、ホントわたし1人だし。おそらく、この空間の
そういえばわたし、いつから
記憶がひどく曖昧……。
まあ良いわ。
まだまだ読みたい書物はたくさんあるし、あまり体力を使わないようにして少しずつ大気から
食事なんてどうせエネルギー変換のためにするものだし、直接
はて? わたし、なんで他人とのかかわりを避けているんだっけ……?
【ゴ~ンゴ~ンゴ~ンゴ~ン】
「今度は何⁉」
地響きのような鐘の音。
地面を通じて、その振動が伝わってくる……。
これは……入り口前の大時計の音?
わたしがここに来てから、一度も大時計が鳴ったことなんてなかったのに。
【ゴ~ンゴ~ンゴ~ンゴ~ン】
ぜんぜん鳴りやまない……。只事じゃないわね……。
仕方ない。確かめに行きましょう。
この魔導図書館にいるのはわたしだけなんだし、来館客とは言っても、それくらいはしないといけないわよね……。
読んでいた本に栞を挟んでから静かに閉じる。
隣のイスに掛けておいたマントを羽織り、同じく立て掛けてあった
一応ね。一応何かあった時のために……。誰もいないはずなんだから、戦闘になんてなるわけないんだけど……。
【ゴ~ンゴ~ンゴ~ンゴ~ン】
数メートル置きに索敵魔法を使っては状況を確認しつつ、最大限の警戒をしながらゆっくりと図書館の入口に向かって進む。
相変わらず何の生体反応もない……。
ホントに何もないの? 大時計のただの故障かしら……。
わたしがここで本を読んでいる間に、気づいたら司書たちはいなくなってしまったし、残された使い魔たちも少しずつ消えていってしまった。メンテナンスする者が誰もいないせいで、大時計も不具合を起こしたのかもしれないわね……。
けれど、図書館の蔵書に掛けられている『防塵・防腐』の結界魔法に不具合が出ていなくて良かったわ。もしそんなことになったら、ここの蔵書たちが、あっという間に朽ちて読めなくなってしまうものね。
【ゴ~ンゴ~ンゴ~ンゴ~ン】
大時計の前に辿り着いてしまったわ。
何よ。結局誰もいないじゃない……。
さっさと、このうるさい鐘の音を止めて、読書に戻りましょう。
あと少しで、『風魔法をピンポイントで増幅させて人体を安定的に輸送する』オリジナル魔法術式を完成させられそうだったのよ。あと1か所繋げられたら……もう少しなのよ。
【ゴ~ンゴッ……】
「あら? 音が止まった……?」
まだ何もしていないのに、突然大時計の音が止んだ。
たぶん本格的に壊れたわね。時計がもう時を刻んでいないもの。
まあ良いわ。
手間が省けたし、本のところに戻りましょう。
キィ~。
錆びた金属同士が擦れるような不快な音を立てて、大時計のガラス扉が勝手に開いた。
扉の蝶番が外れたのかしら。そうなると、いよいよ故障ね。
この図書館ももう長くないのかもしれないわ……。このままずっと本を読んで過ごしたかったのに……。
「あら? 中に何あるわ」
開いたガラス扉の奥、何か立て掛けてあるものがチラリと視界に入った。
興味をそそられ、近くに寄ってみる。
「これは本……ね」
大時計の箱の中にあったのは、赤茶色の表紙をした古びた本だった。
手に取って見るも、管理状態が良くないのか、本のタイトル部分が削れてしまって何が書いてあるのか読みとれなかった。
「わざわざこんな時計の中に……誰かが隠したのかしら……」
もしかして、お宝の予感?
貴重な魔法術式が書かれているのかもしれない?
少しだけ中身を拝見……と思ったけれど、どうやら本には封印が施されているようで、表紙を開くことができなかった。
「これは……。禁書庫の中にも個別に封印された本なんてなかったわよ」
管理番号もなく、表紙の文字も読み取れない謎の書物。
しかも封印されているとなれば、間違いなく特別な書物ね。
どうにかして読みたい!
その先端を封印された書物にコツンと当ててから、呪文を唱えた。
「
ええ……。本の封印が解けない⁉
術式は間違っていないはずだし、そうなると魔法で封印されたものではないということかしら……?
【リ……アン……リアンナ……】
「誰⁉ 誰かいるの⁉」
今度ははっきり聞こえた!
気のせいなんかじゃない。間違いなくわたしの名前を呼んでいた……。
【やっと……通じた……】
「誰なの⁉」
まさかこの本の中から……?
【リアンナ……おいらの名を呼んで……】
「あなた誰よ……」
本の中に封印されている何かが、わたしの心に直接話しかけてきているってこと?
わたしの名前を知っているのに、わたしはあなたの名前を知らないんだけど……。
【おいら心を入れ替えたから……今度はリアンナのために……生きるから……】
初対面の相手から急にそんなこと言われても……。
【おいらの声が聞こえるようになったということは、もう1つ目の封印は解けているね……】
「1つ目の封印?」
【この魔導図書館を覆っている空間全体に掛けられた封印だよ】
「空間の封印? そんな魔法聞いたことないわ。こんな広い範囲をすべて? いくら
【でもこの空間を封印したのはリアンナだよ】
「わたしが? わたしにそんな魔法使えるわけないじゃない。わたしに使えるのは土、風、火、水の四大元素魔法と、簡単な補助魔法だけよ。空間魔法なんて、書物で読んだ知識程度のものしかないわ」
引きこもりエルフを舐めないでちょうだい。
あるのは知識だけ。
外から
わたしにも姉さんみたいな才能があればね。まあ、姉さんと違って凡才だったからこそ、こうしてダラダラと好きなだけ本を読んで生きていくことができるんでしょうけれどね。
【やっぱり、リアンナはすべて忘れてしまったんだね。それとも忘れたかったのかな?】
この声の主が何を言っているのか見当もつかない。でも、終始わたしのことを知っているような口ぶり。
もしかしてあなた……記憶が曖昧な――この魔導図書館に来る前のわたしのことを知っているの……?